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生きていれば、緊張する場面に出くわす機会はいくらでもある。例えば、結婚式などで慣れないスピーチを披露しなければならないとき。例えば、ミスを犯して客先に謝りに行かなければならないとき。例えば、意中のあのコに愛を伝えるその瞬間……。

吐きそうになることも、冷や汗が止まらないことも、誰かに聞こえてしまうのではないかと思うほど鼓動が激しくなることもあるだろう。だが、それらの緊張は理由がわかるし、経験を重ねれば少なからず慣れていくものである。だがしかし……。

理由がわからず、慣れようもないのが、路上で50mほど先に知り合いを見つけ、お互いに気付いてしまった瞬間からすれ違うまでの、“あの緊張感” である。

・例えば……

あなたが社会人だとしよう。会社の近所のコンビニまで歩いて出るとする。特に何を考えるでもなく、コンビニの看板が徐々に大きくなってきて、残りはあと50mほど……。すると、会社の同僚がコンビニから出てきて、こちらに向かってくるではないか……。あの気まずさ、緊張感といったら……!

もちろん、特別な関係は無いただの同僚である。社内では幾度となく顔を合わせている、いつもの同僚。それなのにすれ違うまで、どういう顔をすればいいか、どこに視点を合わせていいのかすらわからなくなるのは一体なぜなのか?

・いくつかのポイント

ポイントはいくつかある。まず、『普通の自分になれない』ことだ。相手の存在に気付く1秒前まではいつもの自分だったのに、どう表情を作ろうとしてもぎこちなさ全開。普通にしようと思えば思うほど、違和感アリアリ、ともすれば挙動不審にすら見える表情になってしまう。

そして『声が届かない距離』であるということ。5m先の角からバッタリ知り合いが出てきたら、「ビックリした」「お疲れ様です」などとリアクションが取れる。しかし、通常の音量では声がギリギリ届かない中距離以上になると、途端に気まずさがにじみ出てくるのだ。

人間関係は基本的に関係ない。あるとすれば、『他人かそうでないか』である。親や親友、仲の良い人であれば、緊張感とは違うものの、「どんな顔をしていいかわからない」のは同じだ。他人以外、つまり顔見知り以上の知人であれば、相手を選ばず、あの緊張感はやってくる。

・答えはわからない

明確な答えを導き出すのは難しいが、これだけはハッキリしている。やはり人間最大のコミュニケーションツールは『声』だということ。「目は口ほどに物を言う」といっても、声さえあればある程度の緊張感は解消できる。逆に、沈黙は人を緊張させる。

そして、考えれば当たり前なのだが、『意識的に素の自分は作れない』ということだ。バッチリとキメたつもりでも、普段の自分が周囲にはどう映っているかはわからない。その恐ろしさもまた緊張感を生み出す。

こうして、こちらは「緊張」×「緊張」でハラハラだ。ところが相手は普段通り。全く緊張している様子はなく、微笑みかけてくることもある。あれは一体なんなのか? そう見えるだけで相手も緊張してるのか?  答えは分からない……。

Report:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.

▼なぜなのか?
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