忘れられないのだ。まさしのことが。
もちろんくまだまさしの一発芸が忘れられないのではなく、まさし(正嗣)という名の餃子専門店の味が忘れられないのである。
毎日欠かさず餃子を食べる生活に入ってから52日目に突入しつつあるが、我が餃子史は確実に、紀元前ならぬ「まさし前、まさし後」に二分される。これはある意味では “不幸” と言っても良いだろう。なぜならば……
どんな餃子を食べたとしても、必ず脳裏にまさしが浮かんでしまうのだ。まさしの亡霊に取り憑かれていると表現しても差し支えない。
たとえばこうだ。
美味い餃子を食べたとする。文句なしの美味い餃子。しかし必ず「まさしと比べたら……」と思ってしまうのだ。
たった一回のまさし経験で!
しかもあろうことか「お取り寄せ」で!!
にもかかわらず、あまりにもまさしの衝撃が強すぎて、未練がましく、いまだにまさしがフラッシュバックしてくるのである。
もしも宇都宮まで遠征し、まさしの店舗でまさしの餃子を食べたらショック死するのではないだろうか?
そんな心配すらせざるを得ない体と心になってしまったのは、すべてまさしのせいである。まさしの餃子が美味すぎるせいなのだ。「罪深いほど美味い」とは、まさしのことを言うのである。
──人生に if(イフ)はない。しかしたまに考える。もしもまさしを食べない人生を送っていたとしたら? と。まさし以外の餃子を食べたとき、今よりもっと感動していたのではないか? と。
もちろん日々の餃子に感動していないわけではない。常にワクワクしながら感情ダダ漏れで餃子が食べられる幸せを噛み締めている。飽きずに毎日食べ続けているのがその証拠だ。
だが!
もしもまさしに出会ってなかったら……。
罪な餃子、まさし。
憎い餃子、まさし。
どうかお願い。忘れさせてよ、まさしのことを。
参考リンク:ぎょうざ専門店 正嗣
執筆:GO羽鳥
Photo:RocketNews24
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