それはある晴れた日のことだった。冬も明けきらぬ肌寒い風が吹き抜けるなか、私(佐藤)はポケットに手を突っ込んで伏し目がちに街を歩いていた。アーケード街は、ランチの慌ただしい時間をすぎて落ち着きを見せている。飲食店は一度暖簾をしまうようなタイミングだった。

いつものように何気なく放屁しようとしたその瞬間! 音だけして “気体” が抜けていくはずが、抜けていかない。いや、出たのは気体ではなかったようだ。まさか44歳にして、歩きながら便を出すとは、夢にも思わなかった……。しかしながら、その瞬間に私は新しい境地に到達した気がした。もしも漏らしてしまったら、最初にこの一手を打つべきだ!

・サインの見間違いではない

先に申し上げておこう。今回の便は完全に事故だ。というのも、いつも通りの放屁の合図だったからだ。間違いない。あれは、「気体が出ますよ」というサインだったはずである。断じて、私がサインを読み間違えたのではない。

それがどういう訳か、お尻の力を緩めた瞬間に “固体” が出しゃばってきたのである。モリっとパンツにぶち当たる感触がする。あってはいけない物体がそこにある。だが、私は歩を止めなかった。立ち止まっても始まらないからだ。

・30年前の敗北感

振り返れば、私が初めて便所以外で便を漏らしたのは小学校2年生の時。当時、私の家族が住んでいた家は、フェンスを乗り越えると近道できる場所にあった。ある日、私は1人で下校している途中で猛烈な便意に襲われたのだ。近道して帰るつもりだったのだが背丈が低く、フェンスを乗り越えるだけの筋力もない。

そこで、フェンス下の隙間を何とか通り抜けようとしたその瞬間……! うつ伏せのまま便意に耐えることができなかった……

あの時の敗北感は幼き日の私の心に大きな傷を残し、現実の厳しさと冷たさをまざまざと思い知らされた。這いつくばってフェンスをくぐり、服の袖で何度も何度も涙を拭っていたことを私は昨日のことのように覚えている。


・今は歩いている!

だが! それから約30年を経て、私も立派な大人になった。もう多少の便にビクビクすることはない。何より今、便を漏らしながらでもこうして歩いているじゃないか!

・うろたえることはない!

幸い、私は便をパンツのなかで完全に制圧している。もはや、ヤツはこれ以上身動きを取ることはできない。可及的速やかに帰宅して、パンツから便を排除すべく、速足で歩いた。若き日の私であれば、うろたえて立ち止まっていたかもしれない。事態に狼狽して、頭を垂れていたかもしれない。しかし……

40代は違う! 便ごときに負けるものか。いや、便を漏らしたからって何だッ! 人に迷惑をかけることなく、迅速に対処すれば済む話。まして、オッサン1人が便を漏らしたところで、誰が嘲り、誰が憂う。誰もこんなオッサン1人、気に掛けるはずもないだろう。

そう考えたら、ますます心が落ち着き、事態に冷静に向き合うことができた。


・立ち止まるな、歩け!

このあと約30分ほど歩いて無事に家にたどり着き、パンツをトイレットペーパーでしっかりと拭き、手洗いした後に洗濯することに成功。そのまま自分はシャワーを浴びて、スッキリ爽快な気分を得ることができた。

私は今回の経験を通して、身に起きる問題の対処について学んだ。ほとんどの場合、問題に対して速やかに対処することなく、悶々と考えているばかりのような気がする。躊躇して立ち止まっている間にも問題は進行し、事によっては悪化していく可能性もある。

しかし今回のように、立ち止まることなく歩き続けていれば、事態の悪化を抑えることができるだけでなく、解決に近づいていくことができる。皆さんももし便を漏らしてしまった時には、立ち止まることなく歩き続けて欲しい。まずはそこからだ。きっと答えは見つかる!

Report:佐藤英典
Photo:Rocketnews24