右翼キャラ、演説ネタ、玉砕スーツで一世風靡した演説家、鳥肌実。その過激なキャラとインパクトのあるネタで、強烈な印象を残してきた。かくいう私も、軍服に身を包み、神がかった美しさの彼に憧れ『廃人玉砕』という写真集をこっそり入手している。

内容が内容だけにメディアではなかなか見ることができない彼だが、いまは何をしているのだろうか。まだ右翼キャラは健在なのだろうか。というわけで本人に突撃ロングインタビューしてみた!!

──さっそくですが、いまはどのような活動をされているのですか?

鳥肌「いまは自分の手打ち興行というか講演会で、全国ツアーを回ってますけど、相変わらずのペースでやってます。また、相変わらずメディアにも出ておりません」

──現在ご自身の講演以外の活動は?

鳥肌「呼ばれていく仕事はやっぱり減りましたよね。世の中の流れっていうのはあると思います」


・演説家“鳥肌実”ができるまで

そもそもどうして演説家キャラになったのか。もともとそっち系だったのか。もしくは完全に計算されて作られたキャラクターなのか。謎に包まれた生い立ち、謎に包まれたプライベート。演説家“鳥肌実”ができるまでを聞いてみた。

──そもそもどんな子供時代だったのです?

鳥肌「子供の頃からミリタリーオタクでしたね。大人しいけど、奇行が目立つ。先生や親にひっぱたかれて怒られても、『こいつら、俺が将来有名人になるとも知らずに、こんなひどい仕打ちしやがって』って子供心に思ってました」

──小さい頃から有名人になろうという野望があったんですね。

鳥肌「何かはわからないけれども、絶対有名人になるんだってその頃から思ってて、随分変わった子供ですよ。芸能の世界にいくことは決めてましたから、就職活動も大学までいってやったことないんですよ」

──子供の頃から表現活動はしたいと思っていたんですね。

鳥肌「そうですね。小学生の頃からとにかく表現活動をしたくて、役者とかミュージシャンとかお笑いとか、ジャンルは何も意識していないんですけども、文化祭とか学園祭があればいろいろやってました。目立ちたがり屋な部分はあったんじゃないですかね」

──いざ行動に移ったのはいつ頃?

鳥肌「芸術系の大学や劇団を受けましたがことごとく落ちまして、しょうもない大阪の普通の大学に行きました。法学部で、学校の勉強は面白くもなんともない。そんな中、吉本のNSCを大阪、名古屋と2回受けましたが、これも落ちてまして。よくネタでしょ、と言われるんですが本当なんです」

──吉本に落ちてるんですね! 意外です!!

鳥肌「なにかやりたいけれど、ことごとくはねられる。悶々としていたところ、アルバイト先のカラオケパブで『3番テーブルのお客さま、松田聖子さんのナンバー入ります!』って司会のまねごとをマイクでやるようになったんです。リクエストが入ってない間に店員同士で喋ったりしてつないで、その時の店員仲間で『卒倒ブラザーズ』ってコンビ組むんですよ。それで2年くらいネタ見せに行ったり、ちょっとしたライブに出てました」

──コンビを組まれていたこともあるんですね。

鳥肌「まあ素人のやるちょっとしたお笑いみたいノリでやってました。でもやっぱりこれは違うと。要するに自分はピンだと。そしてイッセー尾形やスネークマンショーが好きなんだと。だから平行して鳥肌実として一人芝居をやりはじめたんです」

──ひとりでやるのはコンビにもどかしさや違和感を感じたのもあったんですか?

鳥肌「結局どこまでいっても二人だろうが、劇団だろうが、他人とのアンサンブル。そういう器用さを持ち合わせてない。そうするとピンだと。イッセーさんのまねごとをやるわけですよね。単独ライブをやれば7本か8本ネタをやる、1本10分くらいの。その度に着替えて、髪型もかえる、かつらもかぶる。卒倒ライブっていうシリーズでずっとやってました」

──そこからはおひとりで?

鳥肌「卒倒ライブは僕の一人芝居のライブなんですよ。演説のネタもあります。今はその1本に集約されてますけど、当時はいろんなネタをやってるわけです。それこそパン工場勤務のおっさんもいます。最初はコンビと平行していて、大阪から夜行バスで東京に通ってました。そして上京してからは完全にピンです。だけど全部玉砕です。要するに全部玉砕っていうのは一人芝居をやるほど器用じゃなかったわけです」

──ちなみにお名前はこの時に?

鳥肌「卒倒ブラザーズをやっていた頃から、僕は鳥肌師匠って言われてたのですが、まあ完全にピンになってからは鳥肌実ですね。そして鳥肌実として一人芝居をやっていたけれど、どのネタやっても同じに見える。まあ向いてないんだなと。その時にいわゆる演説家のキャラクターの右翼親父みたいなのが、ネタの中であったんです」


・演説家“鳥肌実”の誕生

──演説家のキャラクターはもともとあったんですね。

鳥肌「それはありました。でもどちらかというと『今朝わたくし目を覚ましますと』『朝の8時から夜の8時までパン工場に勤務しているかたわら休憩時間に』『流れ作業についていけない』っていうパン工場勤務の、どっちかっていうと労働者階級のネタですよね。そういう色んなキャラクターをやってたわけです。それを演説家とか右翼キャラに集約させてったんですね」

──鳥肌さんの鉄板ネタですね! それは人気があったから?

鳥肌「それが一番うけるわけですよ。当時は世間的にもバブル崩壊した後の、なんともいえない虚脱感というか虚無感というか、すごく閉塞感がある時代でした。当然テレビの芸能タレントは誰も政治ネタをやらない。右翼的、国際的なものをすごくタブー視されてました。なのでわりと右翼的なものが受けたんです」

──なるほど。そして右翼ネタになっていったと。

鳥肌「そうですね。そしてそこに集約していったといいますか。だからわかりやすい玉砕スーツってありますよね。あれが登場してくるのが1999年なんですよ。中野のブロードウェイのアート刺繍さんで作ってもらって」

──あの玉砕スーツですね! 中野で作ってもらったんですか。

鳥肌「その玉砕スーツのお披露目が、日比谷の野音での1999年7月27日『廃人演説ニイタカヤマノボレ』というライブ。チケット1000円のなにもない野外でのライブにいきなり最初から1200〜1300人来たんですよ」

──すごいですね!

鳥肌「あの日比谷の野音に思いっきり人が来て、世間的にははじめての玉砕スーツお披露目みたいなもんですよ。ガーンとインパクトで、そのいわゆる演説家、鳥肌実の誕生なんです。ここで演説っていうフレーズだったり、右翼キャラ、玉砕スーツ、今の鳥肌実のルックスですね。当時サングラスもしてましたけど、手袋もして。要するにあのいわゆる鳥肌実っていうキャラはここからなんです」

──演説家“鳥肌実”の誕生ですね!

鳥肌「テレビのお笑いにみんな辟易としている時でしたから、そこから3、4年はすさまじいライブの本数をやっています。365日ライブしている日の方が圧倒的に多いわけです。2004年は一番忙しかったですね」

──じゃあ、ある意味ピークだったのがこの2004年あたりなんですね。

鳥肌「そうですね(笑) ただ、メディアには出てませんよ、ずっと終始一貫して」

──メディアではネタ的に難しいですかね。

鳥肌「政治的なもの、右寄りなもの、保守的なものっていうのはメディアではちょっとね。これは活動していって気づくことなんだけど。メディアは左寄りですから」

──過激なキャラといわれることについてはどう思われてますか?

鳥肌「奇をてらって、それだけで中身のない表現活動はどうしようもない。わかりやすいおかしな人じゃなくて、静かなリアリティのある狂気。普通のサラリーマンこそ、暴発寸前の狂気を持っている時代だと思うんですよね。そこが面白いと思いますし、そういうものを表現していきたいですね」

──なるほど。では、最後にこれからの抱負をお聞かせください!

鳥肌「できれば自分が監督・脚本で、主演っていう立場がいいかわからないですけど、映画を1本は残して死にたいなというのがあります。悔いの残らない人生にするためにもね。そしてショー芸っていう僕がずっとやってきたステージ、ライブ、ここをもっと集約して、もっともっと演説芸のポテンシャルあげていきたいと思っています」


ちなみに、そんな鳥肌実さんがゲスト出演する演劇「ビニヰルテアタア第11回公演 言問う処女」が11月14日(水)に迫っている。一体どんな役で出演されるのか? どんな鳥肌実さんを見られるのか? 気になる人は要チェックだ!

参考リンク:ビニヰルテアタア第11回公演『言問う処女』鳥肌事典
Report:千絵ノムラ
Photo:RocketNews24.

▼公演は2018年11月14日(水)〜11月18日(日)の4日間

https://twitter.com/vinyltheater/status/1059434336162705408

▼鳥肌さんは11月14日に出演するぞ

▼鳥肌さん、ありがとうございました!