東日本大震災で大きな被害をだした宮城県、気仙沼市。つい先日筆者も取材に訪れたのだが、現在は復興横丁がオープンしたり魚市場ができたりと、復興に向けて街は少しずつ動き出している。

つい先日には信号が一部で設置され市民からは「信号ができて、いちいち停車しなくちゃならなくなった。前の方がよかったかも(笑)」との声も聞かれた。

しかしながら、震災の爪痕もまだまだ残っている。国道沿いには、大きな船が横たわり、港周辺は電気もなく暗闇に包まれている。その様子を見ると本当に心が痛み、『私ができる長期的な支援方法はないか』と考えずにはいられなくなる。

ちなみに、ある市民は筆者にこうアドバイスしてくれた。
 
「震災当時の話なのですが。やかんを置けるタイプのストーブはかなり重宝したようです。お湯も沸かせますし、やろうと思えば料理もできます。もし、可能であれば、家に一台置いておいても損はないかもしれません」と。
 
多くの犠牲を出し今懸命に復興、再生へと歩き出した気仙沼市。ボランティアの数が減っている今だからこそ、何かアクションを起こさなければならないのである。

(文・写真=Yoshio)