在宅勤務になって、早2カ月。多少はこの仕事ペースに慣れた……。と言いたいところだが、日が経つにつれて作業効率が落ちている気がする。というのも、最初こそ環境の変化に刺激を受けていたが、もはや飽きてきている。気が散るのに任せて、ボーっと窓の外をぼんやり眺めていることもしばしばだ。

表の立ち木に2羽の名の知らぬ小鳥が止まり、仲良くクチバシを重ね合わせているのが見える。ふと、遠い昔の記憶がよみがえった。あれは18歳の頃だったか、俺が初めてキスした日のことが脳裏をよぎった。ヤンちゃん(仮名)、どうしているかな……。

・カノジョじゃなかった

何をきっかけで彼女と仲良くなったのか、まったく思い出せない。俺が通っていたのは商業高校、生徒の7割が女子だった。彼女は女子クラス(クラス全員女子)に在籍していたはず。「女クラ」と略されていたっけ。当時の俺は今とはまったくと言っていいほど性格が違い、どちらかといえば、おとなしいタイプの冴えない男子の1人だった。

ちなみに初めて女性とお付き合いしたのは、19歳の頃なので恋愛にも奥手。何かと “遅い” 方の部類だったと思う。気づいたと思うが、初めてキスをした相手の彼女は、いわゆる「カノジョ」ではなかった


・不良

彼女は、学校でもヤンチャな部類に入る人物。したがって、この場では「ヤンちゃん」と呼ばせて頂く。派手で目立つという訳ではなかったが、卒業前にはスナックでバイトしたり、あまり登校して来なかったり。タバコを吸ったり吸わなかったりしていたように思う。

23歳から喫煙習慣が始まり、そのままどっぷりニコチンにとり憑かれている俺ではあるが、高校時代は「タバコなんてけしからん!」と本気で思っていた。俺から見れば、ヤンちゃんは十分不良だった。


・お小遣い3000円

共通の知人を介して知り合った彼女とは、仲良くなったのだと思う。そうでなければ、あの夏の日に、2人で海に出かけたりしなかったはずだ。電車で1時間かけて隣の街まで行き、そこからさらに車で30分かけて、海岸まで行ったっけな。


車で行ったといっても免許がない。つまりタクシーで行ったのだ。交際していないとはいえ、男が足代を持つべきところではあるのだが……。高校時分の俺のお小遣いは月3000円だった。定期的にしているアルバイトはなく、それでも一切困ることがなかったので、月3000円で満足していた。

だが、この段になって持ち合わせがない。そもそも実家暮らしだから、「金がない」という感覚さえなかった。当然ヤンちゃんが払ってくれた。それで見るともなく海を見て帰ったと思う。


・寝ていたはずのヤンちゃんが

その日は地元に戻り、そのままヤンちゃんが通っているというスナックに行ったはずだ。たしかお店の名前を「ナスがママよ」といったか。妙なところだけは良く覚えているものだ。たばこを毛嫌いしていたくらいだから、酒だって知らない。何とかフィズを飲んだ気がする。バイオレットフィズだったか。1杯で十二分に酔っぱらうほど、酒には弱かった。


気の優しい細身のマスターが、俺たちみたいなガキを相手にしてくれてよく、店に入れてくれたものだ。1杯や2杯で2~3時間滞在していただろうか。薄暗い店の灯りと、他愛のない会話。隣ではヤンちゃんが赤ら顔で突っ伏している。


すると突然!


寝ていたと思ったヤンちゃんが唇を重ね合わせてきた。一瞬ナニが起こったのか、酔った頭では理解が追いつかなかったが、再度キスをしてきた。渇きはじめたリップの味が、口先に残っている感触がある。コレがファーストキスというヤツなのか。今だったのか? 今、こんなタイミングでよかったのか?


その後、ヤンちゃんはお店の一輪挿しのガーベラに話しかけていた。「かわいいねえ」と何度も、何度も……


・今、伝えたいこと

お小遣い3000円の私が、その場の会計を出来るはずもなく、またしてもヤンちゃんに払ってもらった。そしてその日、ヤンちゃんは家に来て、俺の部屋に泊まり、何事もなく次の日を迎えて、歩いて帰っていった。


もしも、もう1度、ヤンちゃんに会えるなら、俺は言いたい


払わせっぱなしでごめん!


なぜあの日、ヤンちゃんは俺に口づけをしたのか? 俺にとってはほろ苦い、ファーストキスの思い出だ……。


~~ 完 ~~

執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24