世の中は、「どうでもいいこと」にあふれている。だが、そんな「どうでもいい」の一言で葬り去られていく出来事は、はたして本当に「どうでもいいこと」なのだろうか? むしろ、大事なことを見落としてはいないだろうか?
もし見落としていたら大変だ。人生損をしないためにも、いま一度、日常の「どうでもいい」と思われがちなことに目を向けてみようと思う。例えば、ガラガラの電車であえて隣に座ってくる人がいるが、あれは一体何なのか。どうでもいいけど考えてみた。
・ガラガラなのに
興味深い話を聞いた。人が電車の中でイライラすることの大半は、自分の領域を侵略されたことによるものらしい。そういわれてみると、私(DEBUNEKO)も一つ思い浮かぶことがある。それは、空いているにもかかわらず、ぴったり隣に座ってくる人だ。
混んでいる電車であれば、隣に人が座っているのは当たり前。だが、空いているガラガラの電車となれば話は別だ。内心「そんなくっつくなよ……」と思っているのは私だけじゃないはず。いや、私だけなのだろうか?
・周りの意見を聞いてみた
【ガラガラに空いている電車でピッタリ横にくっついて座られること、たまにありますよね?】
1)嫌ですか? 気になりませんか?
『気にならない』 → 2名( K.Masami、楠川傘)
『気になるが嫌ではない』 → 5名(麟閣、小千谷、あひるねこ、砂子間、こやぎ)
『嫌だ』 → 4名(原田、せいじ、K.ナガハシ、DEBUNEKO)
回答数 11人中、7名が「気にならない」もしくは「気にはなるが嫌ではない」と回答。完全に拒否反応を示したのは、筆者である私を含めた4人にとどまった。では、「気になる」人も「気にならない」人も、くっつかれているのは何でだと考えているのだろう?
2)あえて隣に座ってくるのは何でだと思いますか?
「混んでくる事を考えて詰めて座ったのかな?」(気にならない・楠川傘)
「詰めて座る、という癖なのでしょうか!?」(気になるが嫌ではない・こやぎ)
「 “気にしない人” なんだろうな~と思います」(気になるが嫌ではない・小千谷)
「寄って来る人はなにかしら理由があるとは思います。私は長い間中国で暮らしていたので、そういう状況になったら貴重品を意識します」(気になるが嫌ではない・麟閣)
「何か目的があるのではないかと思う。世の中いい人ばかりとは限らないので」(嫌だ・原田)
「鼻くそほじりながら新聞読んでるおじさんだったら、ただ意味もなく隣に座ったのかな? もし、綺麗な女性が、太ももとか肩を異常に密着させてきたとしたら……誘惑か?」(嫌だ・K.ナガハシ )
「変わった人だから。もしくは、1つ空けて座ろうとしたら、シートが汚れていて避難してきたのでは」(気になるが嫌ではない・あひるねこ)
「変な人だからだと思います」(嫌だ・せいじ)
──なるほど。
誘惑やシートの汚れを予想する者・ただ単に女性だと喜ぶ者・スリを警戒する者・変な人だと断定する者など様々だが、総じて「気にならない」人や、「気にはなるが嫌ではない」と回答した人ほど、くっついてくる理由に対し柔軟な想像をし、理解を示しているのがわかる。
中でも印象的だったのは、「混んでくる事を考えて詰めて座ったのでは?」という回答。これはまさに日本の道徳的な考えだ。こういった回答を見ると、「なんであえてこっちくるんだヨ!」と思う私はかなり小さい人間に見えてきた。
・複雑なキモチ
不思議なもので、混んでいればいるほど、確保したい個のスペースは小さくなる。対して、空いていればいるほど、確保したい空間は広くなってゆく……。当たり前といえば当たり前だが、空間が広がると心は狭くなるというのはなんとも不思議。「嫌だ」と答えた人ほど、こう感じる傾向が強いのではないだろうか。
・私の心が狭い
そんなこんなで、「どうでもいい」ことを追求した結果、私は比較的心の狭い人間であるっぽい、という結論に達することができた。この結果は非常に残念に見えるが実は違う。ひるがえせば私は、心を広く持つきっかけを得たのだから。
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