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突然の訃報に日本全国民が言葉を失った……2015年11月30日、心不全のため漫画家・水木しげるさんが亡くなったのだ。93歳という高齢であったが、いつまでも生き続けてくださることを信じて疑わなかったのは記者だけではなかろう。

この世ならざるモノに大きな関心を寄せ、次々とカタチにしてきた水木さん。きっと今頃、あちらの世界でも「フハッ!!」と鼻息荒く、興味津々で楽しんでいらっしゃるに違いない。残された私たちにできることは、そんな水木さんの思いをつないでいくこと。水木さんの魅力を振り返ってみよう。

・最高傑作は “水木しげる” さんご本人

生涯現役を貫いた漫画家・水木しげるさん。『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』など、数々の名作を世に出してきたことは誰もが知るところ。亡くなる半年ほど前の2015年5月まで、ビッグコミックで『わたしの日々』を連載していた。 

曲がりなりにも “妖怪文化研究家” を名乗っている記者は、直接言葉を交わしたことはないが何度かそのお姿を拝見し、お話を拝聴したことがある。そのたびに話の内容はもちろん、水木さんそのものからあふれ出す魅力がハンパないと感じた。

あんな93歳はほかにいない。作品はもちろん、何よりも “水木しげる” さんご本人が一番の傑作だと断言できるほどだ。水木さんが幸せになるための知恵を説いた『幸せになるための七カ条』は有名だが、それ以外にも数々の名言を残しているので紹介したい。

・ “水木力” が感じられる言葉3選

その1:餓死です、そういう連中を待ってるのは。私はそういうヤツには「死にたければやれ」と言うんです。「死んでもいいです」と言ったところから、出発するんです

軽い気持ちでマンガ家を志望する人について聞かれた時の水木さんの言葉だ。戦争を含め、数々の難局を乗り越えて来たからこそ言えるセリフ。ひょうひょうとした様が印象深い水木さんだが、その実、かなりガッツのある方でもあった。私たちも、少々のことで文句を言ったり投げ出したりしてはいけないと、気を引き締めさせられる一言だ。

その2:戦記物をかくと、わけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。たぶん戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う

戦争を体験し、戦場で左腕をなくし、激動の時代を “絵を描き続ける” ことで生き抜いた水木さん。あまり積極的に戦争体験を話すことはなかったようだが、私たちが想像し得ないほどの苦しい状況を、かいくぐって生きてきたことは確か。心の内に秘めた思いが垣間見える貴重な一言。

その3:人生はあんた、面白くなりかけたころに寿命がくるんです。秘密がわかりかけたころに。神様がわからないようにしてるんだ。

いつだったか、水木さんがテレビの取材で「人生は90歳からが面白い」というお話をされていたと記憶している。些細なことに囚われなくなるから、といった内容だったはずだが、93歳で亡くなったのも水木さんが人生を楽しみ始めていたからか。そうであったらイイなと思う一言だ。

以上、名言を3つ紹介したが、ここでは語りつくせないほど数々の偉業を成し遂げていることは周知の通り。とにかくユニークでお茶目で、とても賢い人だった。間接的にしか存じ上げない記者でも、人間力というか「水木力」が全身から放たれている、魅力的な人だということを知っている。

是非とも、一人でも多くの人に水木さんの作品を読んでもらいたい。そして水木さんの魅力に触れ、彼の遺したものを次の世代へつなげていってほしい。水木さんが、あの世で楽しんでいらっしゃることを願いながら。今までお疲れさまでした。そしてまた、そちらの世界でお会いできることを楽しみにしています。

執筆:K.Masami
イラスト:稲葉翔子