2019年8月1日、いまからちょうど10年前のこの日、私(佐藤)が執筆した最初の記事(諸般の事情により現在非公開)が、当サイトに公開された。振り返ると、アッという間の10年。良いことも悪いことも、月日を重ねた分だけある。楽しく日々、仕事をできるのも、すべては当サイトを立ち上げたYoshioに出会ったおかげ。甚だ私的な内容で恐縮だが、10年前のあの日のことを振り返ってみたいと思う。

・10年前の今頃

有難いことに、時々外を歩いていると、「いつも見てます」や「お! ロケットニュース!」と声をかえてもらえることがある。つい先日も、数年前に新宿中央公園で声をかけて頂いた方と、電車内でバッタリお会いして、再び声をかけて頂いた。

10年前の今頃、Yoshioと出会う前の私は、そんな日が来ることなど想像もできなかった。インタビュー専門のライターになろうとしていた私は、何の伝手(つて)もない中で独立し、「ライフライター」という怪しい肩書きで仕事をしようとしている最中だった。自分のホームページを立ち上げて、誰が見るとも知らないインタビュー記事を、細々と公開していた。残念ながらその当時利用していたサーバーは、7~8年前にデータがぶっ飛んでしまって、今では見ることができない。


仕事らしい仕事を得ることができなかったので、当然ジリ貧生活。当時の体重は成人してから もっとも軽量の53キロ。旧知の人に会うと誰もが健康状態を気にするほどやせ細っていた。そんななかでロケットニュース24の「ライター募集」を発見するに至った。


・顔も知らない者同士

幸いなことに10年前のメールのやり取りを発掘することができた。彼とこんなやり取りをしている。

Yoshio 「佐藤さま (ライター募集に)お問い合わせ誠にありがとうございます。ロケットニュース24の上田と申します。佐藤様のHPは色々と拝見させていただきました! 「無名の偉人(インタビューシリーズの名前)」のインタビュー、非常に面白いですね! もし可能であれば一度お会いできればと思っておりますがいかがでしょうか。何卒よろしくお願いいたします」


佐藤 「上田様(Yoshio) お返事遅くなりました。メール頂きまして、ありがとうございます。お逢い頂けるとのこと、大変嬉しく思います。是非、お時間を頂けましたら、こちらこそよろしくお願い致します。私は、新宿の方に普段おります。いかが致しましょうか? 時間は融通が利きますので、ご指示頂ければと思います。何卒、よろしくお願い致します」


Yoshio 「佐藤さま お世話になっております。ロケットニュースの上田です。早々にご連絡ありがとうございます。明日、打ち合わせ等で新宿に行くので、もし可能でしたら明日などはいかがでしょうか? 15時~ (新宿3丁目の交差点の交番前) もし、難しそうであれば再度ご調整いたします。どうぞよろしくお願いいたします」


佐藤 「上田様 ありがとうございます。新宿3丁目交差点というと、伊勢丹の正面ですね。了解しました。15時に交番前に行きます」


お互いの顔も名前も知らなかった時代があった。そのことを、このやり取りが教えてくれている。


・新宿3丁目の交番前で

そうして、待ち合わせ日。2009年7月28日15時、新宿3丁目の交番前で初めて彼と出会う。想像していたよりもずっと若い男性が、私を待っていたことにとても驚いた。


この時、Yoshioは27歳。私は35歳だった。10年を経てYoshio37歳、私は45歳になった。


30代も中盤に差し掛かっているのに、まともに生活できない自分と比べて、Yoshioはしっかりしているように見える。何よりもここで気に入ってもらえなければ、ジリ貧を脱することができない。必死だった私は、柄にもなく明るく振る舞った覚えがある。


この時、互いに喫煙者であることを確かめ合い、タバコの吸える喫茶店行こうということになった。普段からこの界隈を通勤で歩いているというのに、初対面の日にどこの喫茶店に入ったのか、うまく思い出せない。


半分忘れてしまった記憶を呼び起こして、新宿モア4番街を歩いていると、それが「椿屋珈琲ひがし離れ」であることを思い出した。そうだ、店に入るとすぐに階段があって、上がってすぐの席に着いたはずだった。


・1記事1000円

ロケットニュース24で記事を書き始めた当時のことを振り返ると、私は「金がなかったこと」と「必死だったこと」しか覚えていない。とにかく貧乏で、ほぼ毎食100均で買ってきた乾麺のそばを食べていた。家の近所の『牛丼太郎』で500円の得々セットを食べるのが、たまにできる贅沢。時々ムショーに甘いモノが食べたくなって、コンビニでスイーツを買うことに、根拠のない罪悪感を覚えたものだ。

外部ライターで入った私は、記事を書けば書いた分だけ原稿料を得られ、貧しさから抜け出せる。だから良いも悪いもなく、求められたことには応えようと思い、何でもやるしかなかった。


佐藤 「あの時やっと生きられるって思ったよ。1本1000円(サイト立ち上げ当時)の原稿料が、猛烈な救いになった。月に100本書けば10万か、やったぜ! って思ってよ。マジで。100本も書ける訳ないのにね(笑)」


Yoshio 「今だから言うけど、その1000円ねん出するために、こっちもいっぱいいっぱいだったよ。最初はうちも無名サイトだったし、ただ記事を公開してるだけだったから、パチンコでその1000円を工面してたんだよ(笑)」


・タクシーで帰らせてくれた

いまだに思い出される、2010年6月の「iPhone4行列」での出来事。3泊4日、たった1人でソフトバンクショップ表参道に並んだ挙句、ドコモの通話料を払っていなくて、ソフトバンクに乗換できず、私はiPhone4を購入できなかった。4日も外で過ごしたというのに……。

この時私は、購入できなかったクセにYoshioに電話をして「タクシーで帰らせてくれ」とお願いした。


彼はこの時、タクシーで帰ることを許してくれた。本当は断りたかったはず。なぜなら、1000円の原稿料を出すのにも苦労していたというのに、タクシー代は負担になったはずだ。とにかく何をやるのにも必死だった。


・またここでこうして

その時々に課題や問題はあり、この10年間だけを見ても、これまでの道のりは穏やかではなかった。きっとこの先も、それは変わることはないと思う。日々の課題と1つひとつ向き合いながら、またこの先の10年、1歩1歩あるいて行きたいと思う。そして2029年になったら、またYoshioとここで写真を撮りたい。


執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24
Screenshot:Gmail

▼おまけ。10年前、Yoshioが私のアパートに来た時に、芳香スプレーをプレゼントしてくれたことがあった。なぜか私はそれをいまだに持っている

▼「なぜ、あれをくれたの?」と尋ねると、彼は「わからん」という。きっと私か、私の部屋が臭すぎたんだと思う