2012年9月28日、バトルDJを決める大会「DMC World Champion 2012」が英ロンドンで開催されました。今年王者に輝いたのは、日本人DJの「威蔵(IZOH)」です。彼はいかにして世界の頂点にたどり着いたのでしょうか。彼のインタビューにより、血のにじむような努力を重ねてきたことが明らかになりました。彼自身「生きるか死ぬかだった」と、今回のチャレンジを振り返っています。

・最初の夢、ジャパンファイナル
DJ威蔵は、14歳のときにテレビ番組で「DJ」を知ったことをきっかけに、自らもプレイするようになったそうです。その当時は、自分が世界一になることなど、夢にも思わなかったのだとか。「うちに機材があって、友達が遊びに来てターンテーブルで遊んでるだけだった」と振り返っています。

彼がバトルDJとして実力を発揮して行くようになったのは、大会に出場するようになってから。地方での大会を勝ちあがり、関東地区の決勝に出場するようになったころ、「いつかは日本の決勝大会(ジャパンファイナル)に出たい」と願うようになりました。

・わずか5年で最初の夢を達成
DJをはじめて3年目、18歳のときに大会に出場しはじめ、19歳のときにティーンの大会で2位を獲得。それを弾みにして20歳のときに、最初の夢であったジャパンファイナルへと駒を進めたのです。DJにのめり込むうちに、夢のひとつを叶えた威蔵は、必然的に視野を海外に向けて行きました。

・高かった世界の壁
その後も快進撃は続きます。24歳で世界3位を獲得すると、もはや世界チャンピオンは遠くの夢ではなく、手の届く現実になっていました。しかしそこからの距離は近いものではありませんでした。それでなくても、挑戦し続けることは容易ではありません。以後数年は思わしい成績を残せなかったのですが、2011年の大会でこれまでにないほどのパフォーマンスを披露できたのです。チャンピオン獲得の手ごたえを、威蔵自身は感じていました。ところが成績は2位。王者獲得目前にして、挫折感を味わうことになったのです。

・負けたらすべてを失う
そして迎えた2012年、「今年行くしかない」と決断した威蔵は、万全の体制で大会に出場……のはずでした。大会前に威蔵は、「負けたらすべてを失う。生きるか死ぬか」という心積もりだったのですが、耐え難い緊張に向き合うあまりに、「逃げたいという衝動に駆られて仕方なかった」と振り返っています。

プレイ用のルーティン(演奏)を完成させるために、一日2時間の睡眠を繰り返していたために疲労困憊。結局、イギリスへの出発二日前になってようやくルーティンが完成する、まさに瀬戸際の状態でした。

・極限状態で迎えた大会本番
極限状態で大会に参加した威蔵。直前までは緊張感にさいなまれて、もがくような苦しみを味わったのですが、いざ本番になると冴えのあるプレイを披露します。「はじまればやるだけですよね。やり切るしかないんですよ」、そうしてすべてを出し切って世界を圧倒し、チャンピンの座を獲得しました。

・「ありがとう」という言葉
結果発表直後は、「当たり前だ! ようやくわかったか、お前ら!」と思っていたと言います。興奮のあまり感慨にふける余地は、威蔵のなかになかったのではないでしょうか。それが翌日になって、Twitterのコメントを見たときに、威蔵の心のなかに少しずつ嬉しさがこみ上げてきました。多くの「おめでとう!」というコメントのなかには、「ありがとう」という言葉もあったそうです。自分の活躍に感謝されたことを、威蔵自身驚きました。

・自分にいかに厳しくなれるか
どうして世界一になれたと思うか、威蔵にそう尋ねると、「結局自分ですよね。自分にいかに厳しくなれるか。それしかないと思います」と自らの心持ちを明かしました。「生きるか死ぬか」は決して大げさなものではなく、彼自身が死ぬような覚悟で臨んだからこそ、生まれた言葉なのではないでしょうか。来年はディフェンディング・チャンピオンとして2連覇への期待が高まっていますが、「今年と同じポテンシャルを作れるかどうか」と、正直に話してくれました。

気さくに笑いを交えながら、インタビューに応じてくれたDJ威蔵。しかし大会直前のことを尋ねると、一際厳しい表情になりました。いかに突き詰めた状態で大会に臨んだのか、うかがえます。彼の研ぎ澄まされたDJプレイを見たいという方は、以下のイベントに足を運んでみてください。さらなる彼の活躍に期待したいと思います。

GUN☆MASTAR FES(グンマ・スター・フェス)
開催日 2012年11月17日
開始時間 11:00
会場 グリーンドーム前橋

レポート:フードクイーン・佐藤
Photo:Rocketnews24