人間関係を一発で破壊しかねないという意味で、「お金」は一種の爆弾だろう。どれだけ強い絆で結ばれている者同士でも、金銭上のトラブルですべてが終了しかねない。それだけに、お金にまつわるやり取りは何かと気を遣うものだが……。
気遣いゼロでお金(寄付)を求めてくる組織が、知の集合体・Wikipedia(ウィキペディア)である。酷い言い方だと思うかもしれないが、紛れもない事実だ。じゃなければ、以下のようなメールを送って来ないだろうから。
・寄付を5年続けて受けた仕打ち
何があったのかというと、Wikipediaから送られてきた「寄付のお礼メール」があまりにも酷かったのだ。もはやお礼になってない。こんなメールなら、送られて来ない方がマシというレベルの内容。
たしかに、今年私が寄付した金額は去年よりも少なかった。去年の寄付額が約2000円だったのに対して、今年は約1500円と500円ケチったのは事実である。
ただそれでも、私の中では結構な金額。自分なりには頑張ったと言える。なのに……! お礼のメールがこれである。
「2020年に¥2,080を寄付してくださったあなたは、ご自身と大勢の読者のためにウィキペディアの繁栄を支えてくださった特別な支援者のお一人です」
……
……
うん?
……
……
2020年に……寄付!?
……
……
……
……
いやいやいやいや!
今年(2021年)の寄付をスルーしてるやん!! 1日前にお金を振り込んだというのに……! 寄付の直後に、領収書付きの自動返信メールだって受け取っているというのに!!
今年の寄付は無視って、どういうことやねん。寄付額が去年より低かったことに対する当てつけか? 「そんな金額じゃ寄付したうちに入んねえよ」という意味なのか? だとしたら……性格クソすぎるだろ!
・何度も同じミス
と、ここで本シリーズを以前から読んでくれている人ならお気づきかもしれない。Wikipediaが以前にも似たようなミスをやらかしていることを。
振り返ると2019年、私はWikipediaから同じような仕打ちを食らっている。詳しくはその記事を参考にしてもらうとして、あまりにも似たような状況なので上の文をほぼコピペしたくらいだ。
・ワザとじゃない可能性
それにしても、同じミスを繰り返すとはWikipediaは一体どうなっているのだろう? と考えたところ、組織内で情報が混乱している可能性は否めない。
たとえば、寄付を催促する部署と寄付歴を記録する部署が別で、2つの組織間で情報共有が出来ていなかったら、このような事態になっても不思議ではない。寄付した側からすると困ったものではあるが、上の仕打ちは「ワザとじゃない」と言えるだろう。
だがしかし!
私が受け取ったお礼メールの2020年版と2021年版を比較してみると……
2020年のお礼メール → 4回寄付
2021年のお礼メール → 4回以上寄付
今年2021年は、「4回以上」と文言が変わっている。ってことはだ。このメールを送ってきた部署は、2021年に私が行った寄付を認識している可能性が高い。にもかかわらず、今年の寄付をスルーしてきたということは……
そんな金額じゃ全然足りないんですけどぉおおおおおおおおおおおおおお!
って意味なのだろうか? はっきりしたことは分からないが、ここまで来ると、もはやWikipediaに同情する。なにせ、今回の行為はあまりにも恥ずかしい。
結婚式で例えるならば、ご祝儀の額が平均より低かった人に対して料理を出さなかったようなもの。もし自分が主催側の立場で、そのようなトラブルが起こってしまったら赤面どころじゃ済まない。一生忘れられない大失態として、記憶に刻まれるだろう。
だからWikipediaだって、この事実を認識したら恥の意識にさいなまれるはず──という私の考えは、次の文を読んだ瞬間に吹っ飛んだ。何が書かれていたかというと……
メンタル鋼(はがね)かよ。これだけ失礼なメールを送っておきながら、よくも寄付の依頼なんか出来たな。しかもだ。今年1回目の催促メールでは「募金を呼びかけるメールを毎月送ることはしません」と言っていたはず。
その数日後にサラっと前言を撤回するとか、もはやサイコパスである。一体どれだけ面の皮が厚いのか?
まあ、5年間の寄付金をすべて会社の経費で落としている私が言えたことではないかもしれないが……。Wikipediaよ、その姿勢はアカンぞ!
参考リンク:Wikipedia「寄付のお願い」
執筆:和才雄一郎
Photo:RocketNews24.
▼お礼のメールに見せかけて、ただの寄付のお願いだった。