漫画やアニメのキャラクターにどれだけ会ってみたいと願っても、それが絶対に不可能であることを我々は知っている。小学校……いや、幼稚園に入る頃には「あ、どうやらこれは無理っぽいな」と気付き始めている。人はそうやって大人になっていくのだ。
しかし、その上であえて言わせてもらうが、私(あひるねこ)は過去に『エヴァ』の冬月コウゾウに会ったことがある。正確には、少し離れたところから見たことがある。さらに正確に書くなら……これは誤解を招く表現かもしれないが、数十分間にわたり跡(あと)をつけたことがある。
・冬月コウゾウとの遭遇
今から7~8年前。私は東京都内のとある私鉄沿線に住んでいた。最寄りの駅まで徒歩5分とそれなりに便利な場所だったのだが、ある日、駅に向かう道中で奇妙な表札を掲げる家をたまたま発見。そこには漢字で「清川元夢」と書かれている。
ん? なんかどこかで見たことある字面だな……と思いネットで調べてみたところ、なんと「清川元夢(きよかわ もとむ)」とは、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の冬月コウゾウ役で知られる声優さんの名前だったのだ。え、冬月住んでんの!? こんな私鉄沿線に!?
てっきり第3新東京市に居を構えているかと思いきや……意外である。まあ使徒とか来ますしね。ただ、まだ本人と確定したワケではない。なぜなら「清川元夢」は芸名であって、本名ではないからだ。普通、表札に芸名を書くだろうか? 役所の書類とか届きませんやん。
なのでここに住んでいるのは、清川元夢さん本人ではなく、自分を清川元夢だと思いこんでいる一般人という可能性が極めて高いのではないか。まあ、それはそれでどんなヤツなのか気になるところだが、以来、私がその家について気にすることは特になかった。
──それから数カ月。
ある日、電車に乗ろうと駅に向かっていた私は、いつも通り清川邸の前を通過……しようとした次の瞬間、事件が起きた。なんと中から一人の男性が出てきたのだ。ちょちょちょ! ついにキタァァァァアアア!! 自分を清川元夢だと思いこんでいる一般人! 一体どんなツラをしてやがるんだ!?
ところが……男性の顔を見てすぐに分かった。冬月であると──。ネルフ副司令であると。そう、家から出てきたのは、声優の清川元夢さんご本人だったのである。
・本人降臨
ネットで見た画像の通り、紫っぽいカラーが入った白髪頭に薄いサングラスをかけた清川さんは、私の数メートル先を駅方面に向かって歩き出していた。あ、あの冬月コウゾウが……すぐ目の前に……! しかもけっこう早足……!!
だがしかし、そんな興奮と同時に、私は清川さんに対して尋常ではない違和感を覚えていた。プロフィールから計算すると、清川さんはこの時すでに80歳前後のはずなのだが、めちゃめちゃ身長が高い上に、背筋が異様にピンとしているのだ。
私は今まで生きてきて、あんなに姿勢の良いおじいちゃんを見たことがない。顔は冬月、首から下は加持リョウジと言えば分かりやすいだろうか(ヤバすぎる)。そのシュッとした佇まいを目の当たりにし、「ああ、常にプロとして生きているんだなぁ」と漠然と思ったことを覚えている。
・告白
さて、勘のイイ方はすでにお気付きかもしれないが……ええ、先ほどから私、完全に清川さんを尾行する形となっております。でもこれは仕方のないことなのだ。私は駅に用事があるし、清川さんも駅に向かっているご様子。そう、我々の目的地は一緒なのである。
しかもだ。目指す方面まで同じみたいだぞ。まいったな、跡をつけるつもりは一切ないのだが……。結果的に同じ車両に乗りこんだ私は、清川さんから少し離れた位置に腰掛けた。通勤電車で座席に座る冬月……。さながらテレビ版第11話『静止した闇の中で』の冒頭である。
てことは、隣に座っている女性は赤木リツコか。そうなると前に立っている男性は青葉シゲルだな。めっちゃ坊主だけど。などと、生産性のかけらもない妄想にふける私。書いていて自分でもだいぶ気持ち悪いが、何を隠そう私は、水曜夕方6時半の本放送から見ている大の『エヴァ』ファンなのだ。
小学4年生の頃から夢中になり続けているアニメのキャラに、命を吹き込んだレジェンドが数メートル先に座っているのである。そんなん感動しますやん……! なのでどうか、どうか許していただきたい。
結局、清川さんとは降りる駅まで同じで、彼が人混みの中に消えていくのを確認した後、私は自分の目的地へと急いだのだった。それから数年が経った2022年8月。清川さんが肺炎でご逝去されたのは皆さんご存じの通り。
すでに庵野秀明監督をはじめ、多く関係者が追悼メッセージを発表しており、今さら私ごときが言えることなど何もないのだが、この目で見た清川元夢さんはシンプルにめちゃめちゃカッコイイ男だった。そりゃあんな渋い声が出ますわと、妙に納得しながら駅の階段を降りたことを私は一生忘れないだろう。
清川さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
【2022年9月27日追記】
この記事が公開された数日後、ご長男の清辰之介さんからSNS経由でメッセージが届きました。掲載の許可をいただきましたので、一部を紹介させていただきます。
「親父の記事書いて頂いてありがとうございます。
駅まで歩いている姿が目に浮かびます。
〇〇の(駅名)、あの家で親父は一人闘病していました。立てなくなり、関係者から連絡があり、駆けつけ、病院に行き、治療の末に亡くなりました。
次の仕事が入っていた為、通常ではあり得ない位、何度も持ち直しました。
結局負けてしまいましたが、何の悔いも無い人生だったと思います。
長くなってしまいました。すみません。ありがとうございました。」(原文ママ)