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2013年10月28日午後4時58分、川上哲治(てつはる)氏が東京都稲城市内の病院で老衰のため93歳で死去した。野球界へと残した彼の功績は計り知れないもので、もはや伝説といっていいものである。

投手、打者の “二刀流” もこなした野球センスの持ち主であった川上氏。また、監督としても「V9」を達成したことでも知られている。今回は、この先も語り継がれていくと思われる彼の人生を動画と共に振り返りたい。

・川上哲治氏とは

1920年3月23日、熊本県生まれ。1938年に熊本県立工業学校からプロ入りしてからは読売ジャイアンツ(当時は東京巨人軍)一筋でプレーし、監督としても1961年から14年間に渡る長期政権も任された。

・打撃の神様

左投げ左打ちとして投手も兼任していたが、一塁手にコンバートされたことで打撃の才能は一気に開花。現役通算18年で2351安打を放ち、生涯打率は・313という成績を残し、「打撃の神様」と呼ばれるまでになった。動画では、スイングの力強さが見て取れるぞ。

・監督としても超一流

そして川上氏を語る上で、忘れることができないのは何と言っても「V9」だ。65年からのリーグ、日本一の9連覇は今でも語られる伝説となっている。王貞治氏、長嶋茂雄氏の『ON』を率い、14年間で優勝11回と球史にその名を刻んだ。

ちなみに1961年からの14年間での成績は1066勝739敗、勝率・591という驚異的なものであったが、1974年に10連覇を逃したことで退任を発表した。常勝軍団・巨人を作ったのは彼と言っても過言ではないだろう。

・川上氏の訃報に対するネットユーザーの反応

「ご冥福をお祈りします」
「神様が天に帰られたか……」
「子供の頃野球教室で教えて貰った… 合掌」
「王さんに一本足打法を仕込んだ方だったよな。ご冥福をお祈りします。」
「僕にとっては憎っくき敵役の親分でしたが、素晴らしい足跡を残された方でした。ご冥福をお祈り申し上げます。」
「やっぱし巨人の監督といえば川上監督のイメージが強い。心からご冥福をお祈りいたします。」
「川上哲治さんの死去を今知った 親父の世代では紛れもなく熊本の誇りだったな… 合掌」

などなど、彼の野球を見て育ち、思い入れのある世代からのコメントが多数。また、全盛期の頃を知らなくても、名前と実績は知っており、ご冥福をお祈りするという声も多く見られた。

「歴史は塗り替えられるためにある」とよく言われるが、川上氏が打ち立てたV9という記録を超える監督はこの先出てくるであろうか。昭和という時代がまたひとつ過ぎ去ろうとしている今、そう思わずにはいられない。

参照元:YouTube
執筆:原田たかし

▼偉大さは今後も語り継がれていく

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▼巨人のレジェンドのひとりである