おそらくほとんどの人が知らないと思うけど、近頃のパチンコ店はとてつもなくキレイになっている。それはもう昔と比べると、雲泥の差といっても過言ではない。なぜそれがわかるか? 私(佐藤)は20歳頃にパチンコ店に勤めていたことがあるからだ。

あまりの違いに改めて驚くと共に、昔を振り返れば、30年前はホントにひどかったことがご理解いただけるだろう。今にして思えば、ある種の「セーフティネット」としても機能していたことも思い出される。

・金を貯めたかった

私はパチンコをしない。なぜなら働いていた経験があるからだ。当時お店に通い詰める人も多く、1人のお客が1日で10万負けるのを目の当たりにしていたからだ。それで半分八つ当たりみたいに文句を言われたことがあって、「途中でやめりゃあいいのに」と思いながら接客した経験があり、そんなにやるものではないと考えるようになった。

あの頃、私は海外に行くことを画策していた。沢木耕太郎氏の名作紀行小説『深夜特急』に感化されて、漠然と「ネパールに行くんだ」なんてことを口走っていた覚えがある。そのためにも金を貯めて日本を出ると豪語し、昼はパチンコ店、夜はコンビニでバイトをしていた。

パチンコ店に入ったのは友人の紹介だった。金を貯めたいと言っていた私をお店と取り次いでくれて、面接もほどほどにすぐに働き始めた


・素性のわからない大人たち

あの頃のパチンコ店で働く人たちは、学生バイトを除けば素性のわからない人たちばかりだった。履歴書を出さなくても住み込みで働けたので、「使ってください」といえばその日からでも働くことができ、たしか給料の前借りにも寛容だったと記憶している。

そのお店で最初に仲良くなった先輩は、「俺、軽トラ1台でここに来た」と言っていた。荷物もなくいきなり来て寮に入ったと話していた。それ以前、何をしていたのか怖くて聞けなかった。また別の他県から流れてきたという先輩は、彼女と逃げてきたと話していた。身体には中途半端な筋彫り(刺青)があって、薬物で服役経験もあると言っていた

ある日、突然住み込みの人がいなくなって「飛んだ」とか何とか話していたこともあった。

それでも、ここにくれば寝泊まりできて食事(まかない)を摂れて、仕事ができる。あの頃のパチンコ店はそういう場所だった。素性を明かさなくても仕事に就けることは、脛に疵を持つ身にとっては、残された行き場のひとつだったのだろう。小僧の私は怖さ半分、興味半分で話を聞いたものだ。


素性は怪しかったが、面倒味の良い人も多く、数カ月に1度はレクリエーションでバーベキューなどの催しが開かれていた。バイトなのに、海水浴に招いてもらって皆さんと親睦を深めたりもした。

当時、アメリカのロックバンド「モトリークルー」というバンドのドラム、トミー・リーに憧れていた私が変なモヒカンで出社したら、「悪い友達と付き合ってんのか?」ってめちゃくちゃ心配されたりもしたっけ。あの人たちから見れば、世間知らずの小僧は可愛く見えていたのかも。


・ジャンジャンバリバリ

当時は分煙なんて概念はなく、まして禁煙席など存在しなかった。朝から晩まで店内にはタバコの煙が循環しており、今のように加熱式タバコはないのでオール紙巻き。

BGMは爆音で、パチンコ玉が台を叩き、レーンを疾走する金属音がけたたましく鳴っていた。「ジャンジャンバリバリ」とはよく言ったものだ。まさしくそんな音が開店から閉店まで続いている。

不思議なことに、働き始めた最初のうちは臭いとかうるさいと思っているのに、気づけば気にならなくなっている。人間とは何事にも適合し得るものなのだと、身をもって知ることができた。


・埃と煙にまみれて

ずいぶん前から、パチンコ業界がクリーンになったことは知っていた。企業によっては雇用条件がしっかりしていて、大卒で勤める人もいると聞いたこともある。今となっては軽トラで店に行って「働かせてください」なんて言えないだろう。何をしてきた人物かわからないのに、寮に入れるなんてもってのほかだ。

お店も分煙が進み、喫煙室は当たり前。お店によってはフロアごと禁煙していたりする。私は時々、誰でも利用できる喫煙室を備えるお店を訪ねることがあるが、タバコのニオイのするフロアのお店に、数年レベルで遭遇していない。

パチンコ業界は環境のクリーンアップに成功したのだ。キレイになったとはいえ、業界は横ばいから縮小傾向にある。ギャンブル依存症対策の強化や、新規ユーザーの取り込みの問題なども抱えており、昔のようにはいかないだろう。

今日覗いたお店では、遊戯中の人が全員、台を打ちながらスマホをいじっていた。もう娯楽として人を惹き付ける力が弱まっているのかも。


この先、娯楽の多様化がさらに進めば、いずれは……。昭和・平成は遠くになりにけり。決してキレイではなかったあの頃、埃と煙にまみれた皆が鈍く、そして寛容でいられる時代だった。


執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24