ロケットニュース24

【コラム】なぜ一度でも大便を漏らしたことのある人は「大便を漏らした人」に優しいのか

2013年3月21日

donmind

あなたは人前で豪快に大便を漏らしたことがあるだろうか? 「赤ちゃんの時に」なんて愚答は受け付けない。オムツが取れ、幼稚園や保育園の集団生活に身を投じてからの話である。「パンツに少し付いた」なんて愚答も受け付けない。豪快に、ダイナミックに、だ。

時として人は大便を漏らす。大勢の人がいる公共の場や、列車の中などで漏らしてしまったという人も数多い。至近距離なら臭うかもしれない。迷惑といえば迷惑だ。だが、その光景を見たり聞いたりしても、広い心で「許してやれ」と優しい反応を示せる人も大勢いる。あれは一体なんなのか。

今回は結論を先に書いてしまいたい。「大便を漏らした人」に優しい人、それは、自らも「大便を漏らしたことのある」経験者である可能性が極めて高い。大便漏らしの光景を目の当たりにし、過去に起こした自らの大便漏らしメモリーがフラッシュバック。過去の自らの姿と重ね合わせているわけである。


「なんかくさくね?」「くさーい」「だれかウンコ漏らしてね?」「誰だよ」「あっ!」「わーーーーっ!」「うんこもらしだーっ!」「クソッタレ、クソッタレ!」……なんて鬼のようなこと、口が裂けても絶対に言えない。彼は漏らそうと思って漏らしたわけじゃない! 許してやれよ! 人間だろう!!


漏らした人は、おそらく「見ないで……見ないで……」と思っているはず。頼むから「知らないフリ」をしてほしいと思っているはず。心は地獄の果てにあり、「神様なんていない」と思ったりもしているはずだ。そう、私が幼年期にクラスメイトの目前で豪快に下痢便を漏らしたときのように。


決して “わざと” 漏らしているのではない。肛門である3塁コーチが「止まれ!」と言っているのに、それを無視してホームベースへ突進していく大便ランナーのごとく、監督(本人)の意志に反して漏らしてまうのだ。当然ながら結果はアウト。だが、そんな時に戦犯を探してどうなるのか。かけるべき言葉は「ドンマイ」であろう。


人は誰だってミスをする。完璧な人間なんていやしない。誰にでもありうる人生の危機、それが豪快なる大便漏らしだ。もしかしたら、自分だったかもしれない。明日、漏らすかもしれない。そう思うと、他人の大便漏らしにも「許してやれ」という気持ちになり、不思議と心が広くなる。


もしも、ここまで読んでも「大便漏らしは許さない」という人がいたら、是非とも一度、大便を豪快に漏らしていただきたい。そして、大便漏らし時の「なんともいえない悲しい感情」を味わっていただきたい。できることなら、ミスが許される若いうちにやっておいたほうがいい。


よく学校の先生は、「今のうちに、どんどん失敗しておけ!」と言っていた。「いろんな経験をしておけ!」とも言っていた。心が荒みがちな現代の日本社会、成人になるまでに、一度くらいは漏らしておくべきなのかもしれない。辛い経験が人を優しくするのだから。

執筆:GO羽鳥
GOさんのシリーズコラム『あれは一体なんなのか。
イラスト:マミヤ狂四郎「ドンマイ急行」より

▼かけてやる言葉は「ドンマイ」だ

モバイルバージョンを終了