非常にまずい事態におちいっている。それは……ただただ、褌(ふんどし)が恋しいのである。

男の中の男の祭「蘇民祭」に向けて、ふんどしに明け暮れた数週間。最初こそ「恥ずかしい」という気持ちがあったものの、一度ふんどしを締めてしまったら、もう元には戻れない。以前もコラムで説明したが、ふんどしを締めているとビシッとした気合いが入るのである。心が熱くなるのである。シリから熱くなるのである。

衣に軍と書いての「褌」。ふんどしは男の戦闘服であるということも以前に説明したが、まさに気持ちが戦闘モードに入るのである。そこに川があるならば、「ジャッソー! ウォーッ! ジャーーーッソォラーーーッ!」とバケツで冷水をかぶれるパワーが宿ってくるのである。

いま私(記者)は、ボクサーパンツを履いている。それが普通だ。いつもそうだった。だが、無性に物足りなさを感じてしまう。特に、オシリのあたりに、漠然とした物足りなさを感じてしまうのだ。何かが足りない。何かが……。

……いや、その答えは「締め付け」なのだが、たとえTバックをはいたとしても物足りないだろう。あのふんどしの「キュキュッ!」とした締め付けには、何を持ってきても太刀打ち出来ない。

ふんどし無きいま、私の気合いは抜けている。ふぬけもいいとこ、こんにゃく野郎もいいところである。それはまるで、武装解除されたサムライのような……攻撃できない軍隊のような、戦(いくさ)のない戦国時代のような、そんな感じなのである。

「だったらフンドシつければいいじゃん」と誰もが思うだろう。だが、そういうわけにもいかないのだ。ふんどしを付けると、用を足すときにけっこう手間取る。あまり詳しくは書かないが、いろいろやっかいなことになるのである。褌マスターの域ならば、「あらよっと」と余裕しゃくしゃくで用足しできるのかも知れないが、褌ビギナーの私にとって、褌トイレは難易度高いのである。

次に威風堂々と褌になれる日はいつ来るのだろうか。違和感なく「男」になれる日はいつ来るのだろうか。いつか来るふんどしing(フンドシング)の日に向けて、ヒップアップトレーニングは怠らないようにしたい。男はふんどし、男はケツ。今のうちに褌友達(ふんとも)を見つけておくと、イザという時に心強いぞ。
(文=オリュンポス豪

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