
私(佐藤)は無駄に職歴を重ねている。自慢じゃないが両手に余るくらい、職場を転々としてきてしまった。何事も長続きしない だらしない性分。おかげで見なくても良いものまで随分とこの目に焼き付けてしまった気がする。
今回は高級レストラン専門の派遣に勤めていたときのことを、お伝えしよう。高級店には結婚式がつきもの。週末ごとにウェディングをやっているというお店もあるだろう。あの日あの時見た、あの結婚式は当時のスタッフのせいで台無しになってしまった……。あのご夫婦が今、幸せに過ごしていることを願う……。
・高級店で重宝される派遣
フレンチやイタリアンに派遣スタッフが入っていることを、知らない人も多いかもしれない。飲食業界は常に人手不足。特に高級店ではいまだに厳しい徒弟制度が根付いているため、人がまったく育たない。専門学校卒で店に入っても、厳しさのため長続きしない人が多いのである。
・会員制クラブのレストランで
そうは言っても営業は続けなければならない。そこで重宝されるのが派遣スタッフだ。ある程度飲食店で経験を積んで、派遣に転じるということも珍しくない。私は都内のそこそこ有名店と提携している会社にバイトで入った。通常はいきなり店舗に常駐するようなことはないのだが、なぜか私はいきなり会員制クラブの店舗に常駐することになる。
・経営難でホール全員退社
最初から常駐になったのには訳があった。実はそのお店は経営状況が大変悪く、仕入れもままならないような状況。普通のお店なら潰れてしまうだけなのだが、会員制クラブであったため会費を払っていた会員から不満が爆発。「何としてでも経営を維持しろ!」という要求を突きつけられて、何とか維持していた。だが、そこのホールスタッフが全員辞めてしまったため、経営者は急きょ我々派遣に依頼したのである。まあ、当時そんなことは知る由もないのだが……。
・気性の荒いシェフ
ここの職場環境は最悪だった。ホールスタッフは派遣チームで何とかなったのだが、中心的な厨房スタッフが外国人。シェフ・副シェフがイタリア人で結構適当。特にシェフは営業中にバックヤードで寝ていたりしたのである。このシェフはすぐに解雇、次に来たイタリア人シェフは猛烈に気性が荒かった。
・ヤンキー上がりのマネージャー
クラブはせめて営業に支障が出ないようにするために、マネージャーとして日本人スタッフを雇った。こいつがどう見てもヤンキー上がりで、レストランのサービスなど全然知らないような輩。まあ、見たままの通り気性が荒かったのである。イタリア人シェフを仮に「ロドリゲス」と名付けよう。そして日本人マネージャーを「ヨタロウ」としておこう。
・忘れられない屈辱
とにかく店には金がなかったが、綱渡りのような状況で日々の業務を行っていた。ここで私は忘れられないような屈辱的な出来事に遭遇している。それはクリスマスの時期に、店に金がなさ過ぎてシャンパン1本も買えなかった。そんなのでよく営業をやってたなと、今振り返っても背筋が凍りそうだ。
シャンパン1本ないことに苛立ちを募らせたある会員が、1万円札を差し出し「お前、買って来い」と言ったのである。当然だ、客が欲するものを与えられない店など、何の存在意義がある。この会員の行動は当然だったと思う。自分のせいではないのに、猛烈な敗北感を突きつけられた気がして、本当に悔しかった。とりあえず、その場は買いに走り、屈辱に耐えた。
・最悪チームで臨む結婚式
そんな店でも大きな実入りがあることがある。それが結婚式だ。一度の営業だけで、普段の倍以上の売り上げが上がる。断る理由はなかった。お店も経営者も大助かり。しかしチームワークは最悪だった。最低だった。ロドリゲスとヨタロウは反目し合う仲であり、我々ホールスタッフと厨房スタッフの意志の疎通はイマイチ。これで果たして人様の人生の門出を祝福してあげることなどできるだろうか?
・新郎新婦から両親へサプライズ演出
その夫婦の結婚式にはサプライズ演出が用意されていた。新郎新婦は式を挙げられなかったというご両親も祝福したいと、こっそりケーキを用意していたのである。自らのケーキ入刀のタイミングで、ご両親のケーキも登場し、一緒にケーキ入刀。家族がひとつになる素晴らしい演出だ。きっと参列者からは満場の拍手と共に「おめでとう!」の言葉と、フラッシュの嵐になるに違いなかった。
・スタッフにとっては戦場
式当日を迎え、何とかスムーズに進行を続けていた。通常結婚式はコース料理であり、厨房は所狭しと料理やら皿やらが並べられて身動きできないほどになる。一方のホールは料理を出したり皿を下げたりで、そこら中、駆けずり回ることになる。平たく言えば戦場だ。戦いである。
・ロドリゲスとヨタロウ、喧嘩勃発
順調に事が進んでいるかと思ったら、ロドリゲスとヨタロウが何やら言い合いをはじめ、ヨタロウが持ち前のヤンキー気質で言ってはいけないことを言った。
「俺の言うことが聞けねえのか! ぶっ殺すぞッ!!」
・包丁を持ち出しやがった!
ヤツの正確な年齢を覚えてはいないのだが、たしか35・6だったのではないかと記憶している。いい大人なんだから、やめなさいよ。私は心のうちで思っていた。「仕方ねえな」みたいなことを誰かが漏らしたのだが、仕方がないでは済まないことになりそうだった。
ロドリゲスは何を思ったのか、厨房から包丁を持ち出したのである。今、ホールでは幸せいっぱいの2人とその家族や友人がいるというのに……。ここは戦場ではなく、地獄になろうとしていた。
幸いすぐに、イタリア人の副シェフが「お前いい加減にしろ」とか何とか言って、その場を収めることに成功した。あのまま頭に血が上ったままだったら、どうなったことか……。喧嘩は式が終わってからにしてくれ。できることなら警察の前まで行って、思う存分に殴り合えばいい。
・静かに終われ……
料理はメインディッシュまでが出切ったところ。あとはケーキカットの後にそのケーキを切り分けてデザートにするという算段。よしよし、このまま静かに終わればいい。
・準備完了
さて、最後のサプライズ演出が差し迫ってきた。ホールスタッフがワゴンでウェディングケーキを運び、会場からはワア! という歓声が聞こえる。ここで記念撮影。みんなの笑顔が大変に眩しい。カメラのシャッター音が聞こえるなか、厨房ではサプライズケーキの準備が整っていた。
・俺が持って行く
女の子のスタッフが裏の廊下を通って、ステージの真横から登場する予定だったのだが……。どういう訳かヨタロウが「俺が行く」と言ってケーキを持って行ってしまった。まあ、お店のマネージャーとして、良いところを見せたい気持ちはわかるけど。「ケーキを運ばせるくらいならいいか」、ホール一同、司会者も含めて納得した。
ところが! ヨタロウが猛烈なスピードで走って戻ってきた! 手にはケーキを持ってないッ!
ステージにもご両親用のケーキは出ていない。したがって、新郎新婦はケーキ入刀のタイミングを待っている。いくぶん笑顔が引きつっているように見える。まずい! 何かが起きた!! 早くケーキを出して、新郎新婦とご両親、みんなでケーキカットさせないとッ!!
・衝撃の光景
ヨタロウは血の気の引いた顔をして、厨房に駆け込んでいく。私はヤツが走ってきた方向へと行ってみた。するとそこには、ご両親に出すはずのケーキが廊下に転がっていたのである……。転んだらしい……。厨房からは「ケーキを作れ!」という叫び声が聞こえた。
・その場は平静を保ったが……
幸い司会者が機転を利かせ、新郎新婦とご両親はウェディングケーキに一緒に入刀し、なんとかその場の画は保った。記念写真としては、そこまで変な感じではない画だ。だが、新郎新婦の怒りは頂点に達し、後日関係者が平謝りする騒ぎになったのは言うまでもない。一生に一度の思い出が……。
レストランウェディングをお考えの方は、そのお店の人間関係が円満かどうかも推し測った方が良いと思う。ロケーションが~とか、料理が~とか、演出が~とか言う前に、祝福できる心構えがあれば、それだけで十分良いお店である。店の規模なんか全然関係ない。マジで。
執筆:佐藤英典
イラスト:Rocketnews24
佐藤英典
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