「土屋 アイヌ」で検索しても特に関連を指摘する情報はヒットしない。そこで「土屋 名字 由来」で検索してみると、土屋姓は神奈川県の平塚から全国に広がったという説を伝えるタウンニュースの記事が出てきた。

なぜ私(中澤)が上記のようなことを検索したかと言うと、まさにその平塚にある土屋公民館で衝撃の説を発見してしまったからである

・田舎の公民館だが

田舎の住宅街という感じの平塚市土屋。家がまとまってあるためド田舎というほどではないが、畑はあるし野菜の無人販売所もあるし、川も流れてるし、富士山も綺麗に見えるしでなかなかに牧歌的な空気が漂っている。

そんな場所のため公民館も小さいものだが、入口左手にあるガラスケースには弥生土器とか縄文土器が飾られており、土地の歴史は深いことが分かった。入ってみると、右手には受付があり、左手はちょっとした土地の資料展示スペースになっている。図書室……まではいかない感じ。

・ボロボロの書物に書かれていたこと

ボロボロの書物も多い、土地の歴史についての書物が集められた資料棚。私が思わず冒頭の検索をしてしまったのは、その中の1冊『土屋三郎宗遠公とその後の土屋氏』という書物を読んでいる時だった。その1「土屋氏発祥の地」の冒頭に「『土屋』の名辞の発端」という項目があるのだが、そこにはこう書かれている。

「『土屋』の語源については、古来よりこの地域は小高い台地(丘陵地)であって、雨水が周囲に流れる地形でした。これを『分水嶺(ぶんすいれい)』といいます。そして、この『分水嶺』をアイヌ語で『トリチュー』といったのです。この言葉が地名とされてアイヌ族の去った後、そのアイヌ語の語源が、やがて『ツチヤ』になったものだといわれています」

──これは地名の由来だが、土屋三郎宗遠は地名から土屋を取っているため、結果的に土屋という名字の由来とも言える。ちなみに、古代頃はこの地域にもまだアイヌが住んでいたことを物語る縄文・弥生土器も多数出土しているのだとか。

・土屋の語源

で、冒頭に戻ると、全国の土屋姓は土屋三郎宗遠公から言われている。

ここで全部の説を繋げると、「土屋さん ← 土屋三郎宗遠公 ← 土屋(地名)← トリチュー(アイヌ語)」という遡り方ができるわけだ。つまり、土屋さんの言葉の意味は分水嶺!

ちなみに、その後、領地を追われた土屋氏は戦国時代には武田家に仕えたため、徳川家康とも絡みがあるらしい。NHKの『どうする家康』の8話で死んだ土屋長吉はこの甲斐土屋氏だったわけだ。

まさに大河を感じた土屋の変遷。古代の話はあくまで研究されている一説にすぎないので事実そうかはさて置き、名字についてここまでたどれたことには感動を覚えた。今や地味な土地でも特別に見えるから不思議。これぞ歴史のロマンというヤツなのかもしれない。

参考リンク:タウンニュース
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.