旅行やら出張先で買った土産物というのは、往々にして持て余される運命にある。意味不明な木刀とか、背中になにやら文字が入った法被とか、覚えのある方はそこそこいることだろう。
私(江川)の家にもその手のものがある。イタリアはヴェネツィアで買ったエプロンだ。見つけたときは「やべぇ!」となったし、持て余し続けて何年も経つ今でも「やべぇ!」となる代物。「やべぇ!」とはなるものの、ヤバいがゆえに使用がはばかられ、結果として持て余している。
・センシティブ
何がどうやばいのか。一言で言うと、センシティブなのである……。
あれは、滞在中にアクアアルタ(洪水みたいなやつ)に見舞われた時のこと。海水が引いたばかりで水浸しになっていた島内をうろうろしていた時に、ボッタ値の土産物屋でみつけたのだ。
モチーフはダビデ像。ミケランジェロ作の、あの有名な彫刻である。日本人なら、誰しも義務教育課程のどこかで、その写真を見たことがあるはずだ。なんら恥じる点など無いイタリアの至宝、人類史上最高の芸術品の一つ。
そしてそのエプロンは、ダビデ像の写真がプリントされている。
いや……正確には、ダビデ像のセンシティブな部分のみが主にプリントされている。
記事の都合上はっきりと活字化することはできないので、想像していただきたい。あのダビデ像である。ダビデは、ゴリアテとの決戦の最中。何一つ身を守るものをまとわず、石を投げようとしている。
そう、何一つ身を守るものをまとっていないのである。つまり、ダビデのセンシティブなセンシティブもまた、何にも守られず、センシティブな状態にあるのだ。
記事では都合上、写真をそのままお見せすることができない。しかし、ダビデ像のセンシティブな部分がセンシティブな状態にあることは小学生でも知っている事実。しかし最高峰の芸術作品なのだから、センシティブではあれどそう気にすることは無いかもしれない。
・巧みなデザインセンス
ただし問題のエプロンは、イタリアンファッション界の巧みなデザインセンスによって、ダビデ像のセンシティブな部分のセンシティブ度を、劇的に上昇させることに成功しているのである。
どういうことなのか……
エプロンの上のほうから解説しよう。ダビデ像の写真がプリントされているわけだが、ダビデの顔は、いや、鎖骨から上辺りは完全にカットされている。
では上の部分には何がプリントされているのか……ずばり、ダビデの乳首である。エプロンの構造上、上のほうは布の幅が狭い。しかし、ダビデの両方の乳首に関しては、何が何でもエプロンの枠に入れてやるという執念を感じる配置になっている。
そしてダビデのお腹があり、その下には当然のごとく、ダビデのセンシティブなセンシティブがド真ん中にプリントされている。なお、プリントの配置は絶妙に調節されており、着用するとダビデのもろもろの各部位が、着用者のそれらの部位と近い位置にくるようになっている。
つまりこのエプロンを着用すると、ダビデのセンシティブなセンシティブによって、まるで着用者がセンシティブなセンシティブをセンシティブしているかのごとく見えてしまうのである。
エプロンそのものを眺める分には別にどうということもない。しかし、いざ着用するとなるとこれが微妙にソワソワするのだ。そこはかとない「出してる」感。そこで、「やべぇ!」などといって笑ってくれる人がいるなら、ネタとしてはアリだろう。
しかし一人暮らしならどうだ? 一人誰もいない部屋で、見た目がセンシティブな状態になるエプロンをつけてソワソワした気分に浸るおっさん……ちょっとレベルが高いのではなかろうか?
そういうわけで、持て余しているのだ。かれこれ7年くらい持て余している。しかもこのエプロン、ヴェネツィアで買ったものだが、割とイタリア内ならどこに行っても売られている。
つまり、ヴェネツィア土産としての立場は微妙な代物だ。唯一の救いはタグに「MADE IN ITALY」と書かれていることだろうか。一応イタリア土産としてはそれなりの体裁を維持している。
今でも売られているのかは知らないが、もしイタリアで見かけて買いそうになったらこの記事のことを思い出してほしい。めっちゃナイスに思えるだろうが、いざ所持してみるとマジで持て余す。でも、人にあげるならいいかもしれない。