過去の「辺境音楽マニア」では世界有数の危険地帯である、イラクシリアのデスメタル事情を取り上げた。しかし最近では一連のミサイル発射により、北朝鮮が国際社会の平和と秩序を乱す「最大の脅威」と見られてきている。特に日本にとっては中東よりも遙かに身近に感じる脅威である。

そしてそんな「北朝鮮にデスメタルはいるのか?」と問われれば、「いないに決まっている」と答えるのが常識的な考えだ。なにせ一般市民は、外国のCDを聴く事はできないし、外国のインターネットにアクセスする事もできないからだ。髪を長髪に伸ばしたり、アンプやエフェクター、ツインペダル等、デスメタルを奏でるのに必要な楽器類も入手できないだろう。今回はそんな北朝鮮のデスメタル事情をお伝えしよう。

実は今から6年前の2011年に、YouTubeにアップされたあるビデオクリップのせいで、「北朝鮮にもデスメタル」がいるという真偽不明の情報が広まってしまった。それは「BRUTAL DEATH METAL FROM NORTH KOREA」というものだ。

・音的には90年台初期オールドスクール

バンド名は「붉은 전쟁」だが、意味は「Red War」。 音源名を「Demo Tape [demo] (2010)」としている。『War with U.S.A.』、『Stop Imperialism』、『Painful Hate Until Death』を含む3曲入り。動画の3分あたりから完全に無音が続くのが意味不明だ。

音楽共有サービスの「Myspace」にアカウントもあるが、公開されている内容はYouTubeと全く同じ。ライブ動画やメンバー写真などは一切無い。北朝鮮と証明出来るものは何ひとつない。

プロダクションが劣悪だが、ブラストビートやスラミング、ピッグスクイールなど近年の「ブルータルデスメタル」に特有のテクニックや要素はなく、スラッシュメタル風のリフに吐き捨て型のボーカルで、言ってみればひと昔前の普通の「デスメタル」。90年代初期ぐらいにレコーディングされたデモテープぽさを感じさせる。

・YouTubeのコメント欄やメタル掲示板は実在を疑うものばかり

このYouTubeのコメント欄を見ると、「北朝鮮にもこんなバンドがいるんだね」とコメントを寄せている人もいるが、その多くが「北朝鮮では西洋の音楽を聴くことは禁じられている」、「一般市民が海外のCDを買ったり、インターネットを見る事ができる訳がない」と真偽を疑うもの。

有名メタルアーカイブ「Encyclopaedia Metallum」の掲示板でも、このバンドは話題になっており、「『Stop Imperialism(帝国主義反対)』というタイトルなのに、「open your stomach and rip out the guts(腹を引き裂いて、内蔵を引き出してやる」」と英語で歌っている」という指摘があった。

「open your stomach and rip out the guts」を歌詞検索してみたが、残念ながらヒットするデスメタルソングはなかった。デスメタルの場合、歌詞が全てネット上にアップされている訳ではないのである。また、よく注意深く聴いてみても、音が悪いせいもあり、その歌詞の通りに発音しているかどうかも正確にはよく分からないのも事実。

他には「Cannibal Corpseのデモでしょ」という指摘があった。「Cannibal Corpse」はデスメタルの中でも最も有名なバンドの1つで、確かにデモ「Demo ’89」をリリースしているが、聴いてみても合致する部分はない。しかし確かに多少雰囲気は似ている。

・福建省在住からアップか?

YouTubeの音源の概要を見ると、バンドメンバーの名前とされる「San Jeong」や「Yi-Jin Ho」などが記されており、いくつかの組み合わせでフレーズ検索してみたが、ほとんど出るのはこの音源に関するサイトのみ。これらの名前は恐らく架空のものだろう。

そして概要ページの一番下を見ると、「Uploaded by iViLL」とある。その後ろには「@China」とあり、改行後に「http://t.sina.com.cn/ivill66」へのリンクが貼られている。

このリンクをクリックすると、「微博」という中華圏のメジャーSNSの「iViLL」というアカウントに飛ぶのだが、この人物のプロフィールを覗くと、福建省の泉州在住でブラックベリーに勤務しているとし、書き込まれている投稿もブラックベリーの事ばかり。デスメタルを感じさせる要素は見当たらない。そもそも中国からはYouTubeには特殊な方法を使わない限り、投稿はできないはず。「iViLL」が一体どういう人物なのかは謎のままである。

・脱北者によるものとは考えにくい

中国に逃れた脱北者による投稿ではないかという意見も見られるが、そういった境遇にある人物が、わざわざ危険を冒してこのような曲をYouTubeにアップするとは考えにくい。それに脱北者であれば、反北朝鮮的なメッセージを込めると考えられるが、曲は反米、反帝国主義で必ずしも北朝鮮に敵対的な姿勢を示している訳ではない。中国には朝鮮人労働者が沢山出稼ぎに来ているが、そういった者によるものの可能性はゼロではないかもしれないが……。

・韓国のバンドという説も疑わしい

中国語でこの音源「붉은 전쟁」について検索すると、「知乎」という中国のQ & Aサイトで、「これは韓国のバンドだ」と主張する書き込みが見られた。ただしバンド名は明記していない。

韓国に逃れた脱北者によるバンドの可能性も考えられなくはないが、その場合は北朝鮮擁護ではなく、北朝鮮を批判した曲をアップして良さそうである。しかし韓国で北朝鮮の体制を礼賛する事は御法度なので、その意味でもこのスタンスは矛盾する。

・ブレイクコアでも「北朝鮮出身」成りすましが問題に

ブレイクコアというテクノのジャンルでも、北朝鮮出身と称する「Pyongyang Hardcore Resistence」というグループがネット上で話題になった事があった。次第に騒ぎが大きくなるにつれて、YouTubeに曲をアップしたメンバー本人が、実は韓国人である事を告白する事態に追い込まれた。

この「北朝鮮出身のデスメタル」なるものも、これとほぼ同様の背景があると考えるのが自然と言えよう。つまりなりすましの愉快犯によるものである。

・他国でもなりすます

イラク出身の女性フロントマンを擁する反イスラム主義を掲げるブラックメタル「Seeds of Ibliss」が、実は欧米出身者によるなりすましの可能性が非常に高い事が突き止められた事件があったが、この北朝鮮のデスメタルも似たケースなのだろう。人々の注目を得る為に「北朝鮮」が利用されたという訳である。

インターネットが世界中に広まったお陰で、世界各国のメタルバンドが世界中に存在を発信出来るようになった。それはそれで素晴らしい事なのだが、インターネット上という仮想空間だけでしか活動していない場合、出身国を偽る事も容易である。今までにも、「コンゴ民主共和国出身のブルータルデスメタル」や「ヴァチカン市国出身のメタルコア」等、様々な「辺境」や特殊な地域の出身である事を詐称するオンラインバンドが出てきたが、いずれも話題性を集める為の虚偽だったと断定されている。

仮に変わった地域や辺境出身を名乗るバンドが出てきたとしても、それを鵜呑みにする事なく、実際本当にそうなのかどうか、1つひとつ調べて、真偽を見極めるネットリテラシーが必要になってくるのである。

執筆:ハマザキカク
イラスト:Rocketnews24

▼2011年に突如公開された「BRUTAL DEATH METAL FROM NORTH KOREA」。北朝鮮出身者によるバンドかどうかは不明

▼ブレイクコアの世界で北朝鮮出身と偽った「Pyongyang Hardcore Resistence」