何十年も「駅弁」の良さがわからないまま生きてきた。

冷たいご飯が好きではないので「駅弁が」というより弁当全般が苦手だった。冷えた弁当より、あったかいご飯の方が美味しいに決まっている。だからデパートの駅弁特集などで並ぶ人の気持ちもわからなかった。

そんなアンチ駅弁の牙城を崩したのは、あるロングセラーの駅弁だった。

その名も「元気甲斐」。

山梨県・小淵沢の駅でその駅弁を初めて見たとき、正直ふざけたネーミングだなと思った。甲斐の国だからって「げんきかい」って……。しかし、ひとくち食べた瞬間から私は「元気甲斐」の虜になったのである。


駅弁を食べるつもりじゃなかった

なにせ駅弁アンチだったので、駅弁を買うつもりはなかった。

山梨旅行の最終日にランチで行こうとしていた店が休みで、帰りの特急あずさに乗る直前、小淵沢駅であわてて駅弁を買ったのだ。

数ある駅弁の中から「元気甲斐」を選んだのは、旅行初日に売店で売り切れているのを見たから。

ちゃんと値段も見ずに買ったので、会計で「1780円です」と言われたときはあまりの高さに驚いた。

財布からお金を出しながら「ふざけた名前なのに1780円! 東京でもそこそこいい店でランチできる値段じゃん! 駅弁のこういうところが嫌なんだよ」アンチらしく、そう心の中で悪態をついたのを覚えている。


・まさかのお品書き入り


「1780円もするってことはさぞかし美味しいんでしょうね」

嫌味なおばさんみたいなことをひとりごちながら、帰りのあずさで「元気甲斐」の封を開ける。何をするにも文句を言いたくなるのがアンチの心理なのだ。

ふとパッケージを見ると、八ヶ岳をバックに楽しそうに列車から「ヤッホー」と叫ぶ絵が描かれている。見覚えのあるタッチだと思ったら、安西水丸のイラストだ。

さらには「お品書き」の紙が入っている。弁当なのに、お品書き。まるで会席料理みたいだ。

いやいや、騙されないぞ……。量が多いからって美味しいとは限らないし。アンチは相手の良いところを素直に認めないのだ。


・贅を尽くした2段弁当


一の重、二の重の豪華な2段式。さっそく蓋を開けると……。

あずさの車窓を流れる山梨の自然を思わせる美しい弁当が現れた。

なんという彩りの良さ。さりげなくあしらわれた紅葉に旅情があるではないか。

「でも、冷たい弁当なんて……」

ついこの期に及んでも難癖をつけようとしてしまう、アンチは往生際が悪いのだ。

しかし、一の重の「胡桃御飯」をひとくち食べた瞬間……。衝撃が走った。


「なにこれ、めっっっちゃ美味しいんだけど!!」


醤油風味のご飯に、くるみの風味と食感が楽しい。続いて「蕗と椎茸と人参の旨煮」を食べると、噛んだ瞬間に口の中に上品な出汁の風味がじゅわっと広がった。

「れんこんの金平」のしゃっきりとした歯ざわり、「カリフラワーのレモン酢漬け」の爽やかな酸味は二の重を食べるまえの箸休め的な役割を果たしていた。味付け、食感、すべてがバランスがいい。

山菜や川魚、きのこなど山梨ならではの食材をふんだんに使っている。もはや文句の言葉など出てこない。


そして、一の重が野菜メインであるのに対して、二の重は魚と肉がメイン。まるでコース料理だ。

「鶏の柚子味噌和え」はしっかりとした味付け、「アスパラの豚肉巻き」はあっさりとした塩味で中のアスパラの火の通り具合と甘みが絶妙。

さらに「栗と占地(しめじ)のおこわ」のモッチリ感とデザートのような甘さに驚かされた。このバランス感覚たるや!

そして気づいたのはこの弁当は、冷たい状態でベストな味になるよう計算されているということ。煮物にしても、おこわにしても、温かい弁当では出せない味わいなのだ。衝撃的な旨さの前に、私の中のアンチ駅弁魂は成仏した。

旅の思い出にふけりつつ、車窓の風景を眺めながら食べる「駅弁」の美味しさたるや……。

今まで駅弁アンチだったことが悔やまれるほど「元気甲斐」は完璧な駅弁だったのだ。


・実はすごい駅弁だった


あまりの美味しさに衝撃を受けて「元気甲斐」について調べたところ、意外な事実が発覚した。

販売元の「丸政」の公式サイトによると、1985年に『探検レストラン』というテレビ番組の企画によって生まれた弁当だったのだ。そのコンセプトと開発に関わったメンバーたるや豪華としか言いようがない。

まず、料理を考案したのは京都の人気料亭「菊乃井」と、東京の「吉左右」という味処。一の重と二の重で東西の味比べが楽しめる仕様になっているらしい。どうりでコース料理のようだったわけだ。

イラストを手掛けた安西水丸は、村上春樹作品のカバーなどで知られる売れっ子。

駅弁シンポジウムなるメンバーには映画監督の伊丹十三の名前もある。

さらに名前を考えたのはネーミングの天才と呼ばれた岩永嘉弘というコピーライター、デザインは資生堂のデザイナーで知られる太田和彦など、そうそうたるメンバーが名を連ねている。まさに日本が豊かだった頃のバブルの産物。今こんなものを作るのは難しいだろう。

「元気甲斐」の発売初日は小淵沢の駅に3000人が列をなしたという。バブルが弾け、清里ブームが終わっても、中身を変えることなく、35年以上もこの弁当は残り続けているというのもすごいと思う。

ちなみに「元気甲斐」は伊勢丹新宿の地下食品売り場でも販売されているそうだ。ほんとに美味しくて、アンチすら虜にする味わいなので、山梨旅行の際や伊勢丹に行ったときには、ぜひみなさんも食べてみてほしい。

参考リンク:丸政伊勢丹新宿店
執筆:御花畑マリコ
Photo:RocketNews24.

▼小淵沢の駅には、日本で唯一「お茶土瓶」が売られている

▼駅弁といっしょに温かいお茶をどうぞ〜