聞くところによると、結構前から「小学校では給食を残してもOK」らしい。私、P.K.サンジュンがまだ小学生だった35年ほど前は「給食は完食があたり前」「残すのはワガママ」という風潮が強かった。
これまで何度かお話させていただいているが、私は給食が食べられずほぼ毎日放課後まで給食を食べ続けていた。今回はその理由と、給食を克服したある転機についてお話させていただきたい。
・給食が食べられなかった理由
ロケットニュース24では「リクエストBOX」を設置している。つい先日、そのリクエストBOXに「サンジュンさんが給食を放課後まで食べていたと聞きましたが、その理由を知りたいです。子供の食が細くて困っています」という内容の投稿があった。
なるほど「給食を残してもOKの時代」になろうとも、親御さんの心配までは無くならないらしい。というわけで、まずは私の「給食が食べられなれなかった最大の理由」をお伝えしておこう。その理由とはズバリ、
\(^o^)/ マズかったから \(^o^)/
……である。誤解の無いように補足しておくと、私が通っていた小学校の敷地内には “給食センター” が設置されており、いつも出来立ての給食が食べられる環境にあった。そういう意味で給食のレベルは高かったように思う。好きな給食もたくさんありました。
・家の料理が美味しすぎた
さて、私が特定の給食や食材を食べられなかった理由は「母の料理が上手すぎたため」もとい「食に関してはやや過保護に育てられたため」ではないだろうか。大切に育ててくれた亡き母には申し訳ないが、それくらい家のご飯と給食には違いがあった。
家でも「野菜を食べろ」などと口うるさく言われていたが、母の作る野菜と給食で出てくる野菜ではクオリティが違い過ぎた。例えばニンジン1つにしても、私が食べやすいよう調理してくれる母のニンジンと、ゴロッと堂々としたニンジンでは全くの別物である。
真面目な話、私は食べられない給食がかなり多く、食べようとすると「オエッ」とえづいてしまっていた。「早く食べてみんなと遊びたい」「1人だけ給食を食べ続けるなんて恥ずかしい」という意思とは裏腹に、体が一定の食材を受け付けなかったのだ。
・身に付いたスキル
たしか小学校2年生くらいまではこの状態が続いたが、小学校3年生くらいの時点で「放課後まで居残り給食」は脱していたいたハズ。理由は1つ「給食をやり過ごすスキルを身に着けたから」である。
例えば今でも苦手な「わかめごはん」は少量の牛乳で流し込んでいたし、しいたけやニンジンは、ノドを通る大きさなら噛まずに飲み込めるようになっていた。さらに言えば、給食袋や机の中に苦手な給食は隠していたこともある。
たまに机の中からカピカピのパンが出てくるコいたでしょ? あれ、俺です。要するに真正面から苦手な食材を克服できなかったものの、それ以外の “給食サバイバルスキル” が身に付いたというワケである。
・ある先生との出会い
スキルを駆使しつつ小学校生活を終えた私が、本当の意味で給食から解放されたのは中学生に入ってから。2年から担任だったK先生と出会ったためだ。先生はいわゆる “ヤンキー先生” で、上背はないもののハイキックを得意技にしていた(でも国語の先生)。
先生は魚が苦手で、生徒が見ていようと1度も魚を口にしなかった。「魚なんて食わなくても死なない」「なんで嫌いなものを食わなきゃいけないんだ」「食えないものがある方が普通」と公言しており、生徒の好き嫌いにも寛容であった。
K先生との出会い以来、私はコソコソせず堂々と苦手な食材を残せるようになり、真の意味で給食から解放されたと言っていいだろう。当時、先生の教育方針には賛否の声もあったようだが、今思うとかなり先進的な思考をお持ちだったのではないだろうか。
リクエストBOXに届いた「子供の食が細くて困ってる」の答えになっているかはわからないが、これが私の「給食が食べられなかった理由」と「克服方法」である。ある意味で「困難があってもどうにかなるという真理」……なのかもしれない。
執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.
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