
これから2枚の絵を見ていただきたい。ある受刑者がパソコンを使って初めて描いた車の絵と、わずか3カ月後に同じ受刑者が車を描いた絵だ。写真から線画を起こす、いわゆるトレースなのだが、はっきり言って同一人物の絵とは思えない。
元から絵に興味や才能のあった人の話ではない。それぞれ違う理由で服役しているまったくの素人が、努力と練習でここまで描けるようになるという実例だ。
それでは公開しよう。こちらがその絵……
半年後、1年後と、受刑者たちはここからさらに上達し、最終的には風景や車などの背景画を商業作品に使ったり、販売したりできるレベルにまで至る。
しかも1人ではなく何人もの受刑者がチームとして上達していったという話だ。何が起こったのか、順に説明していこう。
・美祢社会復帰促進センター
舞台は山口県美祢(みね)市にある「美祢社会復帰促進センター」、日本初の官民協働の刑務所だ。犯罪傾向の進んでいない初犯の受刑者を収監するところで、殺人などの重要犯罪の人はいない。
受刑者は一般的に木工、印刷、洋裁、金属加工などの刑務作業を行うが、同センターではパソコンを使ったチラシやパンフレット制作に取り組んでいた。そこで、ひょんなことから漫画家の苑場凌氏が絵の指導を行うことになったのが、この奇跡のきっかけ。
とはいえ、受刑者は「たまたまその作業に割り当てられた」だけで、絵の素養があるわけではない。最初は同氏の期待を裏切るような「気持ちの入っていない無機質な絵」「雑に描かれた絵」「未完成なのに終わったと投げ出した絵」だったという。確かに、これなら筆者でも描けそう……。
一見上手だが、これも「言われたから描きました」というような無機質な絵なのだという。苑場氏が驚いたのは、絵が下手だからではなく、絵から伝わってくる投げやりな姿勢にだった。
しかし、指導をするうちに、みるみる意欲を見せて上達していく受刑者たち。チームワークが生まれ、苑場氏へ無言の信頼を寄せるようになってくる。
自然物や流動性のあるもの(炎、煙、水など)に対して、車や建物などの規則的な線で構成されている対象は「丁寧に根気をもって描けば必ず描けます」と苑場氏。
同氏は「どうすればリアルになるのか」「どうして変に見えるのか」をロジカルに解説しながら、職人技のように「背景画の技法」を教えていく。漫画やイラストは「習うより慣れろ」「とりあえずセンスで!」という感性の世界だと筆者も思っていたので、目からウロコである。
ついには商業作品に使えるほどの上達ぶりを見せ、内田康夫作品のコミカライズ『浅見光彦ミステリースペシャル 汚れちまった道』(作画:苑場凌)の背景として使われることになる。
原稿作成中、苑場氏とは東京と山口で離れた作業になったが、受刑者たちは自ら「ここはどう仕上げたらいいですか?」と質問をしてくるまでになったという。すごすぎる。
・線画素材サイト「漫画家本舗」
商業作品の出版はそう何度もあるものではないが、日々生み出される作品がただ埋もれていくのはもったいない。苑場氏は「漫画家本舗」という素材販売サイトを立ち上げ。緻密な背景画がJPEG、コミックスタジオ、Photoshopデータとして330円〜550円でダウンロード販売されている。
素材は丁寧にレイヤー分けされ、例えば机と椅子のあいだにキャラクターを描き足す、なんて作業も簡単。建物のほか、乗り物や日用雑貨もある。
プロでもアマでも同人誌でも、ダウンロードした本人であれば自由に使うことができる。公開しているのは100カットほどだが、実際には300カットを超える完成品がすでにあるとのことで、ポテンシャル高!
・質問、この活動って意味あるんですか?
この活動が報道などで取り上げられるようになると「受刑者を税金で遊ばせている」あるいは「受刑者を安く使って儲けている」といった批判があったという。しかし、家具を作るのは仕事で、漫画を描くのは遊びだというのは時代錯誤だし、販売サイトが(失礼ながら)大きな利益を上げているとは思われない。むしろ赤字だという。
ちなみに、出所の時期は刑務作業とは関係なく決まっていくし、出所後に絵の仕事に就くわけでもない。そもそも絵を職業にできる人は、一般社会でもごくひと握りだろう。ではこの刑務作業になんの意味があるのか、というと、大げさに聞こえるかもしれないが「生きる姿勢を教えている」というものだと思う。
投げ出さずに1本1本の線を重ねていけば、誰でも必ず描けるようになるという背景画。
最後まで妥協せずやりきる経験。自分の絵が商業誌に載ったという「努力すれば報われる」経験。そしてお金を払って買う人がいる、つまり誰かから必要とされる経験。
そのどれもが、再び犯罪に走らず生きる一助になるはずだ。被害者の処罰感情が……とか受刑者にも権利が……といった話でなく、単純に再犯率が下がる可能性があるのならば社会にとっても有益だろう。
同センターの背景画メンバーはすでに何回も入れ替わっているが、苑場氏は指導していくうちに受刑者の目の輝きや口調、態度の変化を感じ、成長を実感してきたという。この活動の原点、そしてゴールは更生の可能性が見込まれる初犯の受刑者の社会復帰支援である。
・『刑務所でマンガを教えています。』
以上の経緯は苑場凌氏の『刑務所でマンガを教えています。』(MFコミックス)に詳しい。漫画のメインテーマではないかもしれないが、苑場氏の論理的な解説により、読むと「絵が上達する」という効果がもれなくついてくる。
刑務所に興味はなくても、絵描きなら読んで損はないぞ。筆者は典型的な「人物しか描けない」派だが、背景画ちょっと練習してみようかな。努力は裏切らない、そんな前向きな気持ちになれる1冊だ。
参考リンク:漫画家本舗、KADOKAWA、美祢社会復帰促進センター
Report:冨樫さや
Photo:苑場凌, used with permission.
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冨樫さや












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