浅草寺は観光地・浅草の中でも最も有名な観光スポットと言える。ゆえに、いつ行っても人が多い。人ゴミに疲れるし、有名だからかどこも見たことある感じで想像を超える感動はないんだよなあ。行かなくていいか。
別の街に住んでいる時はそう思っていた私(中澤)。しかし、歩いて行ける距離に住んでから、そのイメージが変わった。浅草寺にこんな顔があったとは! 知らんかった……!!
・通りすがりでは気づけない
とは言え、私がその顔を知らなかったのは仕方のないこととも言える。なぜなら、大体浅草寺に来る時は、電車で来ていたからだ。遠くからの泊まり込みの旅行ではない限り、多くはそうなるのではないかと思う。
昼くらいに着いて、記念程度に浅草寺をチラ見して帰るのではこの魅力には気づけない。そこには観光ガイドで見るような外向きの顔をした浅草寺が佇んでいるだけだろう。
・突如現れる裏の顔
では、私はどのようにして気づいたのかと言うと、それはなんとなくブラブラしていた時のこと。あてのない散歩だったのだが、ふと目に飛び込んできた浅草寺の姿がいつもと違うものだったのである。なんじゃこりゃあ……!
それは深夜0時頃だったと思う。浅草寺のライトアップが消えており、真っ暗な雷門の向こうにぼんやりと仲見世が浮かび上がっていた。幽玄さすら感じるその光景はまるで異世界への門のようだ。
・怪しさ
門を入ると、薄暗い電灯の下、シャッターが降りた仲見世が永遠と続いている。昼間よりも永遠に感じるのは並ぶシャッターの間口が狭いからだろうか? 怪しさすら感じる雰囲気は昼間やライトアップ時からは想像ができない。
宝蔵門もまた雰囲気が全然違う。門の両端の阿形像と吽形像が真っ暗だと『GANTZ』みたいなのである。
本堂もまたパラレルワールド感が凄い。デカイ提灯がいつも以上に存在感を放っており、バランス自体が変わったように見える。
これぞ浅草寺の裏ステージ。ライトアップなどの現代的な魅せ方よりも世界観が好きで、その後何度も通ってしまった。そして、通っているうちに昼間の浅草寺も好きになった。表は表で良いもんである。
・盲点
深夜に入れる寺社なんて基本ないので盲点だったこの魅力。ちなみに、浅草寺のサイトによると、ライトアップは23時までらしい。電車で来ていても見られないこともないわけだ。でもやっぱり気づくのは難しいと思う。
というわけで、観光旅行で浅草に泊った人へ。昼の浅草寺を見て冒頭の私のように感じたら、消灯後に散歩してみるのも手だ。また別の世界が広がっているぞ。
参考リンク:浅草寺
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.
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