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【意識調査】切実「SNS疲れ」の6パターン、いくつ当てはまる? 筆者の考える解決策は…

2021年7月1日

便利な反面、ときに凶器のように人を傷つけたり、大企業を揺さぶるような問題を引き起こすSNS。そこまでいかなくとも、ふと「疲れたな」と感じる人も多いだろう。

ウォルターインターナショナル合同会社が「SNS疲れ」に関する体験談を募集。どれも読み応えがある内容で、参考リンクからぜひ全文を読んでいただきたいのだが、ここでは筆者の主観で6つのパターンに分けてご紹介したい。引用部分は適宜(てきぎ)区切ったり、要約したりしている。


・その1:人と自分を比較してしまう

複数の人から出ていたのが、他人の幸せそうな姿を見ていると自分と比較してうらやましくなってしまう、という声。

新しく買ったものの写真、お出かけスポットでの楽しげな様子、美味しそうな外食、マイホームの写真などなど。


「自分が休日でもどこにも行かなかったり、最近何も買ってなかったりすると、虚しくなったりイライラしたりしてしまう」「無意識に自分も何かをアピールせねばと無理をしてしまう」「だんだん自分は何も持っていない、満たされないという気持ちが強くなってくる」などというもの。

なかでも子育て中のママから出ていた、何もかもキラキラ輝いて見えるママ友や、インフルエンサーの投稿に憧れたものの実現できず、「できない自分(を感じたり)や経済的にも恵まれている人をうらやんでしまいます」という声は切実。


「SNSで見せているのは虚構だから信じるな!」というのは簡単だけれど、気持ちはよくわかる。同性だったり同世代だったり同じ職業だったり「自分と立場が近い人」のキラキラは余計にこたえる。

とくに自分に自信がなくなっているとき、落ち込んでいるときのSNSは要注意だ。同じ投稿でも見え方が違ってくる。


・その2:もっと「いいね!」が欲しくなる

1度、予想以上の「いいね!」を集めてしまったことで、また「いいね!」をもらいたい、もっといいものをアップしなきゃ、という沼にハマってしまった事例もあった。

体験談は洋服のコーディネートだったのだが、それまで以上の金額をかけるようになり、「いつの間にか自分が何を目指しているのかが、わからなくなってしまいました」という。


多くの人の目に触れ、話題になって賞賛の声が届いたりすれば、エンドルフィンがドバドバ出るような幸福な体験になることは想像に難くない。

そして1度経験すれば、脳はそのことを忘れない。「また」「もう1度」「今度はもっと」と思ってしまう。


けれどインターネットの世界は水物(みずもの)。タイミングや運などにも左右される、流動的で予測のつかないものだ。

好きでやっていた趣味が、1度でも注目されてしまうと、逆に承認欲求がわいて苦しくなってしまうというのは切ないものがある。


・その3:投稿が義務になる

「だんだんネタ切れになってきて何をつぶやいていいのか悩む」「ツイートする話を作るために出かけたりする」「インスタグラム用にネタを考えたり写真を撮ったりするのがわずらわしい」など、投稿が義務になってしまう事例。

背景にはリアクションが欲しい気持ちや、「毎日投稿しないとリプも来ないし、私のことを忘れられてしまうような気がして」という声もあった。

ブログやYouTubeなど発信型のコンテンツでも、「頻繁に更新すること」がファン獲得の秘訣なのは周知の事実だ。しかしそれ、相当に大変。


人気職業ランキングのトップになりつつあるYouTuberだが、筆者は決してなりたいとは思わない。大金を積まれても、たぶんやらない。

好きなこと、思いついたことを実現してお金をもらえるなんて最高だという見方もあるだろうが、つねに「おもしろいこと」を思いつく(思いつき続ける)なんて並大抵のことではない。

ネタ切れや、アイディアを実現するエネルギーがわかない日もあるだろう。しかも終わりがない。

会社勤めと違ってタスクの完了も異動も退職もなく、たとえ休日でも「次のネタどうしよう」と考えていると思う。気が休まるヒマがないんじゃないだろうか。

SNSも、更新が義務になってしまうとそんな無限ループに陥ってしまいそう。自分のためでなく、ネタ作りのために行動するようになったら何も楽しくない。


・その4:リアクションが義務になる

前段とは逆で、知り合いへのリプライやリツイートが義務になってしまう事例。

日本はとかく、何かをしてもらったら、何かを返さなければならない文化。ご祝儀やご香典、結納金の半返し(地方によっては、もらった結納金を半額ほど返礼する)などなど、「どうせ返すんだったら、最初からいらなくね?」という風習も独特だ。

「和をもって……」という集団主義には美点も多いが、人に借りを作ってはならない、という精神が強いような気がする。


SNSの世界でもいいね返しやフォローのお礼コメントなど、新常識やマナーが多数生まれているようだ。

アンケートでも「複数人にコメントすることが日常化すると、それがまるでノルマのように感じられ窮屈な気持ち」「全く共感できないツイートにも反応しなければならない、疲れている日でもツイートをチェックしなければならない」といった声が上がっていた。


・その5:リアル世界の人とつながると厄介

SNS上だけのつきあいであれば、「イヤなら距離を置けばいい」「全員に好かれるなんて無理」などと割り切れるが、リアルでもつながっている人だと話は違う。

とくに実名で登録するFacebookでは「気を遣って投稿しなければなりません」という声や、「普段の生活で仲がよかった人のフォローが外れていると、現実で接するときもギクシャクしてしまいます」など、現実生活とリンクしてしまうパターンが。

高校時代の同級生とつながってしまい、頻繁に飲み会に誘われたり昔の写真を無断でアップされたりと、わずらわしいことの方が増えてしまったという事例も。


・その6:誹謗中傷や不愉快な書き込み

これは説明するまでもない。攻撃的な書き込みや、真偽不明の書き込み、マウント合戦などなど。「お金を稼げるテクニックを教えます」といった勧誘がうっとうしい、という声も。

自分に攻撃が向いていなくても、そのような投稿を見るだけで感情が動かされてSNS疲れにつながる、という声もあった。むしろ、その感性は人として大切な部分だろう。


「調子に乗った発言や悪い人間の発言、フェイクニュースにいたるまで、すべての発言が肯定されてしまうしくみ(Twitter)」や「現実離れした内容に大量のいいねがつく」現象にうんざりしてしまうという意見もあった。

創作物を投稿している人の「たくさんの褒め言葉や嬉しい言葉よりも、たった少しの否定的な言葉の方が大きく心の中に入ってきます」というのも、よくわかる。

「知らなくていい部分まで目に入ってしまう」という声も複数あり、個人の問題というよりはSNSの構造的なデメリットが示されていた。


・だれにでもある自然な感情

筆者が思うに、上記はどれも「人間として普通にもっている感情」である。嫉妬や承認欲求、否定的なコメントに傷つく気持ちなどは多かれ少なかれ、だれにでもある。なのでたぶんSNS疲れは特別な現象ではない。

逆にストレスなくSNSとつきあえる人には、コツというかポイントがあるのだろう。


物理的な対策として手っ取り早いのは、もちろんSNSと距離を置くことだ。フォローする人を減らす、見る時間を減らす、ミュートする、なんなら退会する。少なくとも「気分が落ちているときには見ない」のは効果的だろう。

「それができないから困ってるんだよ!」というときの精神的な対策としては、やはり冷静になることしかない。筆者も実践している、冷静さを取り戻すアイディアをひとつ。


SNSに限らず、人が悩んでいるときは「そこまで気にするほどのことじゃない」という理性的な部分と、「気になる、無視できない、悪い方に考えちゃう」という感情の部分が闘っている状態だと思う。そして頭の中だけで考えていると、たいがい感情が勝つ。たとえば……


【理性】この人に嫌われたって別に世界が終わるわけじゃない
【感情】この人だけじゃなくみんなに嫌われてるんじゃ……もう生きている価値がない

【理性】キラキラした日常なんてしょせん演出、いくらでも加工できる
【感情】みんな充実してるのに自分には何もない


そんなときは理性の部分、つまり「落ち込む必要なんてない。なぜなら……」を書き出してみることをオススメする。自分の感情に対する反論を書き出すようなイメージだ。手を動かして文字にすることで、理性はパワーをもつ。

余談だが昔、酒の席で他課の上司から「キミより○○さんの方が明るくて好かれている、みんなそういっている」といわれて「みんな!!!??? もう明日から仕事行けない!」というくらい落ち込んだのだけれど、筆者は書いた。

書いているうちに「みんなって何人のことだよ」「職場全員に聞いたのか?」「直属の上司とは上手くやっている、問題なし」という当たり前の事実に気づけたのだ。

まぁ、心の中ではその上司を決して許さなかったのだが。書くのが苦じゃなかったら、ぜひお試しあれ。

得るものもあるからこそ、こんなにも多数のユーザーが活用しているSNS。必要以上に疲れたり傷ついたりせず、上手くつきあっていきたい。


参考リンク:みんなの予約ナビ
執筆:冨樫さや
Photo:RocketNews24.

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