隣人とは、素晴らしくて面倒な存在だ。味方になれば食べ物を分けてくれるし、なにかあれば相談に乗ってくれるし、暴漢に斧で襲われて絶体絶命の大ピンチのときは警察を呼んでくれる(たまに呼んでくれないときもある)。しかし、ひとたび仲が険悪になれば最悪だ。壁一枚隔てた向こうに理不尽な人が住んでいるなんて、ひとときも心が落ち着かない。
筆者は2014年の秋、京都府から東京都へ上京した。23歳の若者らしく夢を見て東京の地を踏み入れ、慣れない標準語に「ほげぇ」と悪戦苦闘しながら中野の賃貸マンションに入居した。家賃は4万8000円。鉄筋コンクリートだけど、とても壁の薄いマンションだ。
この狭いワンルームで筆者は夢と希望を抱き、雑草魂をこじらせながら仕事人生をスタートさせた。その雑草魂は今も絶賛こじらせているのだが、それはさておき、このとき筆者は知らずに別の生活もスタートさせていた。隣人トラブルと闘う日々だ。
今年も春の引越シーズンが過ぎた。賃貸戦争になんとか打ち勝って、良い部屋に住めた読者のみなさま、まだ安心しないほうがいい。果たしてお隣は、まともな人が住んでいるだろうか? ちょいと長いが、筆者の哀しい隣人トラブル談をぜひ一読してほしい。
・隣人との衝撃の出会い
晴れて夢いっぱい苦労いっぱいの上京生活をスタートさせた筆者。当時はもちろんヒマで、明け方に寝て昼間に起きるような生活をしていた。アルバイトに出かける日があれば、地元を想って「なぜ上京したんだろう?」と悲しくなる日もあった。
けれども筆者はひそかに楽しみにしていた。お隣さんだ。右隣に住む203号室の住人の顔はまだ見たことないが、表札に可愛いシールをペタペタ貼って、玄関ドアの覗き穴防止用に可愛いキーホルダーをいくつも飾っている隣人は、きっと女性だ。しかも若いはず。「おそらく大学生かな?」。そんな淡い期待が胸を焦がした。
ところが現実は違った。忘れもしない、上京して4日後の夕方、筆者が外出しようとドアを開けたとき、同時に隣人のドアが開いたのだ。瞬時に高鳴る胸。「やべえ、どんな女の子だろう?」という期待が徐々に開くドアに注がれる。そして姿を現したのは……身長150㎝程度の小太りで、金髪で、おひげを蓄えて、全身紫のジャージで、70代のお爺さんだった。
「女の子と違うやん! てか、その格好はなによ!!!」
衝撃的な出会いに頭が真っ白になった筆者は、そんなツッコミなどできるわけもなく固まった。一方、このファンキーな紫の爺さんは固まる筆者を見て一言、「おう!」と発し、その場を後にした。後ろ姿からうかがえるプリプリしたお尻が、紫のジャージと共に揺れていた。
読者のみなさんもお察しの通り、悪夢の始まりである。
・隣人トラブルの開戦のゴング「真夜中の理不尽壁ドン」
衝撃的な出会いから数週間。予想の斜め上を行く事態に、この世のすべてが紫に見えた日もあったが、筆者は冷静さを取り戻していた。「なるべく明るく接しよう!」。そう決意したのだ。ところが、この決断が間違っていた。
筆者は隣の爺さんと顔を会わせるたび、必ず挨拶をした。ちょっと緊張したが、驚くべきことに爺さんも紫のジャージの袖を揺らしながら笑顔で挨拶をした。ときには「今日はどこに行くの?」という具合の軽い雑談も交わした。
「なんや、悪い人じゃないやん」。予想以上に朗らかに接してくれる紫の爺さんに、筆者はとても安堵した。これで安心して仕事に打ち込める。そう思っていた。しかし悪夢はもうすぐそばまで来ていた。
2015年の春のことだ。必死の形相でパソコンに向かい仕事に打ち込んでいた筆者は、突然、隣の爺さんから壁ドンを数発ほど食らう。時刻は夜の11時。何事かと立ち上がりオロオロしていると、「このガキ!!! うるせえよ!!!」と怒鳴り声が聞こえてきた。
再び頭が真っ白になった筆者。するとドアの開く音がして、筆者の205号室のインターホンが連続で鳴った。その後、猛烈にドアを叩く音がする。「おい! 出てこい!!!」。
震える手でドアを開けると、紫の爺さんが「おい! ガキ! 何時だと思っている!!」と筆者を怒鳴った。なんのことだか分からない。筆者は家で仕事をしていただけだ。テレビを点けていないし、作業用のBGMも流していない。その旨を震える声で伝えると、「でもうるせえよ!」とキレられた。
「僕じゃありません」という弁明を何度も繰り返した数分後、紫の爺さんは足を踏み鳴らして自室に帰っていった。
この理不尽極まる出来ごとが、紫の爺さんと筆者の間で起きた「哀しき隣人トラブル」の開戦のゴングだった。
・わずか1㎝のすきまから「人と話すときは目を合わせろ!」
理不尽な壁ドン以降、筆者は紫の爺さんと会うのが怖かった。冗談抜きで殴られるかと思った。しかし玄関を開けなければ外出できない。幾日か過ぎて、あるとき紫の爺さんと部屋の前ですれ違った。
緊張の一瞬だったが……驚くべきことに爺さんは朗らかに挨拶をした。「おう、今日も仕事か?」。筆者が顔をひきつらせながら「あ、はい」と返すと、「がんばれよ!」とご機嫌に玄関のドアを開けたのだった。理不尽の次は、不可解である。あれだけキレた隣人に対して、なぜそうも仲良さげに接することができるのか。筆者の頭の中で「???」が躍った。
「でも仲良さげに接してくれるなら、まあいいか」。そう短絡的に結論づけた筆者だったが、事態は簡単に終わらなかった。数週間から数カ月おきに、こういった「うるせえよ!!!」事件が起きるのである。筆者はひたすら弁明するのみ。
「もしかすると本当にうるさいのか?」と思い、管理会社に「周囲の部屋から苦情が来ていませんか?」と問い合わせたが、「まったくありませんよ!」と明瞭回答。ついでに「お隣さんはどんな人ですか?」と聞くと、「悪い人ではないですよ。いつも月末は家賃を手渡しに事務所へ顔を出しますし、近くのスタッフと1時間はお話されて帰っていきます」と言う。
そんなバカな。たしかに近くのスーパーで姿を見たときは、必ず誰かと話をしている。筆者以外のマンション住人と会ったときも、明るく挨拶を交わしている。本当は明るくておしゃべりで良い人なのか?
昼間に見かける紫の爺さんは快活で良い人だった。しかし定期的に、夜になると怒鳴りこみにくる。あるときは窓の開け方がうるさいということで、ベランダの薄い防火壁のすきま1㎝からキレられたこともある。真夜中に怒鳴られて筆者は伏し目がちになり、それが気に食わなかった紫の爺さんは「人と話すときは目を合わせろ!」という金言をくださった。そんなアホな。
さて、長きにわたるこの隣人トラブルのコラムも終わりが見えて、同時に哀しき真相が近づきつつある。また、記事の最後に読者のみなさんへ贈るアドバイスも記したい。どうぞもう少しだけお付き合いください。
・紫の爺さんから今生の別れに聞いた衝撃の言葉 / ついに隣人トラブル決着す
2018年7月、上京して3年9カ月が過ぎた。相変わらず紫の爺さんの怒鳴りこみは定期的に続いていた。とても辛かったが、金のない筆者は必死に堪えてきた。管理会社に相談しても「うーん……分かりました。お話を聞いてみますね」と要領を得ない。本当に辛かった。
ところが上京して4年弱にもなると、少しばかりお金に余裕が出てくる。だから筆者はこう思い至った。「引越しよう!」。
思い至ったが吉日。筆者はいくつか不動産会社を回って、ついに部屋を決めて、引越の見積もりの電話を入れた。「ようやく解放される!」。テンションが上がっていた筆者は大きな声で電話を入れた。冒頭でも触れたが、このマンションの壁はとても薄い。筆者はまたも判断を間違った。その夜、とうとう長きに渡る隣人トラブルが決着することになる。
夜の12時半、風呂から上がった筆者は寝る準備をしていた。そのとき、例のごとく壁ドンが始まった。「またか……」。ゲンナリする筆者だが……どうも今日は長い。壁ドンが10回近く響いた。そしてインターホンが鳴り、「てめえ! いい加減にしろ!!!」と玄関から大音声が聞こえてきた。
クレーム対応に慣れた店員さんのように緊張しながら、しかし冷静さを保ちながら玄関を出ると、紫の爺さんがすごい剣幕で立っている。顔は真っ赤だ。
「お前! どういうつもりだ!!!」
今回もご立腹の様子だが……どこか変だ。いつもの「うるせえよ!」ではなく、「それでいいのか!」「そんなんでやっていけるつもりか?」という具合に質問形式で心配するようにキレてくるのである。あんたは筆者の親なのか? しかもいつもの倍以上怒り倒しても、まだ収まらない様子。だからついに筆者もキレてしまった。我慢の限界だった。
「もう引越するからええやん!」
それほど強いワードではない。ネズミが猫を噛むような一撃。しかしこの言葉がよほど響いたらしく、紫のジャージはみるみる縮んでいった。しょんぼりしていた。そして爺さんはこうつぶやいた。
「そんなの……寂しいじゃないか……」
衝撃的だった。意味が分からなかった。悪寒さえ走った。しかし筆者はたしかに聞いた。身長150㎝程度の小太りで、金髪で、おひげを蓄えて、全身紫のジャージで、どう見ても70代のお爺さんが、悲しそうに「寂しい」という言葉を口にした。
違和感を覚えつつも怒り狂う筆者は「もう帰れ! 警察を呼ぶぞ!」と人生最大の大音声を出して紫の爺さんを追い返した。あまりにキレすぎて、爺さんが家に帰った瞬間にドアを数回蹴った。筆者は人生最大に怒っていた。これが彼との今生の別れになった。
翌日、冷静さを取り戻した筆者は、紫の爺さんが発した不可解な言葉を思い出してアレコレ推察した。そしてついに哀しい真相を察することになる。
・紫の爺さんの哀しい真相を察する / 筆者から贈るアドバイス
記事の最後に、この隣人トラブルの真相を記したい。ここまで本文中で何度か触れたが、紫の爺さんは本来明るい人物だ。日中は筆者に明るく挨拶し、他の住人とも朗らかに話す。スーパーではいつも楽しげに買い物をしている。月末になれば家賃を手渡すついでに管理会社へおしゃべりをしに行く。
これがヒントであり、すべての答えだった。言葉通り、紫の爺さんは寂しかったのだ。たしかに日中は朗らかな爺さんだが、よくよく様子を見ると、話をされる側はみんな少々疎ましそうだった。彼との雑談が面倒らしい。たしかに忙しい中わざわざ足を止めて、すでに社会から引退した奇妙な姿の爺さんと長話する気にはなれないだろう。
だからこそ爺さんの寂しさは募っていったのかもしれない。お隣なので生活感がよく分かる。彼を訪れる来客は一度もなかった。長電話もまったくなかった。どのような人生を歩んだのかは不明だが、とにかく紫の爺さんは独りをこじらせていたのだ。
だから夜になると寂しくなる。今までは独りで堪えていたのかもしれない。そこへひょっこり現れたのが、上京したてのお隣さん。筆者のことだ。23歳で若く、会えば朗らかに挨拶をする。たぶん紫の爺さんにとって筆者は心のオアシスだったのだろう。
つまり筆者に「ニセのクレーム」を入れることで、夜の悲しい寂しさを紛らわしていたのかもしれない。しかしそれも終わりを告げた。おそらく紫の爺さんは隣の部屋で聞き耳を立てていたのだろう。筆者が引越業者に電話を入れる様子を。だから今生の別れで怒り狂い、「寂しい」という言葉を放ったのだ。
これらはすべて憶測だが、当たっている自信がある。なぜなら紫の爺さんと約4年間も「お隣さん」として過ごしたからだ。
とても長いコラムにお付き合いいただき、読者に感謝を捧げたい。ありがとうございました。そして最後に、読者にアドバイスを贈りたい。
できることなら今のうちに友達をたくさん作っておこう。もしパートナーや家族がいるならば大切にしよう。紫の爺さんは、未来の私たちの姿かもしれない。若いうちの寂しさと、年を取ってからの寂しさは別次元だからだ。筆者はいまだに紫のジャージ姿が脳裏に焼きついている。紫の爺さんは、哀しくもそれを体現していたのだ。彼には深い怒りと、ほんのわずかに同情の気持ちがある。
では肝心の隣人トラブルへの対処だが……これは一言では表せない。実は筆者、2018年8月に引越をしたのだが、次の賃貸アパートでも奇妙な隣人トラブルに遭ってしまったからだ。ぜひ別の機会で語らせてほしい。
隣人とは、素晴らしくて面倒な存在だ。上京の洗礼のごとく隣人トラブルには心底参ったが、ただ「ムカつく」だけでは終われない教訓も得た気がする。紫の爺さんは、今日も、今日を、どのように過ごしているのだろうか。
執筆・イラスト:いのうえゆきひろ