今私はプレスツアーで福井県に来ている。これから勝山市の越前大仏に行くという。あー、越前大仏……バブル期にすげぇお金持ちが建てたパチモン臭いやつだろ?

知ってるよ。子供の頃に話題になってたし。でも仏像はデカけりゃいいってもんでもないし、ちょっとなぁ。そう思っていたが、私の理解は建立当時のままで止まっていたことが発覚! 今はそんなことになってたのか……!!

・大師山清大寺

ということで、やってきました大師山清大寺。いや、私もここが大師山清大寺というのは今日初めて知った


なんかこう、バブル的センスで建てられた仏教テイストのテーマパークみたいなところに、デカい仏像がポンと置いてあるのだと思っていた。はぁー、ガワはちゃんとした寺なんだなぁ

ここは私の幼少期に建てられた。当時は金持ちが作った珍スポットみたいな感じで、極めて断片的な情報のみが全国に伝えられていたと記憶している。

ゆえに大仏についても、私が抱いていた正直な印象は……残念ながら編集部判断で公開できないとされた。

そして私の正直な印象から編集部判断で書き直された表現は “金持ちが作ったパチモンのデカい大仏” 。つまり私の本音は、こいつよりも当サイトの編集部が公開を渋る程度にろくでもないものなわけだ。

恐らく建立当時を知っている人ほど、越前大仏を軽視ぎみなのではないか。宗教法人ですらないのは有名だったし。


・寺っぽい

おぉ、いちおうちゃんと仁王像があるんだなぁ。思っていた以上に体裁は整っている。ちゃんと本物の寺を模して作ったのか。


そして巨大な大仏殿へ。


これが越前大仏。いやぁ、デカさは圧倒的。本当にすさまじい金持ちだったんだろうなぁ。まあ外国人にはウケそう。


でもですね、福井県さん。やっぱり日本人としては、仏像ってのにはそれなりにウルサくなるわけですよ。こちら毘盧遮那仏さんですか? まあねぇ、立派な大きさしてますけれども、それだけじゃあ、なかなか尊べないわけでして。私より年下だし。


やはりちゃんとした宗派に属していて、その教えとか、そういうのも含めてジャッジされるべきだと思うワケ。例えば私が紙粘土で仏像を作っても、誰もそれを仏像として扱わないじゃないですか。


そういうことですよ。昭和生まれですから、来たことは無いけれどもニュースで当時を知ってるんでね。実態は寺ですらない観光施設でしょう? なので……


……


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妙心寺……だと……?


・臨済宗妙心寺

ちょ、待てよ。ここは個人が作った仏教テーマパークじゃなかったのか? 妙心寺っていえば、京都の花園にある、あの妙心寺だろう!?

ついこの間、特別公開中の天球院を見て来たばかり。なんで越前大仏の横に妙心寺の教えが貼ってあるんだ? 

聞くと、こちら始まりは確かにただの観光施設だったが、2002年に臨済宗妙心寺派のお寺になっていたそう。お坊さんも仏教テーマパークのキャストではなく、妙心寺派の僧……!!

す、すみませんでしたァァァアアアアア!!!! 私の情報は38年前で止まっていた。ここには本物の教えと信仰が存在する。いやまあ、信仰は初めからあったかもしれないが。


・本質

ということで、パチモンだと思っていたが、妙心寺派に入っていたと知れたとたん、越前大仏は私の中で本物の仏像になった

なんとも権威主義的なことだ。愚かな私が悟りに至ることは無いだろう。よく考えれば、本来、仏像とは教えを伝えるために仏の姿を図形化したもの。

モノ自体に一切のバックグラウンドは不要なはず。誰かが信仰の対象とするのなら、それは全て真に仏像なのだろう。本物も偽物もないのである。

令和に国宝とか重要文化財に指定されてる仏像の類だって、制作当時はその時の権力者が金で職人に作らせたものだったろうしな。この越前大仏も、あと1000年もすれば、現在における東大寺の仏像みたいな扱いになってもおかしくない。

曇りに曇った私の目は、越前大仏によっていくばくか晴らされたもよう。この体験が無ければ私が仏像の本質に立ち返ることなどなかったに違いない。

この気づきを得たからだろうか。エレベーターで上がれる最新の五重塔の上から見た勝山の景色は綺麗だった。

参考リンク:大師山清大寺
執筆:江川資具
Photo:RocketNews24.

▼五重塔。冬は屋根から雪が落ちてくるので入場禁止になるそう。75メートルで、五重塔としては日本一の高さ。

▼周囲にも大量の仏像がある。全部で1281体だそう。メンテできるのか聞いたところ、届く範囲しかできないそう。

▼こういうのも、無意識的な信仰の、ある種の発露の型だと思う。なぜこうするのか、その心裏は興味深い。