人は死ねばお山に行く──古くから土地の人々にそう信じられている場所がある。青森県の「恐山(おそれざん)」だ。
「日本三大霊場」「あの世にもっとも近い場所」などとも呼ばれ、死者の口寄せを行う巫女「イタコ」でも知られる。東日本最強パワースポットと言っても過言ではないだろう。
しかし本州最果ての下北半島に位置し、新幹線や飛行機の発着する主要都市からも遠く、その知名度に比較すると到達困難な秘境でもある。筆者の住む地からもめちゃくちゃ遠いのだが、なんだか急に「行かなくちゃ」という思いにかられて数十年ぶりに訪問したのでレポートしたい。
・宇曽利湖畔にたたずむ「恐山菩提寺」
実際には恐山という単一の山があるわけではなく、「恐山菩提寺」を中心としたひとつのエリアを指す。むつ市街から車で山道を上っていくと、道々にお地蔵さんが祀られている。窓から吹き込むのは、ものすごい硫黄臭だ。
駐車場に着くと、門外からすでに巨大な六地蔵が迎えてくれる。周囲に大きな建物がなく、空がすっと抜けているので迫力がある。奈良や京都など寺社仏閣の密集地とはまったく雰囲気が異なる。
寺院の前には売店や飲食店、トイレが整備されている。駐車場は広大なので、「特別な行事のない週末」だったこの日は、まったく満車になる様子はない。聖域というほど部外者をシャットアウトはしていないけれど、過度に観光地化はされていない、そんな雰囲気。
入山料は大人ひとり700円。まずは本堂へ向かう。
ちょっと驚くのが、境内に公共の湯小屋(温泉)が4つも設けられていること。ほかに宿坊があり、二食付きで宿泊することもできる。
火山があれば温泉が湧くし、身を清めるという考え方もあるからおかしくはないが、俗世の生活感あふれる浴場が霊場内にあるのがちょっと不思議な感覚。
堂宇内は撮影不可のため写真はないが、「お地蔵さん」こと地蔵菩薩をご本尊とする。日本人にとって、もっとも身近な神様かもしれない。
本堂を回り込むと、荒涼とした岩場が広がる。ここからが “地獄” だ。
あいかわらず卵の腐ったような、硫黄の匂いがすごい。いたるところから火山性ガスが噴出しているため、喫煙などは禁止。
水が流れているところは黄色く染まっている。日によって異なるのだろうが、筆者の行った日は匂いがかなり強かった。
起伏のある丘陵地のような岩場を、カラカラと軽い火山岩が埋め尽くしている。見えるのは硫黄の黄色と、岩が焦げたような黒、そしてあちこちに人の手で積まれた白い石だ。
恐山というと「風車(かざぐるま)」を連想する人も多いかもしれない。地蔵菩薩は子どもを守る神様であり、水子供養でもよく知られる。
500円で風車を購入可能。供養のためにお供えができる。どこでも気持ちをひかれた場所でいいとのこと。
風の作用だということはわかっているのだけれど、人が近づいたときだけカラカラと回り、立ち去るとピタリと動きを止める一群や、多くの風車の中で一基だけ猛烈に回っているものなど、不思議な光景を何度も何度も目にする。意味を想像せずにはいられない。
順路のところどころに立て札があり、136の地獄を表しているのだという。写真でわかるとおり休日でもほとんど人がいない。時空のエアポケットのように、ふっと周囲に誰もいない時間が訪れる。
地獄巡りといえば別府や登別が知られるが、恐山がほかの観光地と異なるのは、人々の信仰心を強烈に感じられること。無数に立てられた風車、積まれた小石、花をもって歩く人など、特定の誰かを思い浮かべる「供養の場」であることがビシビシと伝わってくる。人の念に圧倒されそうだ。
けれど「怖い」とか「不気味」といった感じはない。とても静かで、少し物悲しく、限りなく穏やかな場所だ。あれ、なんだか目から汗が……
なお、死者を呼んで会話を可能にする “イタコの口寄せ” はいつでも可というわけではなく、夏の「恐山大祭」と、秋の「恐山秋詣り」に小屋が建つ。
筆者は数十年前に肉親を亡くした際、例祭にも参加したことがある。長い行列をつくって流れ作業のように行われる口寄せは神秘的とは言い難かったし、伝えられるメッセージも「苦労をかけたな」「達者で暮らせ」といった、誰にでも当てはまるような内容だった。
しかしそれが逆に、すとんと腑に落ちた。仏事と同じで、生きている人が納得するための儀式なのだなと得心したのだ。
・地獄から一転、極楽にたどり着く
しばらく歩くと、ぱあっと視界が開ける。宇曽利湖(うそりこ)だ。
山の中だというのに、海のように広い浜辺とエメラルドに輝く湖面! これまで巡ってきた地獄とは一転、「極楽浜」と呼ばれている。爽やかな風が吹き抜け、心が洗われる光景だ。
今のように自動車なんてない時代、山道をひいこらと登ってきて、寂寥感あふれる火山の風景の後にたどり着いたら、どんなに信心深くない人でも「これが極楽か……!」と思っただろう。
ぼんやりと湖面を眺めていると、過去から未来までいろいろな考えが巡る。太陽をさえぎるものがない岩場を歩いてきて暑かったせいもあるかもしれないが、頭がボーッとして時間の感覚がなくなる。下山した今になって思うと、心があの世とこの世を行ったり来たりしていたのかもしれない。
・故人を偲ぶ霊場恐山
霊場恐山は、死者の魂がさまよう怪奇スポットだとか、開運のためのパワースポットだとかではなく、亡き人を思う心が千年以上ものあいだ降り積もっている慰霊の地だった。
同じく霊場と呼ばれる比叡山や高野山にも行ったことがあるが、「はぁぁぁ」と声がもれるような荘厳さを感じる寺院群に対し、恐山で思い浮かべるのは家族だとか早逝した友人だとか、身近な故人たち。死や信仰をとても近く感じる。
ものすごい場所なので、苦労してでも行ってみる価値ありだ。青森旅行を一泊延長して、あるいは北海道旅行の帰りに下北半島経由で本州へ渡って、ぜひ訪れてみて欲しい。
参考リンク:青森県観光情報サイト「Amazing AOMORI」
執筆:冨樫さや
Photo:RocketNews24.
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