都内在住のJ子と私は月に1〜2度ほど遊びに行く仲。ともに独身という身の上もあって、気安く誘い合える女友達だ。どの程度の気安さかというと「今日遊ぶ約束してたけど、やっぱダルイからやめよっか」と言えるレベル。これはかなり気安い関係と言えるだろう。

しかしそんなJ子に対し、1つだけ言うのをためらっていることがある。それは最近カラオケへ行くたびに、決まって彼女が『ブス』という曲を熱唱する件について。こういう時、どんな顔すればいいか分からないの……。

・新進気鋭のガールズバンド

ご存知ない方のために説明しておくと、『ブス』はレッキとした曲のタイトル。『Su凸ko D凹koi(すっとこどっこい)』というガールズバンドの代表曲である。かくいう私もJ子とのカラオケで初めてバンドの存在を知った。

『ブス』の歌詞を要約すると、主人公は日々「私ってブスなんじゃないか?」と感じている20代女子。ブスであるがため、色々ソンをして生きてきた。しかし曲の中盤、彼女には初めての恋人ができる。視聴者一同「よかった」と胸をなで下ろす展開だ。

が! その男、実はとんだクソ野郎。女に暴力を振るう真正のクズだったのである。にも関わらず……自分を心底ブスだと思っている主人公は、恨むどころかDV男に対して「私を女として見てくれてありがとう」と感謝する始末なのだ。

そんな……そんな悲しい話ってあるかよ……! 世の中には「いい意味のブス」と「悪い意味のブス」とが存在するが、この曲の場合は完全に後者だ。サビはリンダリンダのごとき「ブス」の大連呼。なんと、そのまま曲は終わってしまうのである。

仮に「ブスだけど楽しく生きてるヨ☆」という内容であれば、私は「イエーイ! ブス〜!」と拳の一つも突き上げただろう。だが「こんなに悲惨なのは私がブスだから」といった歌詞である以上、断じて肯定のリアクションを取るワケにいかない


・治らないブスはない

なぜなら私は「努力で治らないブスはない」という信念を持っているから。

世の中には確かにブスもいる。でも努力を続けた人間は必ずそこから脱却できる。ただし本人が「私ってブス」と思い込んでいる場合や、努力する前に諦めている場合などがあるため、どのタイミングで気づくかがカギとなるのだが……全ては環境と本人の心しだいだ。

もしJ子が「私ってブスだから」という思いを抱えているとすれば、それはとても悲しいこと。ならば私は今すぐ彼女に伝えたい。「あなたは断じてブスではない」と。カワイくて面白くて、ついでにオシャレだと。J子、どうか自信を持っておくれ……!

でも……だからといって曲の合間に「そんなことない!」「ブスじゃないよ!」といった否定の合いの手を入れるのも、なんか違う気がするんだよなァ……。


・本人に聞いてみた

と、いうことで私はついにJ子を呼び出し、思い切って想いを直接伝えことにした。ちょっと言いづらいけど、友達(ダチ)とは何でも言い合えるもの。よぉ〜し、言うぞ〜!


「あ、あのさ! 『ブス』のことなんだけどさ!」

J子「どうしたの? あの曲、気に入った?」

「どんな顔して聞けばいいか分からなくってさ〜!」

J子「え? 普通に聞いてくれればいいけど……」

「他の人とカラオケへ行く時も歌うの?」

J子「いや、あまり仲良くない人の前では歌わないかな。変なフォローとかされたらウザイし」

「変なフォローとは?」



J子「『J子ちゃんはブスじゃないよ』とか(笑)」


私「………………」


・危ないとこやで

J子は『ブス』の歌詞に自分を重ねているわけではなかった。なんなら共感しているわけですらなく、単に「この曲すごくな〜い?」というノリで歌っていただけらしい。よって友人がカラオケで『ブス』を歌い始めた場合は……


・「イエーイ! ブス〜!」と拳を突き上げる
・「ヤベエ歌詞だったね(笑)」と素直な感想を述べる
・黙って聴く


上記いずれかの反応を示すのが正解といえるだろう。

考えてみれば人は自分の境遇に近い歌ばかりを歌うわけではない。今回は歌詞の描写があまりにもリアルだったため、無意識のうちに私は『ブス』をJ子の心の叫びと認識していたようだ。危ないとこやで!

ちなみに「こんな曲を作った人たちって、ブスなの?」と考えてしまうのが人の常だが、調査の結果、全然ブスではないことが判明した。作り手サイドとて必ずしも自分の実体験を元に作詞しているわけではない。

うっかり「J子はブスじゃない」などと熱弁しなくて本当によかった。あやうく友達を失うところだった……ってことでみんな、他人が等身大の歌を歌ったからといって、むやみに「自分の境遇と重ね合わせている」と思うのはやめような! 失礼だぞ、マジで!

執筆:亀沢郁奈
Photo:RocketNews24.