
力道山から始まった日本プロレス史およそ75年の中で、数々の人気レスラーが誕生して来た。アントニオ猪木、ジャイアント馬場、タイガーマスク……彼らの中で誰が人気No.1だったのかは意見が割れることだろう。
だがしかし「人気No.1 外国人レスラー」ならば、やはり『スタン・ハンセン』で決まりではないだろうか? 現役引退から約25年、スタン・ハンセンが来日するという噂を聞きつけた。こ、これは……?
・No.1 外国人プロレスラー
「不沈艦」「ブレーキの壊れたダンプカー」「テキサス・ロングホーン」等々、数々の異名で知られるスタン・ハンセン。なお、ハンセンはスーパースターなのであえて敬称は省いて「ハンセン」とお伝えする。
さて、ハンセンが成し遂げた偉業をこの記事内で全て記述することは難しいが、あえて言うなら「どの世代のプロレスファンにも愛された外国人レスラー」と言えるのではないだろうか?
アントニオ猪木と激闘を繰り広げた新日本プロレス時代、ジャンボ鶴田や天龍源一郎を相手にした全日本プロレス時代、そして三沢光晴らの大きな壁となった全日本プロレス終盤まで、長くトップレスラーだったことがハンセンの特徴だ。
ゆえにハンセンに魅了されたファンの数も多く、今でも根強い人気を誇ってる理由の1つなのだろう。2026年6月、都内某所で開催されたトークショーには100人近いファンが押し寄せていた。
・宮下あきら先生きっかけ
ちなみにハンセンの来日を知ったのは「魁!! 男塾』の宮下あきら先生がきっかけ。宮下先生がハンセンTシャツのデザインを手掛けたらしく、その縁で私にも話が回って来たのである。
当日は宮下あきら先生デザインのTシャツでトークショーに参加していたハンセン。元全日本プロレスのリングアナウンサー・木原文人氏の司会でトークショーが進んでいった。
・レスラーになったきっかけの1つ
時代背景的にはハンセンがプロレスラーになる前からプロレスラーになった後あたりが深掘りされており、こんなエピソードも明かされていた。
ハンセン「大学を卒業した後、故郷の中学で教師になったんだ。最初の給料が466ドルで “これじゃ何もできない、家族も養えない” と絶望的な気持ちになったことをよく覚えてるよ。
その時、大学の頃から知り合いだったテリー・ファンクが声をかけてきたから “プロレスラーはいくら稼げるんだ?”って聞いたんだ。そしたら “350ドルだ” って言うんだよ。
冗談じゃない、教師より稼げないじゃないかと思ったら、週に350ドルだって言うんだ。ファイトマネーがプロレスラーになるきっかけの1つだったことは確かだね(ニヤリ)」
その他にも「ビンス・マクマホン・シニアに嫌われた理由(サインボール狙い撃ち事件)」や「全日本プロレス移籍時に連絡したレスラー」等が明かされていたが、それは会場に足を運んだ人だけの記念としておこう。
・優しい世界
また印象的だったのは、会場に駆け付けたファンから “ハンセン愛” がダダ漏れていたこと。参加者全員から御年76歳のスタン・ハンセンを敬愛する思いがあふれ出し、その一言一言に熱心に耳を傾けていた。
最後にハンセンが冒頭で挨拶していた内容をご紹介してこの記事を終わるとしよう。不沈艦よ、永遠なれ。ウィーーーーーーー!
ハンセン「引退してから20年以上が経つのに、私がこうしていられるのはファンのみなさんのおかげ。日本のファンは私にとって感謝してもしきれない特別な存在です。本当にどうもありがとう」
もう1回、ウィーーーーーーー!
取材協力:株式会社H.J.T.Production
執筆:P.K.サンジュン
Photo:Rocketnews24.
▼ちなみに主催の「株式会社H.J.T.Production」はジャイアント馬場関連の会社だそう。今度はミル・マスカラスが来日するとかしないとか……?