8月6日は広島、8月9日は長崎に原爆が落とされた日であり、8月15日は終戦記念日である。
私は原子爆弾が投下された長崎市の出身であり、祖父母も原爆の被害を受けた被爆3世という立場にある。戦争や原爆の被害については学校で何度も習っているが、実は原爆を描いた漫画『はだしのゲン』を読んだことはなかった。
2023年の夏、思いもよらない形で原爆について考えさせられる出来事があり、私は初めて『はだしのゲン』を読むことにした。
・「キノコ雲」がネタとして使われた炎上騒動
きっかけとなったのは「バーベンハイマー」というインターネットの騒動であった。
SNSに詳しい人ならご存知かとおもうが、アメリカ映画のポップな「バービー」と、原子爆弾を作った科学者を描いたシリアスな「オッペンハイマー」という、対極にある作品を同じ日に見るというネットミームである。
この2つの映画の主人公に原爆のキノコ雲を組み合わせたコラ画像などがファンの間で作られ、海外でバズったのである。それにバービーの映画公式ツイッターアカウントが好意的に乗ったことで炎上状態になり、ワーナー ブラザース ジャパンが「アメリカ本社に然るべき対応を求めています」と遺憾の意を発表するに至った……というのが騒動の顛末である。
日本のツイッターではこれに反対する形でアニメ版の『はだしのゲン』の原爆投下シーンを投稿する人たちがいた。これを見たら、とてもじゃないけど何十万人もの死者を出したキノコ雲をネタとして使ったりできないだろう……と。それは凄まじい描写だった。
いっぽうで『はだしのゲン』が広島市教育委員会によって、2023年から平和学習教材から外された……というニュースも流れた。
・トラウマ漫画としても有名な「はだしのゲン」
『はだしのゲン』は広島に投下された原爆で父、姉、弟を亡くした少年・中岡元が、たくましく生き抜く姿を描く長編漫画。話のモデルとなったのは作者の中沢啓治さん自身の被爆体験だという。
小学校の平和教材だった、学校の図書館に置いてあった唯一の漫画だった……という理由で、読んだことがある人も多いと思う。
『はだしのゲン』についてよく言われるのが「トラウマになるほど描写が怖かった」ということ。私は怖いものが苦手なのと、小学校から高校まで毎年夏になると原爆にまつわる平和教育の宿題が出されていたので「漫画でまで戦争の話を読みたくない」と手にとってこなかった。
そもそも都合のいい展開が続き、正しさだけが刷り込まれる「教材用の漫画」が私は嫌いだった。斜に構えたかわいくない子供だったので、大人が読ませたがるような漫画なんて読んでたまるか……という気持ちもある。漫画なのに学校の図書館に置かれるくらいだから、「はだしのゲン」も「教育的でつまらない」漫画なんだろう……と思い込んでいたのだ。
・思いがけない感想
そして世間というものを知った40才になって初めて「はだしのゲン」を読んだ。最初は電子書籍で1巻だけ試しに読んでみるつもりだった。
いくつもの名作漫画を読み子供の頃より多分、目も肥えている。怖さへの耐性もついている、単純なストーリーではごまかされない。
私は2巻、3巻、4巻……と続けてコミックをポチって、一晩ぶっつづけで「はだしのゲン」を読みまくった。戦争漫画への感想としては誤解されそうな表現だが
『はだしのゲン』は「漫画としてめちゃくちゃ面白かった」のだ。
「教育的でつまらない漫画」などという思い込みは完全に間違いだった。今まで読まなかったことを激しく後悔するほど、まごうことなき名作だと思った。
・原爆の怖ろしさと世間の不条理と
物語の最初は原爆が投下される前、敗戦の色濃い日本の空気が描かれる。貧しいながらも身を寄せ合って懸命に生きる中岡家の様子。原爆投下前の暮らしが丁寧に描かれることによって、被爆後に失われた日常の悲劇が際立つ。
私の中で貧しい一家に「これでもか」というほど悲劇が襲う作品といえば『北の国から』の黒板家のイメージだった。『はだしのゲン』の中岡家を襲う悲劇はその比ではない。
原爆投下後のシーンの凄惨な描写は想像を絶する。さっきまで隣で話していたおばさんが一瞬でゾンビのようになり、焼け野原になった街中を「水をください」と全身やけどだらけの人やガラスが突き刺さった人たちがさまよう。死体を踏みながら、ゲンは自分の家へと走って帰る。
途中で町内会の意地悪なおじさんを助けてやるのだが、瓦礫の下敷きになったゲンの家族を助けることは拒まれる。なんという外道。目の前で父と姉、弟が焼け死ぬのをただ見るしかないゲンと母。母はあまりのことに気がふれて笑い出す……。家族が焼け死ぬときの「ギギギ……」という無念の叫び声は有名である。
驚いたのは、この有名な原爆投下シーンがまだまだ悲劇の始まりでしかないということだった。玉音放送で戦争は終わっても、戦争と原爆の悲劇はさらに続くのだ。
・息子の亡骸から湧いたハエをかわいがる母親
・両手両足が吹き飛ばされ、家族から化け物扱いされる画家志望の青年
・その家族は青年が死んでも反省ゼロ
・顔に火傷を負った女性が自殺を踏みとどまるも、原爆の病気が伝染るといって差別を受ける
・戦争孤児がヤクザの鉄砲玉として利用される
・貧しい人は医者から診療を受けられず死んでいく
・みんな常に貧しく腹をすかせて栄養失調
・市民からヤミ米を奪って食べる警察
・警察とヤクザの癒着による横暴
・医者がアメリカ軍と癒着して被爆者がモルモット扱いされる
・戦争の悲しみから抜け出せず出稼ぎ先でアル中になり音信不通になるゲンの兄
・妹を養うためにアメリカ兵相手のパンパンになる女性の苦悩
・ゲンの家族を見殺しにした町内会長が議員に……
・生き残っても原爆症によって主要キャラクターたちがどんどん死んでいく
とにかく枚挙にいとまがないほどに、これでもか、これでもか、と被爆者たちは苦しい思いをする。いっぽうで、世間は復興へと進んでいく……。これが戦争の、原爆の恐ろしさと悲しさなのか。また、貧困や差別から生き残るために悪事を働くシーンも多い。極限状態のなかで、善悪とは何かを考えさせられる。
・下品なギャグのインパクト
とにかくトラウマ級に暗く衝撃的な展開が続くのだが「重い」だけにならないところが、『はだしのゲン』が読ませる漫画であるポイントだと思う。
これはインターネットなどでネタにもされるのだが、ゲンたちが歌う浪曲や替え歌、そして発言に下品なシモネタが多いのだ。
白米を食べれば「うますぎて小便がもれそうじゃ」などの表現が出てきたり、自分たちをいびったお婆さんへの仕返しにオシッコをひっかけたりなど、とにかくシモ系のギャグが多い。
ゲンたちがやたらと好んで歌う「朝4時半だ 弁当箱下げて出て行くおやじの姿 昼飯はミミズのうどん ルンペン生活なかなか辛い 月月火火 ノミがいる〜」という謎の替え歌もよく見るとなかなか下品である。
でも、このシモネタが暗い展開の中で、物語の雰囲気を軽くする役割を果たしているような気がする。なかには現在では放送禁止用語も入っているので、それが教材向けではないと判断されたのもありそうだ。
・トラウマになるほどのインパクトが必要
いっぽう、この強烈な恐怖描写と下品なギャグがもたらすインパクトは、『はだしのゲン』が人々の記憶に強く残る効果もある。
たとえ子供の頃は下品なギャグや不思議な言葉遣いを笑ってネタにしていたとしても、大人になって読み返すと、戦争の悲惨さや、極限状態のもとで善悪ではかれない行動をする人々の姿は心に感じるものがあると思う。
また、貧しさが人々を変えてしまう……というのは、現代でも通じるところはある。
最近は、原爆関連の展示などは以前よりも怖いものが少なくなっていると聞く。わたしも子供の頃は原爆の展示が苦手だった。だけど、現実はもっと悲惨なのだ。トラウマになるほどの恐怖の描写がなければ戦争の悲劇は人々に伝えられないのではないか。
原爆体験の語り部も少なくなってしまったが「はだしのゲン」が今後も読まれることを願う。
執筆:御花畑マリコ
Photo:RocketNews24.
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