男の乳首って、何のために付いてんの? ——恐らく、男性ならば誰もが1度はこんな話を友人たちとしたことがあるはずだ。 そして “男の乳首問題” が話題にのぼるとき、その場は独特の熱気で包まれるものである。
ある者は「絶対にいる!」と声高に叫び、ある者は「不要だ!!」と拳を振り上げる。男たちの “乳首観” がぶつかる議論は朝まで生討論できるほどアツいが、そんな永遠のテーマに、今回はなんと現役のお坊さんが答えてくれたぞ。
・現役の僧侶が回答
相談に乗ってくれたのは、現役の曹洞宗の僧侶であり、大学の講師でもあり、カルト問題の研究・啓発活動もしているという天神九十五さん(Twitter のアカウント名)。ちなみに、以前に本サイトで「幸福の科学に関する際どい質問」にも答えてもらった方だ。
そんな天神さんに「男の乳首はいるのか?」という俗っぽさ全開の質問をぶつけてみたところ……仏教の歴史に絡めた “深イイ回答” が返ってきたので、そのやり取りを以下で紹介したい。
私 :「率直にお聞きします。男の乳首は必要だと思われますか? ちなみに、私は絶対にいる派で、『乳首なんて不要』と言っている人は、乳首のポテンシャルに気づいていない、あるいは気づく努力をしていない人だと考えています」
お坊さん:「あって困るものではないと思いますから、あること自体に問題はないと思います。例えば、奈良の東大寺・南大門にある仁王像を見てみて下さい。あの仁王像は大仏師だった運慶などが中心になって作られたものですけれども、ちゃんと乳首が付いています。
もし、見たことがないという人がいれば、一度は奈良に行って見てみると良いでしょう」
私:「東大寺には何回か行った記憶がありますが、仁王像の乳首には注目していなかったです。それにしても、南大門にある仁王像に乳首がついているということは、古来から “男の乳首は必要” と考えられていたということでしょうか?」
お坊さん:「ただ、東大寺の大仏は盧舎那仏(るしゃなぶつ)という仏さまなんですけど、その大仏を見ますと……乳首がないような気が?」
私:「えええええええええええ! だったら、やっぱり男の乳首は不要ってことですか!? そんなあぁぁぁぁぁぁ……!!」
お坊さん:「いやはや、なんとも難しいものであります。ただ言えるのは、仏教的に問題になるのは、乳首よりも男性器です」
私:「やはり、そっちですか」
お坊さん:「こちらは性欲の源であると考えられ、江戸時代あたりまでは、自らそれを切り取るという荒行をした僧侶がいました。例を挙げると、黄檗(おうばく)宗の了翁道覚(りょうおうどうかく)などですね」
私:「了翁道覚! ついググってしまったのですが……自分の乳首を切り取ってても何ら不思議ではない荒行をされてるのですね」
お坊さん:「それに、お釈迦様のお身体には32個の “優れた特徴” があると考えられているのですが、その一つが男性器にまつわるものです。『陰馬蔵相(おんめぞうそう)』と呼ばれており、お釈迦様の男性器は体内に隠れて見えなくなっているという話があります。
そのような話からすれば、乳首は大したモノでは無いと言えましょう」
私:「なんか、仏教絡みの乳首&男性器エピソードはめっちゃ深いっすね……」
——以上である。
結論を言うと、「男の乳首が必要か不要かは何とも判断が難しいが、仏教的には乳首より男性器」ということだ。どうだろう? 思わず「ハッ」としたのでないだろうか? 納得した人が多いのではないだろうか?
とにかく、今後「男の乳首は必要なのだろうか?」ということに頭を悩まされることがあったら、思い出して欲しい。それよりもっと大事な問題があるということを! そしてその1つは、パンツの中に眠っているということを!!
協力:天神九十五(ブログ/ Twitter)
Report:和才雄一郎
イラスト:稲葉翔子
Photo:RocketNews24.