成人式の中止が相次いでいる。現在の新型コロナウイルスの影響を鑑みるとそれもやむなしだが、一方で、開催を発表している地域もあり二分されている状況だ。

基本的にメディアは「成人式がないのは新成人がかわいそう」という論調だが、私(中澤)はこの意見に違和感を感じずにはいられない。私が新成人の時は、成人式が中止になって欲しくて仕方がなかったからだ

・私が育った街の空気

大阪南部の田舎で生まれ育った私。ネットもない時代、娯楽と言えば、ゲーセンか年1度の地車(だんじり)祭りくらい。特に、普段閑散とした街に出店が立ち並び人があふれる地車祭りは、子供から大人まで全員の晴れ舞台である。小、中学校では1年が祭りを中心に回ってる連中が大勢いた。

・中止になって欲しかった理由

そんな地域だと、みんな成人式を楽しみにしているというイメージがあるかもしれない。事実、晴れ舞台と気合を入れていた人は多かったと思う。だが、私は、毎夜「成人式中止にならないかな」と思っていた。なぜなら……


友達がいなかったから


正直、私は変わり者だったと思う。地元のそういう「普通」には全然馴染めなかった。そんな地元を離れたくて、高校は私立に入ったので、生まれも育ちもそこであるにも関わらず地元に友達がマジでほぼいない。

したがって、新成人当時、小・中学校の同級生に会うのがこの世で最も嫌なことだったのだ。1人で孤独を感じるより、群衆の中で孤独を感じる方が辛い

・でも成人式に行かなければならなかった理由

「それだったら行かなきゃ良いじゃん」という声もあるだろう。しかし、私はメディアで「キレる10代」と呼ばれた世代だから、「成人式に行かない」と言うと親が心配するのである。「これはキレる前兆じゃないだろうか?」と。いや、そんな大したことじゃないんです。ただハミるから行きたくないだけなんです……。

結局、成人式は普通に開催され、私は出席した。学校でヒエラルキー普通以上だった人は全員金髪になって来たくらいの勢いで、袴を着て車で乗り付けるヤンキーもいて大盛り上がり。

・成人式無くていい説

その後、多分、中学3年のクラスとかで飲み会とかあっただろうけど私はどこにも誘われず、かと言って、速攻で帰るとまた親が心配しそうなので、無理やり隣のクラスの飲み会に参加して時間をつぶしたのであった。というわけで、私にとっての成人式は、たまに思い出してヘコむくらい嫌な思い出である。

そんな地獄を経験した私からすれば、成人式なんて無くていいと思う。もちろん、成人式を楽しみにしている人を非難する気はないのだが、最初から無ければ準備もいらないではないか。少なくとも、成人式に出ない言い訳が立つ点においてだけは今年の新成人が羨ましい。

執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.