ある日のことだ。2018年1月に日本人で初めて南極点無補給単独徒歩に成功した、極地冒険家の荻田泰永氏から連絡を頂いた。取材をして欲しい人がいるとのことで、紹介を受けた人物が出合祐太氏である。

大変申し訳ないことだが、彼の名前を聞いても私(佐藤)はピンと来なかった。荻田氏は「TED × SAPPORO」の縁で出合氏のことを知り、彼の活動に感銘を受けたそうだ。そして、より多くの人に彼のことを知って欲しいと、私に取材するように申し出たのである。

今回紹介する出合氏は、10年前にJICA(国際協力機構)の活動で西アフリカの「ブルキナファソ」という国に、同国初の野球の指導者として赴任した。1人の少年と出会ったことをきっかけに、彼の人生は大きく変わっていくのである。

・10年前のブルキナファソ

ブルキナファソは、1960年に「オートボルタ共和国」としてフランスから独立し、1984年にブルキナファソ共和国に改称している。主要産業は農業で、2016年に発表された国民総所得は1人あたり640ドル(約7万2000円)。経済的には貧しい国と言っていいだろう。

その国に、出合氏は野球の指導者として赴任することとなった。大学まで野球をやっていた彼は、JICAの青年海外協力隊に参加する以前、パン屋に勤めていたそうだ。しかし、野球に賭けた夢を忘れることができず、仕事を辞めてJICAに参加することになったのである。

本来彼は、ブルキナファソに行く予定ではなかった。当初はコスタリカに行くはずだったのだが、同国の野球の指導者の枠に空きが出て「行ってみるか?」と誘われるがままに、2008年3月25日より赴任したという。

出合「正直なところ、現地に行ってびっくりしました。野球をできるような環境ではなかったから。本当にここでやっていけるのか? って不安になりましたよ。その不安は的中して、子どもたちの指導をするグランドが……。

グランドといっても近所の広場みたいなところですけど、石だらけゴミだらけ。トンボさえない状況で、しかも子どもたちは野球のルールを知らないもんだから、ノックをしたら全員で一斉にボールを追いかけたり、バットを振らせたらバットを放り投げたり(笑)。本当にやっていけるのか? って思いましたねえ」


・「意味はあるのか?」

野球の指導は地域に分けて定期的に行われていたのだが、必ずしも理解のある親たちばかりではなかった。指導に当たった最初期に「こんなことをして何か意味があるのか?」と尋ねられたことがあるという。

ブルキナファソの人たちは、物事をとても合理的に考える性格で、意図のわからないことは、それを追求するそうだ。日本ほど野球がメジャーではない国、ましてや、プロリーグさえないなかで、野球が上達して何の意味があるのか? 指導に意味があるのか? そう尋ねられるのも自然なことだった。

ただでさえ不十分な環境で指導を行わないといけないのに、その意義を問われて、出合氏は「自分は何をやっているのか?」と自問する日々が続いた。


そんな時に出会ったのが、カファンド・アミール君である。当時11歳。アミール君は特に貧しい地域の子で、野球を教えてもらえるような境遇にはなかったのだが、毎日のように出合氏の家を訪ねてきたという。出合氏の家にはガードマンがいたのだが、そのガードマンを無視して家にやってきては、ボールを投げる練習をしていた。

その時のアミール君は、野球の「や」の字も理解しておらず、ただただボールを投げることだけを楽しんでいたそうだ。それがそのうちに友達を連れてくるようになり、2人・3人・4人と増えて、週に2回、練習することに決まった。

出合「ただボールを投げて楽しんでいるだけだったんですよ、最初は。それが友達を連れてくるようになったところから、僕も可能性を感じ始めて、この子たちでチームを組んだらどうなるかな? って思うようになったんです。年齢も運動能力もマチマチで、ちょっとのことでケンカしたりするから、まずは時間を守ることとか、友達と協力することとかを教えましたね。

そろそろ野球できるかな? って思ったところで、僕の地元の日本ハムファイターズの試合のDVDやWBCの映像を見せたんです。そうしたら、子どもは素直だから、「僕たちもこうなりたい!」って思うようになってくれて、そこで初めて野球のことを教えられるようになりました」


・プロはムリ

やっと出合さんは、自分の仕事を果たすことができる。そう感じたと同時にこうも思っていた。「日本ハムやWBCのようなプロ野球はムリだな」と。


ところが! である。

物事を合理的に考えて追及するブルキナファソの子どもたちだ。自分たちはどうやって野球をやっていくのかを、真剣に考え始めた。そもそも道具が揃ってない。使用していたボールやグローブはボロボロだから、出合氏の指導の元、直す術を学んだ。


それまでバットは、警棒のような木の棒きれを振り回していたので、タンス職人のおじさんに作ってもらうことになった。最初に出来上がった代物は形こそバットだけど、速攻で折れてしまい、後に何度か試作を繰り返した結果、最適な材質を見つけて量産に成功!


グラウンドを作る段になって、子どもたちは確信を突く質問を出合氏にぶつける。「何でグラウンドはこの大きさなの?」、これに限らず、子どもたちはブルキナファソ魂を発揮して、あらゆる物事の意味を尋ねたそうだ。

そこで出合氏はハッとさせられる。「そんなもんだ」で片づけていた自分は、物事の本質をわかっていなかったのもかもしれないと。子どもたちの質問に答えられない……。そこでネットの力を駆使したり、知り合いに頼って専門家の意見を仰いだりして、1つひとつ質問に答えていった。



選手同士で力や知識の差があれば、お互いに教え合うように伝えると、率先して協力し合うようになり、赴任中の2年間で子どもたちは目覚ましく成長を遂げて、野球の基本を学んでいった


出合「あの頃は自分自身、「生きてる」って感じがしました。出来ないことや足りないものに対しては、自分のなかで仮説を立てて検証して、みんなで考えてみんなで実践した。本当に楽しかったですね。最初の半年は本当に何もやる気が起きなかったんですけど(笑)、アミールと出会ってから一変しましたね」


・西アフリカからプロに挑戦

2年の赴任を終えた後、出合氏はブルキナファソを離れる。そこで物語は終わらない。

赴任の間に、出合氏が子どもたちに見せた夢は、子どもたちを変えただけでなく、出合氏も変えてしまったのだ。子どもたちは「プロ野球選手になる」と夢を描いた。出合氏はその夢を実現させるために、あらゆる野球関係者に相談を持ち掛けた。

当然、ほとんど相手にしてもらえない中で、四国の独立プロ野球リーグ「四国アイランドリーグplus」のひとつ、高知ファイティングドッグスが話を聞いてくれることになったのである。

そして、赴任した年から数えて5年が経過した2013年に、アミール君が最初に連れてきた友達の1人、サンホ・ラシィナ君(当時15歳)がファイティングドッグスの練習生として、プロチャレンジプロジェクト2013に参加した。しかし残念ながら、その年の入団テストには不合格。


出合「ラシィナがこの時滞在できたのは2カ月間でした。その間に彼は、遠投を20メートル伸ばして、50メートル走のタイムを1秒も短くしたんです。でも、残念ながら落ちてしまいました。次に挑戦する宿題をもらいに日本に来たので、チャレンジしたこと自体が大事だったんですよね。この時は。

本人はがっかりしているのかなと思ったら、「次はこうすればうまく行く」って言い切るんですよ。試合で負けても、「次は勝てる」って言い切りますよね、彼らは。うまく行かなくても落胆しないんです。常に自分に期待してるんですよね。だから逆に言われたことがありますよ。「諦めが早いね」って(笑)」


・ブルキナファソから2人も!

その宣言の通りに、ラシィナ君はその2年後の2015年にファイティングドッグスの登録選手となり、現在まで日本で活躍している。2016年には新潟アルビレックス・ベースボール・クラブにザブレ・ジニオ君が選手として登録されている。

ブルキナファソから2人もプロ野球選手が誕生したのだ!


・大統領の言葉

最近同国のロック・マルク・クリスチャン・カボレ大統領が来日し、安倍首相と会談をしている。出合氏は大統領に会う機会を得て、ブルキナファソ赴任から10年を振り返り、「ブルキナファソから学んだことは大変多いです。感謝しています」と伝えたそうだ。すると大統領は、こう語ってくれたという。

「この活動は継続の賜物です。この活動は日本人のあなただからできたのではないですか。『継続』は日本人の能力だと思います」


・次の目標は東京五輪

出合氏とブルキナファソの野球選手たちには、新しい夢がある。もちろん1人でも多くのプロ野球選手を輩出する夢はまだ続いているのだが、2020年の次の目標だ。東京オリンピックに出場すること。

そのためには、2019年の春から夏にかけて行われる、西アフリカ予選・アフリカ大陸予選を勝ち上がらなければいけない。さらに2020年2月の東京五輪ヨーロッパ予選で勝利するという、とてつもなく高い壁を超えていく必要がある。

そのために、2019年春に北海道での強化合宿を予定している。現在(12月20日23時まで)クラウドファンディングでサポーターを募集しているので、気になる方はチェックして欲しい。


そのブルキナファソ代表監督は出合氏だ。


総合コーチ兼選手として、ファイティングドッグスのラシィナ選手(21歳)もいる。現在アルビレックスの現役は退いたジニオ選手(23歳)もいる。

そしてブルキナファソにとって。いや、出合氏にとってとても重要な人物がもうひとりいる


投手・守備コーチ兼選手。カファンド・アミール選手(21歳)だ


あのアミール君なくして、現在のブルキナファソのナショナルチームは存在しなかった。ボールで遊んでいるだけの少年と、半ば人生を探すようにして、野球を教えにきた出合氏との巡り合いがなければ、この日は存在しなかった。そんな2人が率いるチームが、東京オリンピックに出場できたら、本当に素晴らしいことではないだろうか。ブルキナファソの少年たちが今、夢を叶えようとしている。

取材協力:北海道ベースボールアカデミー(Facebook
Report:佐藤英典
Photo:出合祐太 ,used with permission / RocketNews24.