2019年4月4日、ライブハウスシーンに衝撃が走った。神戸のライブハウス「太陽と虎」の店長で、日本最大級の無料チャリティーフェス『COMING KOBE』の実行委員長・松原裕(まつばらゆたか)さんが亡くなったのである。39才だった。

以前から、癌との闘いをブログに綴っていたが、その死が伝えられたのは4月7日のブログ。すでに告別式も終わっているが、そんな4月9日、松原さんのブログが更新されている。投稿者には「松原ゆたか」の名前、タイトルは『お母さんへ』。

・母への感謝の気持ち

「この記事がUPされているということは松原はもうこの世にいないという事ですね」という1文から始まるこのブログは松原さんが生前に書いたもの。冗談のような出だしに、癌との闘いもどこかユーモラスにつづった松原さんの人柄を感じずにはいられない。

松原さんいわく「40年間恥ずかしくて伝えられなかった母への感謝の気持ち」をつづったこの投稿。「お母さん、産んでくれて本当にありがとう。感謝してるで」から始まる内容では、母への感謝以外にも、「子供たちについて」などが書かれている。

同時に、ここに至っての気持ちも吐露している松原さん。「人より平均的に早く死ぬっぽいけど、僕の人生は本当に充実して幸せでした。「もう一回同じ人生やり直す?」って神様に聞かれたら食い気味で「はい!」と答えます」という部分には人柄が現れているようだ。

そして、最後に子供の頃の出来事へ触れ、ブログは幕を閉じる。その部分を以下に引用したい。

「子供の頃、風呂なしボロアパートで妹と3人で生活したあの経験は凄い財産です。頑張って楽な暮らしをさせてあげたいと思ったあの気持ちを抱けたもの振り返ると、最初の誇りです。

(中略)いま自分の責任感はこのお陰だと思ってる。お母さんは最初、喫茶&スナックのお店をオープンさせて、朝から夜中まで働いて少しは寂しかったけど、「妹の面倒を見なきゃ!」と頑張ってた子供時代。

毎週水曜日の定休日に3人で遊びに行くのが本当に楽しみだった。今思えば本当に忙しかったし、大変やったね。

実は一度、台風が来て、大雨が降ってお母さんが帰って来れないかもって1人で泣きそうになったことがあった。妹を寝かせて1人で窓から外を見て、「僕の寿命が半分になってもいいから、お母さんが無事に帰ってきますように」って必死でお願いしたことがあった。誰にも言ってないけど、、。

だからあの時、お母さんの命を救ったから俺は今寿命が半分になったのかなーと勝手に思ってる。笑

もし本当にそうなら、本望だし、これでよかった! 「お母さんを守れる男になれた!」と思う。ですよね? 守れたよね?


でも先に死んじゃってるからダメ?笑


とにかく伝える事は沢山あるからキリないけど、感謝してます。楽しい人生を与えてくれてありがとう。あとは息子たちに「お母さんを守る」を託して、先にあの世に行ってます。どうか身体には気をつけて、そして今まで通り明るく楽しい事に全力で挑み続けてください。

ありがとう。40年間楽しかった」

──以上だ。全文は松原さんのブログでご確認いただければと思う。

バンドマンである私(中澤)は1度だけツアーで『太陽と虎』に行ったことがある。確か7年ほど前の話だ。あの時はお客さんが3人しか呼べなくて本当にごめんなさい。

当時から松原さんはライブハウスシーンの有名人で、神戸と言えば仲間内では『太陽と虎』だった。そして、当時『太陽と虎』は、打ち上げが狂ってることでも有名だったのを覚えている。楽しいことを追い続けた松原さん。本当にお疲れ様でした。

参照元:カミコベ実行委員長ブログ
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.