最近、当サイトのメンバーに新しい仲間が加わった。ショート動画の編集制作を担ってくれる、ぱちょさんである。彼は和歌山県在住の18歳。うちの記事をショート動画にしていたことをきっかけに、私が和歌山まで会いに行って、制作を手伝ってくれることをお願いした。

51歳の私とは親子ほどの歳の差があり、彼を見ていると若き頃の記憶がよみがえってくる

実際私は彼くらいの歳の頃、何を考えていたのだろうか? 幸い、古い日記が手元にあったので、その頃に綴っていた内容を読み返してみたところ、私は今とは比べ物にならないほど内向的で暗い人間だったことを思い出した。そして、歳と共に失ったものがあることに気づかされた。

・眩しく見えたわけ

ぱちょさんとは、実際に会うよりも前に何度もメールのやり取りを重ねていた。その文章から彼が若いことはなんとなく感じ取っていたのだが、まさか今年高校を卒業したばかりとは、想像もしていなかった。


会ったその日に2人で街を散策するなかで、私の心は10代に戻って、青春の光を再び携えた気分になっていた。懐かしさのあまりに、思わず涙が出そうになったほどだ。

感極まったのはきっと、私がすでに失くしてしまった何かを、彼に見たからではないだろうか? もう戻ることはできない、もう2度と得ることはできない。あの頃からずっと遠くに来てしまったことに気づかされて、本当は悲しかったんじゃないのか?

私が失ったものは……。


彼と同じくらいの歳の頃の私は、ひねくれ者の扱いづらい人物として、仲間内では「めんどくせえヤツ」と認識されていた。実際、私も自分自身のひねくれに辟易(へきえき)としており、自分を好きではなかった。というか嫌いだった、大嫌いだった。

大人たちはそんな私を可愛がってくれたけど、からかわれている気がして、大人たちも嫌いだった。あの頃の大人たちがよく言っていたことがある。


「お前は若いから、何でも経験だ」
「俺が若い頃は、もっとがむしゃらだったぞ」
「1億稼ぎたかったら100万得られればいい方だ。だからやり過ぎでちょうどいい」


知らねえよ! お前の人生だろ。それを俺に押し付けるなよ! 俺があんたと同じ道を歩くと思うなよ、一緒にすんな。

って、口では逆らえないから心で叫んだものだ。ああはなりたくない、ああいう大人にだけはなりたくないって。その実、振り返ると、当時好きと言えるものなんかほとんどなく、嫌いなものでしか自分を語れない自分も嫌い。勝手に八方ふさがりの日々を送っていたのである。


「ああいう大人になりたくない」、そのささやかな決意は思いのほか強かったらしく、今でも頭ごなしに「若さ」を理由にどんな相手でも決めつけないように心がけてはいる。自分から見れば、その相手が自分より若いだけだ。私より歳上の人からすれば、私の方が若い。同じように「お前は若い」と言われたら、その通りではあるけどあまり気持ちよくないから、若さを指摘してモノを言わないようにしている。


ぱちょさんに対してもそうで、言葉の端々に初々しさを感じるけど、彼なりの考えがあって伝えようとしてくれることは、最大限にくみ取りたいと思っている。とはいえ、私が配慮するまでもなく、私と彼とで決定的な違いがある。

彼は私が若かった頃よりもずっと大人だ。
彼に限らず、私の周りにいる若いみんなは、同じ頃の私よりもはるかに大人でしっかりしている。

私は無暗に他人を毛嫌いして、無意味に悪態をついていた。言葉は悪くても、あの大人たちは私にアドバイスしようとしていた。なのに私は、「知らねえよ!」って態度で接していた。振り返って、何ひとつ誇れるところのない、本当にダメなガキだった。


・ノートに記した日記

とはいえ、30年も前のことだ。どこかで思い違いをして、私は私のことを誤解している節はある。いつを境にして、今のように何でも挑戦するようになったか思い出せないのだ。

いずれにしても、当時の記憶をたどれば何かわかるかもしれない。幸い、私は若い時分にずっと日記をつけていた。不定期ではあるけど、折に触れてその時の出来事や心情を綴っている。

それをノートに記していてよかった。当時はパソコンを持っていなかったというのもあるのだが、後に所有するようになってメモをフロッピーディスクで保管してしまった。ディスクドライブを買えば今でも読み取ることはできるけど、そこまでして掘り起こすほどのものでもない。

ノートはその手間もなく、いつでもパッと見開くことができるので、手元に置いてあって本当によかったよ。


・失敗した旅

当時の記述がいつのものなのか正確にはわからない。というのは、「月」「日」は記しているけど、「年」を記していない。前後のページの記述から多分1996年に11月11日から書き始めていると推測できる。

22歳のその日、私は島根からヒッチハイクで仙台に行こうとしていた。その全行程と、島根に帰った後の仕事や日常。そして不定期で主催していたライブイベントのことなどを記している。


「夕べの余韻を引きずりつつ久しぶりのコンポの目覚ましで起きた。なんやかやと慌てて準備して12時前に家を出る。電車はうまく継げて1時半には歩いていた。

最初に乗せてくれたのは■■■■(会社名)の人。名和(地名)から1時間半歩いたところでひろってくれた」

この年、お笑いコンビ「猿岩石」(有吉弘行さんと森脇和成さんが組んでいたコンビ)がユーラシア大陸を横断するヒッチハイクの旅を行っていた。それのおかげで拾ってもらいやすく、最初に乗せてもらったトラックのおじさん2人もその話をしていたことを覚えている。しかし当時私は、1度も番組を見ていなかった。


なぜヒッチハイクに出かけたのかというと、旅に出れば自分を変えられると思ったからだ。


少しは自分を鍛えられるんじゃないか?
少しは人に優しくできるようになるんじゃないか?
少しは自信が持てるようになるんじゃないか?


結局この旅は失敗に終わる。なぜなら、旅に自分を探しに行っても、行った先で自分は見つからないからだ。大した収穫もなく帰って来たことが、後の記述でわかる。


「(自分の)いいとこにはもっと自信を持つ事。それじゃなくても胸を張っていい。いばる必要なし。悪いとこは卑屈じゃなくて直す。とんでもない努力がいるけど。
1つ言えるのは今までの卑屈さはなくなってきた。ある自分をうけとめようとしている。

この旅の事は自分の教訓みたいなものだから、ほめられてもあまり喜べるもんじゃない。わかっている人はほめないし、かと言ってやっぱり卑屈になるもんでもない。(努力のしゃく度は人それぞれ違うから、自分で納得できればそれでいい)」(原文まま)

いじらしい、我ながらいじらしい。何もわからないけど、何かを掴もうともがき苦しんでいることがよくわかる。自分には何か欠けていて、それが何なのかわからない。よく「普通にしろ」って言われたけど。わかんねんだよ、その普通が。


そうして、アチコチぶつかりながら、ムダに自分を傷つけながら生きた時間が、私にもあったこと。ぱちょさんに出会って思い出した。

私が失くしたものは感受性なのだろう。傷むことに慣れ過ぎて鈍感になったんだ。傷まないように立ち振る舞うこともできる。それは賢くなったんじゃない。ズルくなったんだ。

あの感覚を取り戻せる日は来ない、もう2度と。歳を重ね鈍くなって、強くなった反面、弱かったからこそ感じられたこと、見えていたものを全部失ってしまったよ


だから、君が眩しく見えたんだ。どうかできるだけ長く、今の気持ちを大切にして欲しい。悲しいことやツラいことがたくさんあったとしても、その痛みが教えてくれることがたくさんある。今じゃなきゃわからないことがきっとあるから、それをずっと大事に。


追伸、30年前の自分。こんな形でお前の綴った日記を明かして悪かった。許せ。

執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24

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