こんなの当たり前でしょ。何を言ってもそう言う人はいる。辞書を引いてみると、当たり前の意味は「だれが考えてもそうであるべきだと思うこと」だ。では、逆に聞きたい。それって本当に当たり前だろうか

海外の人に話を聞くと、普段我々が当たり前だと思っていることに衝撃を受けている場合がある。日本に住んで5年くらいになるアメリカ人はなぜか本屋にブチキレていた

・アメリカ人から見た日本の本屋の変なところ

「Why!?」と声を荒げたのは、日本で生活するアメリカ人・厚切りデイヴ(仮名)さん。本が好きなデイヴさんは、日本の本屋で非常に不便を感じた点があるという。


厚切りデイヴ「なんで日本の本屋は、同じ作者の作品なのに別々の棚に置かれてるの? 意味わかんないYO!」

──確かに、小説の文庫とかは同じ作者でも出版社別に置かれてるね


厚切りデイヴ「私は日本語できるけど、それでもどこに誰の本があるか分からない。出版社とか買い手には関係ないじゃん。外国人は本屋で本探せないよ」


──とのこと。確かにおっしゃる通り。っていうか、言われてみたら日本人でもアレ結構不便なんだよな。いっぱいある出版社いちいち正確に把握してるわけじゃないし、たまに小さい町の本屋で文庫を作者別にまとめてる店あるけど、やっぱりめちゃくちゃ探しやすいし。そこでふと疑問に思った


「そもそもなぜ出版社別で分けられているんだろうか?」


──。前述の通り、探しにくいのは日本人も同じなのである。じゃあ、この陳列方法は誰のためのものなんだろうか。

・本屋に理由を聞いてみた

考えれば考えるほどに意味がわからないため、思い切って紀伊国屋書店新宿本店に聞いてみた。なぜ文庫は作者別ではなく出版社別に分けられているんですか


紀伊国屋書店「出版社がバラバラになってしまうと探しづらいからです」


──え? 誰がですか?


紀伊国屋書店「お客様です」


──なんと書店側は「客のためにやっている」との答え。マジか。探しやすいと思ってあの陳列方法を採用していたとは……。まさに思いやりが裏目に出るパターンだ。

そう考えると、90年代の恋愛ドラマくらいすれ違っている日本の書店独自の陳列方法。時は2019年、これって本当に当たり前

Report:中澤星児
Photo:Rocketnews24.