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フィリピンのレイテ島は第二次世界大戦中の激戦地として知られている。日本兵8万4000人以上のうち生還できたのはわずか2500名ほどであったそうだ。レイテ島を訪れた日本人として過去を知ろうとしないのあまりにも無関心ではないか? そう思い、島にある慰霊碑に行ってみることにした。

・レイテ島のカンギポット山
レイテ島にはいくつかの慰霊碑があるが、島随一の街オルモックから近いのはカンギポット山が見える慰霊碑だという。カンギポット山は、当時2万人近い日本兵が餓死や病死した場所だそうだ。記者はその山が見える慰霊碑へ行くことにした。

・慰霊碑での献花
オルモックからクルマで1時間半ほど走った所に、世界慰霊平和公園の碑が建立されている。その真横に白い金属製のプレートがあり、平和を訴える文字が刻まれていた。ふと遠くに目をやると、カンギポット山が見えた。

・カンギポット山に潜入
現地でガイドを手配し、早速カンギポット山へ。山は予想以上に草木の茂る道の悪さだった。ガイドさんはナタで草木をなぎ払いながら進んでいく。この山には平坦な道がほとんどない。大抵が急な斜面で両手を使って登るか、次々と木に掴まりながら滑り落ちるかなのだ。

・歩くだけで体力を激しく消耗
とにかく暑い……。無意識に水を大量に飲む。結果、体力を消耗する。しかし、どうしても暑いのでまた水を大量に飲み、さらに体力を消耗する。そんな悪循環が繰り返され、進むだけで体力の限界に。ガイドさんの助けを借りたにも関わらず歩くだけで疲れ果ててしまった。戦時中、日本兵はこの山で重装備のまま敗走したのだ。それはもう「辛い」なんてものではないだろう。

・山頂からは美しい景色が広がっていた
やっとの思いでたどり着いた山頂で、記者の目の前に美しい光景が広がった。眼下に生い茂るヤシの木と遠くに見える青い海、そして澄みわたる空……。当時も同じ景色が広がっていたのだろうか? この美しい景色の中で激戦が繰り広げられたとは想像しがたい。

しかし、ここでは確かに激戦が繰り広げられ、多くの人が命を落としていった。美しい島にたたずむ慰霊碑はその歴史を刻み続けている。英霊に手を合わせつつ、戦争による悲劇が起きないよう祈るばかりである。

Report:世界のショウゴ

▼このような村を通過する
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▼村長さんの家においてあった。1941年に使用されたという
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▼こちらが世界慰霊平和公園のゲートから慰霊碑まで
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▼慰霊碑の左に見えるのがカンギポット山だ
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▼カンギポット山へは、こちらのお宅の裏側から行く
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▼ガイドさんは日々この山でココナッツを採っているため疲れた様子を見せない
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▼頂上からの眺め
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