アカデミー賞の真っただ中に超大物俳優のウィル・スミスがビンタをかました──。詳細についてはここで触れないが、個人的にとても興味深いと感じたのは、この件について日米での温度差がかなり違うということだ。
要するに日本では「ウィル・スミス支持派」が多いのに対し、アメリカでは「ウィル・スミス非難派」が相当数いるということ。同じ民主主義の価値観を共有しているハズなのに、なぜこのような温度差が生じるのだろうか?
・「文化の違い」だけで終わらせたくない
一連の件について、日本とアメリカで反応はかなり違う。日本ではまだまだ「家族を侮辱されたんだからウィル・スミスがビンタしたのも理解できる」という意見が多いのに対し、アメリカでは「手を出したウィル・スミスが完全に悪い」という声も多いようだ。
当サイトのアメリカ人記者によれば「擁護派と非難派はせいぜい五分五分」くらいの感覚らしいので、やはり日本とは隔たりを感じざるを得ない。アメリカでの反応についてはこちらの記事をご覧いただくとして、今回はさらに深いところを追求していきたい。
・アメリカ在住の知人に聞いてみた
日本とアメリカの温度差の原因は何なのか? 自分で考えてもわからないため、今回はアメリカ在住の知人に話を聞いてみることにした。出来れば日本にいてはわからない “現地ならでは” の情報が知りたい。
知人はアメリカ在住20年、年齢は44歳の記者と同じくらいの女性。現在はアメリカ人の旦那さんと2人のお子様を持ち、私とは数年来のポケモンGO友達である。ママ(愛称)なら我々がああだこうだ推測するよりも、遥かに核心を突いた答えを持ち合わせているハズだ。
・一般人相手の発言とは意味合いが違う
──ねえ、ママ。ウィル・スミスの件聞いていい? なんか日本とアメリカで全然反応が違う気がするんだけど。
「まあねぇ……でも確かに “アメリカ以外ではそういうリアクションになるだろうなぁ” ってのは理解できるよ。こっちに住んでないとわからない複雑な事情があるからね」
──そうそう、そういうのが聞きたいの。で、ママは率直にウィル・スミスが悪いと思った?
「そうね、殴ったこともそうだけど、生放送で “F×××” を連呼したのは絶対にダメだよね。ちょっと日本語に相当する言葉が無いんだけど、それくらい “F×××” は絶対にダメな超NGワードなの」
──そうなんだね。
「うちの小学生のコの学校で、お友達がふざけて “F×××”って言ったら、その場で校長室に連行されてたからね。それをあの場であれだけ連呼してたら印象は良くないよ」
──なるほど。でもさ、日本では「家族の病気のことをからかわれたら怒るのは当然」って思ってる人が多いと思うんだ。その辺りはどうなの?
「そもそも一般人だったらあんなジョークはあり得ないんだよね。配偶者の病気の事をイジるなんて日本以上に絶対タブーだし。それこそセキュリティが駆けつける大騒動になると思うよ。もちろん言った方が絶対的に悪い」
──なるほど。一般人とスターの差があるんだね。
「そう、一般的ならジョークにすらなってない。ただ今回のケースは、クリス・ロックがコメディアンで、ウィル・スミス夫妻はトップスター、しかもアカデミー賞の舞台だよね?」
──うん、そうだよ。
「アメリカには “スタンダップコメディ”ってのがあるんだけど、結構ギリギリな線を攻めて笑いを取るのよ。それこそ政治から人種差別まで幅が広いんだけど、アカデミー賞の場でウィル・スミス夫妻を対象にした発言なら、普通は笑って済ませるのがセオリーだよね」
──そうなんだ。
「そう。ちょっと伝わりにくいかもしれないけど、有名人も確かに1人の人間ではあるんだけど “有名税”って言葉がある通り、スターは自分達のプライバシーも引き換えに豪華な生活をしてるでしょ? って空気感が日本よりも強いんだ」
──ふむふむ。
「だから、一般人が相手ならクリス・ロックの発言は絶対にダメ。でもウィル・スミス夫妻は絶対的なセレブだからね。しかもアカデミー賞での発言なら、普通はジョークでおしまいなのよ。だから会場はみんな笑ってたでしょ?」
──確かに。逆に言うと、際どいジョークも笑って流せてこそのスター、みたいな感じなのかな?
「そうだね。でもさ、アメリカってスキャンダルすら余裕で宣伝にしちゃうから、個人的にはクリス・ロックもそれをわかってて言ったのかな? とも思っちゃうよね。実際にクリス・ロックのイベントのチケットがすごく売れてるみたいだし」
──アメリカっぽい。
「アメリカのショービズ界も往年の悪しき風習が改善されて、だいぶクリーンになってきたところなんだよ。今回の件は誰もいい気分にならないし、ウィルがグッと堪えて暴力ではなく言葉でやり返せていたら漢っぷりが上がったかと思うと……本当残念だね」
・許される暴力は無いのか?
──なるほどー。あとさ、殴るって行為自体はどうなの? 今はわからないけど、日本って例えばスポーツチームの監督が殴るとかあたり前の時代があったじゃん?
「あったね。私も日本にいた頃、先生が生徒を殴ってるのを見たことあるよ」
──だよね。そういうのってアメリカには無いの?
「無いね。絶対に無い。仮にそんなことがあったら即訴訟で莫大な慰謝料コースでしょ。ありえない」
──マジで無いんだ?
「無いよ。アメリカの学校って休み時間も見張りの先生が複数人いて、子供たちだけになることは無いのよ。子供たちを見守りつつ、先生たち同士もある意味で監視し合う環境になってるんだ」
──なるほど。
「州によっては、保育室で傷に薬すら塗るのを禁止されてるくらいだからね。殴るなんて絶対にあり得ない」
──ふーむ。でもさ、日本にはまだ “許される暴力”って価値観があると思うんだ。ウィル・スミスの件は日本人的に “許される暴力” の範疇だって考えてる人が多い気がするんだよね。
「あのね、サンちゃん(私のこと)。この国に許される暴力なんて存在しないんだよ」
──グヌヌ。
「言葉の暴力とは言うけれど、それでも実際に手を出す暴力とは意味合いが違うんだ。言葉だけを切り取れば、確かにクリス・ロックの発言は言葉の暴力だよ。ただ相手がウィル・スミス夫妻で、しかもアカデミー賞だからね? そこで殴っちゃったら遥かにウィル・スミスの方が悪くなっちゃうんだ」
──そうか……「許される暴力は存在しない」か……。肝に銘じよう。ただそれなのにアメリカは銃社会だよね? その辺りのバランスが全然わからねえ。
「銃については口頭で説明しても3時間くらいかかるかな(笑)」
──そうなんだね。今はやめておこう。
最も印象に残ったのは「この国に許される暴力など存在しない」という言葉。体罰がまかり通っていた時代を生きてきた私としては、深い感銘を受けた次第だ。でもアメリカってメッチャ戦争してるような……? うーむ、その辺りがよくわからん。
・価値観をアップデートするチャンス
また、クリス・ロックの発言が一般人に向けたものではなく「超有名セレブ夫妻 & アカデミー賞の舞台」というところも大きなポイントらしい。日本では「家族が侮辱された」というところがフォーカスされがちだが、例えば「(一般人が)俺も同じことをする」などの意見は無意味なのだろう。
とか言いながら、当初は私自身が「ウィル・スミスかっけえ!」と感じてたことは事実。ただし今回の件を通して「あたり前だと思っている価値観をアップデートすることの大切さ」だけは忘れてはならないと感じた次第である。一口に「文化の差」で終わらせることは簡単だが、深掘りしていけば理解できることもきっとあるハズだ。
執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.