人間、本当に美味しいものを食べたときは無言になるものである。「美味しい」とか「ウマい」とさえ言わない。言葉を発する余裕がない。ただひたすら、目の前にある食べ物を口の中に送り込みたい。それ以外のことを、今は一切したくない……。

──という気持ちになったことが、私は何度かある。その中で、今も記憶に焼き付いているものが、今回紹介する「帯広の豚丼」だ。ちょうど本日2月10日は『豚丼の日』なので、当時の体験を紹介したい。

・豚丼に関する誤解

あれは今から20年ほど前のこと。私は札幌の大学に通う大学生で、あるとき、部活の先輩や同期と一緒に道東まで旅行に行くことになった。

摩周湖を見たり、湿原をさまよったり、羅臼あたりのどっかの露天風呂に入ったり……と、特に目的のない旅行ではあったのだが、大きな楽しみの1つは「現地の美味いものを食う」である。

当然ながら、メインは魚介類。釧路や根室に着いたら、あわよくば安くて美味いウニを……! もし予算的に可能であれば、海鮮丼も……! あと、六花亭の本社がある帯広では、何たらショップで甘いものも……!!

などと考えているときに、私の中で完全に盲点だったのが帯広・十勝地方の名物「豚丼」。盲点というより、「眼中になかった」と言ってもいい。そのときの本音をそのまま書くと、こんな感じだ。


「名物が豚丼って(笑) 牛丼より格下やん。こっちは吉野家の牛丼を週3で食べてんねんから、わざわざ豚丼を食う意味がわからへん(笑) せっかくの旅行やで? もうちょっと頑張ってええもん食べようや……」


──というように、当時の私にとっては、肉系の丼ものといえば吉野家などの牛丼チェーンしかなかった……というかそれ以外を知らなかったために、吉野家の牛丼をもとに、「十勝の豚丼」をイメージしていたのである。

もちろん、吉野家の牛丼や豚丼が決してダメというわけではない。むしろ、個人的には今まで何杯食べたか分からないくらいお世話になっている。大好きな味だ。しかし、「旅行先で食べたいか?」と聞かれたら、「そうではない」というのが正直なところであった。

したがって、帯広の豚丼だけは完全にスルーしていたのだが、一緒に旅行に行った誰かが「帯広で豚丼を食べよう」ということを言い出し、私も仕方なく食べに行くことになった

残念ながら、その時の店名は覚えておらず、写真も撮っていない。たしか帯広駅の近くにあるお店で、最初に入ろうとしていた店が満員だったから、空いている所に入った的な感じだったと思う。


適当に選んだ店で、豚丼を食う。──私の期待値は限りなく低かったのだが、お店に入ったときから「いつもの牛丼とはちょっと違うっぽい」というのを何となく感じていた。

炭がパチパチ弾ける音と、豚肉の焼ける香り、周りのお客さんの反応……なんか違う。何なら値段も吉野家の牛丼の3倍以上している。明らかに違う! そう思いながら、運ばれてきた豚丼を口に運んだら……


……

……

……

……

……

……


何も喋れなかった。ただ無言で食べていた。何なら、食べた後も無言であった。


・人生で最高の丼だった

それにしても、旅行中に食べた魚介類のことは今やすっかり忘れてしまったのに、まったく期待していなかった豚丼だけは20年近く経っても忘れられないのだから、不思議なものである。

それはきっと、単純に豚丼の美味しさに驚いたからだけでなく、自分が誤解していたことを知ったからであり、吉野家以外の世界があることを知ったからであり、超絶狭い井戸からジャンプしたら少しだけ外の海が見えたからだろう。

ちなみに、帯広で豚丼を食べて以降、私は豚丼屋チェーンを見ると進んで入るようになり、美味い店もいくつか発見したものの、あの日に帯広で味わった衝撃を超えるものにはまだ出会っていない。

執筆:和才雄一郎
Photo:RocketNews24.

▼余談だけど、文中にある田園の画像は、以前に紹介した「富良野のジェットコースターの路」だよ

▼もう1つ余談だけど、十勝豚丼のタレで豚丼を作ると美味しくできる