私(佐藤)は毎年、正月時期を避けて2月頃に郷里の島根に帰省している。大抵は祝日を絡めた週末に帰るのだが、今年は私も妻も有給を上手くとれたおかげで平日に帰ることになった。
しかも運良く、寝台特急「サンライズ出雲号」のチケットが取れたのである。私が最後に寝台列車に乗ったのは20歳の頃だったと記憶している。
30年ぶりの寝台列車は、想像通り。いや、想像以上に最高だった。今回の帰省ほど、郷里が遠くにあってよかったと思ったことはない。
・出雲号時代に乗車
おそらく私は寝台列車に乗る経験を比較的に多くしていると思う。生まれも育ちも島根ではあるが、父親は東京出身だった。そのため、幼少から小学校を卒業するまでの間に、何度か東京を訪ねている。
記憶があいまいだが、最初に乗ったのは3~4歳の頃だっただろうか。あの当時はサンライズは運行しておらず、寝台特急「出雲」の名前で走っていた。いわゆるブルートレインである。
20歳の頃もまだ出雲号で(サンライズは1998年7月運行開始)、同級生と2人で上京したことをよく覚えている。旧駅舎の京都駅に差し掛かった時に、車窓から京都タワーが見えてとても興奮したものだ。
その日は空いていて、友達と2段寝台の向かい座って、「あれが京都タワー? すげえ~!」とはしゃいだものだった。なぜかその時、東京で何をしたのかを一切覚えていない。しかし暗闇に輝くタワーの神々しさは脳裏にある。
・無事にチケットゲット!
さて、今回帰省するにあたって、とにもかくにもチケットを手に入れなければいけない。帰省は飛行機が常だったので、最近の寝台列車事情には疎い。それでも競争率が高いことだけはわかっていた。
1カ月前から販売されるチケットは、日によって販売開始時刻の10時には秒速で完売するらしい。かなり苦戦しそうな予感……。
みどりの窓口で買い求める方法もあるのだが、開店前からスタンバイしないといけないとの情報もあったため、私は自宅でネット購入に挑戦。JR西日本が運営するチケット予約・販売サイト「e5489(いいご予約)」を利用して購入することに。
あらかじめJR西日本の会員サービス「WESTER」に登録しておき、希望日(2024年2月25日)の1カ月前にサイトにアクセス。発を「東京(駅)」、着を「松江(駅)」にして、乗り換え指定を「一度も乗り換えしない」にしておく。
そして10時きっかりに「検索する」を押す。すると空席状況を確認できる。空きがあれば「〇」や「△」が表示されるのである。
参考までに4月1日を確認してたら、10時半の段階で全部「×」だった。予約可能な範囲の期間で検索したら、空きは1席もなかった。相変わらずの人気っぷりだ。
私は運良くB寝台の「シングルツイン」(2段ベッド)をゲットできた! 料金は1室9600円。今回は2名利用なので補助ベッド代がプラス5500円。それに運賃と特急料金が1人1万5510円。合計金額は4万6120円となった。
宿泊込みの移動だと思えば、飛行機とそんなに変わらないかも。
で! 乗車に関して1つ注意。乗車するまでにチケットを発券しておかないと乗れないのでお気を付けを。
詳しくはJRおでかけネットをご覧いただきたいが、関東発だと受け取れる場所が限られるのだ。せっかく予約してお金まで払っているのに、乗れなかったでは泣くに泣けないので。
・これがサンライズ出雲か!
チケット購入から約1カ月待ち、ついに……。時は来た!
2月25日21時20分頃、東京駅の9番線ホームに立つ。電光掲示板を見上げると「始発 寝台特急サンライズ出雲」と表示されている。私と妻はすでに大興奮である。
右から来る? 左から来る? どっちが出雲方面だっけ? なんて、2人でキョロキョロしていたところ、遠くで汽笛が聞こえた。
来た来た来た来た~!
キターーーーーー!!!!
サンライズ、かっけええええ!!
伯備線経由出雲市行き、特急サンライズ出雲。俺たちを連れていっておくれ、郷里島根へ。
それにしても美しいフォルムだ。この窓のほとんどが個室、つまり「走る宿泊施設」と言えるだろう。
中に入ると、通路はかなり狭い。人がすれ違うのが難しい狭さだ。左右に客室があるから仕方ないな。
こちらが今晩の我が家です。上のベッドは跳ね上げ式で、下のベッドは起こすと簡易ソファになる。
ベッドは196cm × 70cm、入口の間口は狭いけど、中は意外と広く感じらる。
掛け布団と枕、それに寝間着も用意されている。ほんとにホテルみたいだ。
窓際には照明のスイッチと目覚まし時計、下段のヒーターの温度調整が備えられている。
NHK-FMのラジオサービスは終了していた。車窓を眺めながら「ラジオ深夜便」なんか聞いたら最高だっただろうなあ、残念。
列車は1~7号車は「サンライズ瀬戸」、8~14号車は「サンライズ出雲」である。岡山で分かれて、瀬戸は高松へ。出雲は出雲市へと向かって走っていく。また車内設備にはシャワーもあるようだ。気になるけど、今回利用は見送ろう。
・最高すぎて、おかしくなりそう!
腰を落ち着けると、かなり快適! まるで押し入れに潜り込んだみたいに収まりが良いな。コンパクトなカプセルホテルの1室みたい。
壁にもたれるとしっかり脚を伸ばしてあまるくらい。道中かなりくつろげそうだ。
上段ベッドの妻も大喜び! よかった~、マジでチケット取れてよかったよ。まだ旅は始まったばかりだけど、今回の帰省はすでに大成功だ。
走り出すと、日常が遠くへ過ぎ去っていくようだ。窓の向こう、すれ違いの電車に乗った人々の姿。日曜を楽しく過ごして帰途につくその様は疲れているように見える。こちらはこれから、夜行の楽しい旅路。お気をつけてお帰りください。ふふふ……。
ところで腹が減ったな。いや、腹はそんなに減ってないけど、弁当食いたいじゃない。夜行列車で食う弁当って、なんかウマそうでしょ? 買ってますよ、東京駅でちゃんとね。「元祖牛ちゃんこ弁当」だって。紐を引くとアツアツになるヤツ。
紐を引いてしばし待つ……。頃合いと思い、フタを開けるとめっちゃウマそう!
たまんねえな、寝台列車で牛ちゃんこ。酒飲む人なら、窓の外の景色をツマミにベロベロになるまで酔っぱらえるんじゃない?
何より、私が個人的に感動したのはコレ! この部屋、喫煙可能なんですよ! 寝台車で食うメシもウマいけど、寝台車で吸うたばこはめちゃんこウマい! とはいえ、寝たばこ禁止なので、たばこは座って吸いましょう。
すでに存分に満喫してるけど、まだ熱海。こんな楽しい時間があと10時間も続くのかよ! おかしくなっちゃいそう!!
興奮しすぎて少し疲れた。壁にもたれてウトウト……。個室はいいね、誰に気兼ねすることなく、眠りにつけるから。間仕切りがカーテンの雑魚寝スタイルの「ノビノビ座席」は、周りの音が気になって眠りにくそうだったな。それもまた旅の醍醐味ではあるんだけどね。
少しして、静岡まで来た。静岡か~……。陸路で走ると静岡は長いんだよなあ。東から入ると、静岡から抜けられないんじゃないか? と思うほど、静岡が続く。
……まだ、静岡か~…………。静岡は半分に分割した方がいいんじゃないか? 長すぎるだろ。
静岡を脱出して愛知を抜け、岐阜に差し掛かったところで眠っていたらしい。目が覚めたら京都まで来ていた。京都タワーが見えるかな? と思って、窓の外に目を凝らしたけど、方向が悪かったようで、その姿を確かめることはできなかった。
そういえば、昨日(2月24日)は満月だったな。中部の方では雨が降ってたけど、雨雲を抜けたようだ、月が見える。
今回の帰省は島根直行だから、大阪の古いツレには会えないな。また次の帰省の時にちゃんと寄るからな。
神戸のあたりで午前5時頃だった。始発の走り出す時間に、神戸や三宮の駅ではすでにホームに立つ人の姿を多く見かけた。こっちは港のある街だから始業が早いのかな。
5時25分、姫路駅に到着。遠くの方が白みかけている。もう朝が近い。
6時27分、岡山に着いた。ここで前7車両のサンライズ瀬戸とはお別れだ。分離作業を見るために、ホームに降りる人がいる。ドン臭い私は乗り遅れてホームに取り残される危険があったために、見にいかなかった。我ながら英断である。
・追想
伯備線に入った。伯備線は岡山県倉敷駅から鳥取県の伯耆大山駅までを結ぶ山間の鉄道路線である。私にとっては、岡山も鳥取も馴染みの深い土地のひとつで、とくにこの伯備線には思い入れがあった。
空が白みはじめてからずいぶん時間が経って、ようやく朝日が目に入った。普段なら睡眠不足で不快に感じる夜明けだけど、今日の朝日は格別だ。陽の光が心地よい。
備中高梁(びっちゅうたかはし)駅まで来ると、山陰(やまかげ)の色合いが濃くなってくる。岡山方面からの普通列車は半分がここで折り返す。ここから北は一部を除いて単線区間に入る。
先ほどまで抜けるような青空と眩しい朝日を浴びていたのに、高梁を過ぎてから空は霞がかっている。暖冬とはいえ、中国山地の山々には冬の翳(かげ)りがうかがえる。
線路と道路は川をさかのぼるように、交差を繰り返して北上している。その昔、川にそって線路と道路が敷設された名残りだろう。何でもない景色に、日本の原風景が垣間見えるようだ。
ひと昔前なら、この辺も3月になるまで雪が残っていたはず。むき出しの畑がかえって寒々しい。
少し向こうの山に帯状の霞がかかっている。まるで龍みたいだ。昔の人はこんな自然現象を見て、神話をつむいだのかも。都会の景色にはない神秘的なものが、山間の小さな町に漂っている。
岡山と鳥取の県境、少し西に行けば島根、さらに南西に行けば広島。4つの県の境からほど近い上石見駅。こんな山奥まで、松江から車で通って保線の仕事をしていたことがあった。もう28年も前か。
朝8時の始業に間に合うために、6時に松江を出なきゃいけなかったんだけど、20代のヒヨッコが時間通りに起床できるはずもなく、何度も遅刻したんだっけな。仲間内では私が1番だらしなくて、迷惑をかけたもんだ。
この地域の農家のおじさんたちがバイトで保線仕事をやってて、我々はその手伝いで人工仕事をしていた。枕木交換とか線路交換とか、とにかく力のいる仕事内容で、屈強なおじさんたち重労働を涼しい顔でこなしていた。
その詰所が根雨駅にあった。皆さん、存命なら元気でいらっしゃると良いんだけど。
少し山を降りたところで、黄色いじゅうたんが見えた。菜の花畑かな、春というのはまだ早すぎる。ましてこんな山間の2月に、黄色い花は似つかわしくないな。
王子製紙の工場だ。もう米子市に入ったか。そういえば、今回の道中で何度か製紙工場のそばを通った。普通の工場であれば、存在に気づかないかもしれないけど、製紙工場だけは近くに行くとわかる。
なぜなら、臭気がすごいから。車内にまでしっかり入ってくる強烈なニオイ。これだけ離れてても匂うんだよ。
米子駅を過ぎて島根に入り、安来(やすぎ)駅を通り過ぎた。私の生まれ育った町が近い。荒島駅のその先には、国道9号線沿いに「オートパーラーやすぎ」がある。中学生の時に通ったゲームセンターで、現在はドローンサービス事業を展開しているらしい。
その向こうに、松江・安来・米子・境港の4市にまたがる湖「中海」が広がっている。日本で5番目に大きな湖なのに、宍道湖の存在がメジャーすぎて見向きもされない。ちなみに急こう配で知られる通称「ベタ踏み坂」(江島大橋)がかかっているのは、この中海だ。
私が今回の帰省、サンライズ出雲の車窓から1番見たかった景色はここだ。
雇用促進住宅東出雲宿舎。私が1歳から18歳まで育った場所。旅職人だった父親は鳥取県の大山で母親と出会い、我々(私と双子の弟)をもうけて、ここに住み始めた。今から50年前のこと。
目の前の池で、うなるほどザリガニを釣った。裏山に秘密基地を作って泥だらけになって遊んだ。建物裏の焼却場でウ〇コをふんづけたこともあったな。
下校時に大の便意をもよおして、敷地のフェンスを乗り越えてうちまでショートカットしようとしたら、フェンスを超えられずに臨界点を突破して自爆したんだっけ。あの時はマジで神を恨んだ。
帰ってきたよ
そして小中を過ごした揖屋(いや)の町を抜けて、松江駅に到着。
約12時間のサンライズ出雲の旅は終わりを迎えた。ゆっくり過去を振り返ることができたのは、郷里が遠くにあればこそ。快適な車内空間があればこそだ。飛行機でひとッ飛びもいいけど、ゆっくり陸路で旅路を味わうのも悪くない。
できるだけ長く、サンライズが運行し続けてくれることを願っている。
参考リンク:JRおでかけネット「e5489」
執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24
Screebshot:JRおでかけネット「e5489」
[ この記事の英語版はこちら / Read in English ]