きょう2018年5月22日、警視庁は『世田谷一家殺害事件』こと「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」のページを更新した。新たな情報としては、現場に残されたヒップバッグとマフラーの特徴と、そこから推定される犯人像が掲載されている。

同事件が起きたのは今から18年も前の2000年12月。未だに犯人は特定されていないのだが、警察は地道な捜査を続けている。そういえば数年前、同事件の犯人を探す刑事さん2人組がウチに来て、私の手の全ての指の指紋を採取したこともあった。

・事件から10年後に……

刑事さんたちが我が家にやってきたのは、たしか2010年ごろだったと思う。その時の私の感想は「ああ、やっと来たか」であり、実は内心、もっと早い段階で来ると思っていた。もちろん私は犯人ではない。アリバイもある。しかし……

事件が起きた2000年当時、私は「犯人像」として発表されている格好に、よく似た格好をしていたからである。クラッシャーハット&ラグランTシャツ&ヒップバッグのセットは好んで身につけていたし、もちろん冬はマフラーも首に巻いていた。

さらに、推定される犯人像の年齢層にも、モロに私は入っていた。もしも私が近所の住人であれば、「あの男、もしや……」と思うくらいに、犯人像とカブっていたのだ。しかし、刑事さんが目の前に現れたのは事件から約10年後のことだった。


「おーい、ゴー! 成城警察署の刑事さんが来てるぞ〜!!」


刑事さんのピンポンに反応したのは私の父親で、心なしか少しウキウキした表情で2階にいる私を呼びつけた。玄関に行くと、そこには2人の刑事さんが立っていた。まずはお決まりの警察手帳、そして、たしか、丁寧に名刺も渡してくれた気がする。

もう数年前の出来事なので、どんなことを聞かれたのか詳細は覚えていないが、「あらゆる可能性を考えて捜査しています」と言っていたことは覚えている。

また、ウチの実家は事件現場から直線距離で約4キロの位置にあるのだが、年々、捜査エリアを拡大していることや、犯人像に該当する年齢層の男性に、こうして会いに行っていることなども教えてくれた。やはり私も、一応は「容疑者」なのかも。


少しの話をした後、「念のために」ということで、私の指10本の全指紋を採取することになった。たしか朱肉は「黒色」で、1本1本ペタペタと、用紙に拇印を押していった。親父が「もう悪いことできないぞ〜」と言っていたことを覚えている。

指紋を採り終えると、刑事さんたちは丁寧に捜査協力のお礼を言い、去っていった。あれから8年。事件からは18年も経ってしまったのに、いまだに犯人は見つかっていない。よほど情報がないのだろう。しかし、捜査は今でも続いている。

ちなみに警視庁の『ヒップバッグとマフラーの特徴は?』ページの最後には、「平成7年から平成12年までの写真アルバムを見てください。」と太文字で書かれている。以下にそのまま引用するが、

「犯人は、現場付近に何らかの土地鑑があると認められるので、

・元々東京に住み現場付近に詳しい者
・学校や仕事のために地方から上京してきた者

などの可能性があります。
よって、元々東京都に住んでいる方だけでなく、東京都以外に住んでいる方も、ヒップバッグが売られ始めた平成7年から事件のあった平成12年までの写真アルバムを一度見てください。
あなたの知り合いが同じヒップバッグやマフラーを身につけているかもしれません。あなたの勇気ある情報提供をお待ちしています。」

──とのことである。

なお、犯人に結びつく最も有力な情報を提供した人には、2000万円の懸賞金が用意されている。もしかしたら、遠い昔の写真や映像に、事件解決と2000万円につながる人物が写っているかもしれない。いち早く犯人が特定されることを切に願う。

参照元:警視庁「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」
執筆:GO羽鳥
Photo:RocketNews24.