初夏の雰囲気を感じさせるこの頃。この4月に郷里を離れた新卒の皆さんは、随分暮らしにも慣れてきたころだと思う。この季節になると、毎年思うことがある。私(佐藤)も地元を離れた身。すっかり東京の暮らしに馴染み、まるで生まれも育ちもこの街のように振る舞っているのだが、彼らの初々しい姿を見ると、地元での生活が頭をよぎる。
あのまま地元に居たら、どうなっていただろうか? いい歳のオッサンでありながら、まるで五月病にでもかかったようなモヤモヤした気持ちを抱えて、JR山手線に乗ったところ、車両の車内広告に激しく心を揺さぶられた。なんだよこの電車はッ!?
・47都道府県の応援メッセージ
私が乗り込んでしまった電車は、内閣府の地方創生キャンペーンの一環で、山手線の特別車両として期間限定で運行しているもの。いわゆる「車両ジャック」である。
「どう生きる?どこで生きる?」をテーマに、47都道府県の応援メッセージをポスターにして掲出している。
・自分の地元もある
なんだコリャ? 見知らぬ土地に住む見知らぬ誰かが、東京に住む、これまた見知らぬ誰かに「元気か?」って。私には全然関係ないことだろ。
いやいや、ちょっと待てよ。47都道府県ってことは、うちの地元、島根もあるってことだよなあ~。誰かが私に向かって応援メッセージを送ってくれてたりして。それはないか。
あ、あった島根。
誰? 友くんって。やっぱ知らないわ。
2人の男女の後ろには、宍道湖があり、湖には「嫁が島」も見える。時々帰省はしているけど、ポスターとはいえ、こうして東京で見る宍道湖も悪くないなあ。実家は湖のすぐ近くだ……。
島根にいる時は、この景色をたくさんの人と一緒に観ていたんだな。家族や友達、見知らぬ街の人たちも、同じように眺めていたんだろうなあ……。しばらく連絡を取ってない人たちは、今もこの湖を毎日眺めているんだろうか……。
そういえば、徹也はどうしてるかな。
徹也には、悪いことをした覚えがある。なんだったけな……。
それなのに、アイツは私にとても良くしてくれた気が。なんだっけ………………………………………………………………………………………………
はッ!! 思い出した!
・クソひどかった29歳の私
私が29歳の時に勤めてたお店に、アイツが面接に来たんだ。速攻で落としたのに、アイツは私が仕事を辞めた時に、速攻で採用してくれたんだ。今思うと、私はクソひどいヤツだ。状況をわかり易く整理すると、私と徹也の関係はこうだ。
■私の勤めていた店に徹也が面接に来る
↓
■なぜか気が合った、面接が盛り上がる
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■徹也を不採用にする
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■私が無職になる
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■徹也が自分の勤めている店に、私を誘う
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■一緒に働く
時系列を追って整理すると、私は間違いなくクソ野郎だ。仲良くなったのに、なぜ不採用にしてしまったんだ……。たぶん、あまり意味なかったと思う。意味なく不採用にしてごめん、徹也……。
・それぞれの生き方
2人の生きる道はこうして分かれることになった。今でも時々連絡を取り合う仲だけど、2人が共有した時間は、今思えば一瞬だ。
私はいろいろな経験を経て「東京」に落ち着いた。
アイツ(徹也)は隠岐の島で旅館をやっている。その旅館はライブハウスと化していて、全国から多くのアーティストが集まってくると聞いた。
人生に「たら」「れば」はないけど、もしも地元で暮らし続けていたら、私たちにはもっと共有する時間が多くあったことは間違いないはず。
不採用にしたことだって思い出さないほど、多くの楽しい時間を互いに創出できていたのかもしれない。
どこかで悔いるような気持ちもあるけど、アイツならきっと、今こういうんじゃないかな。
「こっちは元気だ。東京はどうだ」って。
・誰にでもある
30になる歳だったとはいえ、15年前の私はまだまだ幼くて、友達を大事にする気持ちが乏しかったかもしれない。
そんな自分でも、何とか暮らせていることを、アイツには伝えたい。そんな気持ちになった。
まさかあのポスターを見て、クソひどい自分の過去を振り返ることになるとは。それだけではなく、素晴らしい友達がいることを思い出させてくれた。きっと奇抜な経験を重ねた当編集部の面々も、意外な過去を持っているに違いないと思い、みんなにも山手線のあの車両に乗るように伝えた。
そうして話を聞いたところ、やはりみんなも昔の自分を振り返り、さまざまな記憶を呼び起こしたようだ。
・和才雄一郎の場合「第二の地元北海道のこと」
「生まれは京都の私だが、北海道こそが第二の地元だと思っている。なぜなら、北海道で大学時代を過ごしたからであり、もっと言うならば、何だかんだでその時が一番楽しかったような気がするからだ。
なにせ、北海道に住み始めた頃は地元へ帰省するだけでも気持ちが高ぶっていたように思う。今でも覚えているのだが、小樽〜舞鶴間を運行するフェリーで帰省した時には、フェリー内の大部屋で思わぬ出会いがあった」
「ある時、フェリー内で話かけてくれた人と妙に仲良くなり、後日その人のバイト先でご飯をおごってもらったこともあった。またある時は、フェリーの到着が遅れて、港の最寄り駅からの終電が無くなって困っていたところ、船内で知り合った人に札幌の家まで送ってもらったこともあった。
今となっては、その相手が私の顔を覚えていることはないだろうが、私はニュースなどで小樽の名前を目にすると「フェリーで出会ったあの人はどうしてるのかな……」と思ったりする。36才になった今でもだ」
・GO羽鳥の場合「大切なことは蕎麦屋で学んだ」
「生まれも育ちも中目黒だが、青春時代は学芸大学にある お蕎麦屋さんのバイトに明け暮れていた」
「悪天候の出前は地獄だったり、実際に事故ったりと危険なこともたくさんあったけど、バイクに乗れるわ、時給は高いわ、メシは美味いわ、料理は覚えられるわで最高だった」
よりバイクが好きになれたのも、調理師免許が取れたのも、このお蕎麦屋さんのおかげ。若旦那や若奥さん、元気にしてるかな。お世話になりました!」
・中澤星児の場合「幼馴染のとっくん」
「大阪の田んぼしかないクソ田舎で育った私(中澤)。子供の頃の遊びと言えば、幼馴染4人くらいでやるメンバーの足りない草野球だった。グループのリーダーだったK君の家に集まっては、日が沈むまで見様見真似の野球ごっこをする。そのグループにはたまに、K君の後をついてくる2才年下の弟・とっくんが加わった」
「私たちの遊びに入りたがるとっくん。しかし、当時の2才差は大きい。私はどちらかと言うと『K君と遊びたいから入れてあげてる』という感覚で、一緒に野球をしていた。そんなとっくんは、大学卒業後、巨人にドラフト1位で入団、さらに海を越えインディアンスにも所属。現在は日ハムで投手をしている。村田透さん、応援してます。頑張ってください」
・こっちは元気
勝手ながらあの地方創生のポスターのように、我々もメッセージを送りたいと思う。
「こっちは元気だ。そっちはどうだ」と。
どこで暮らしていくにしても、元気であることが何よりも大事。そしてどこで生きることかが重要ではなく、どう生きるかを考えていきたい。季節の変わり目で、少し心が落ち着かないようなら、「どう生きる?どこで生きる?」のポスターを見て欲しい。山手線のポスター車両ジャックは6月1日まで。
みなさんも乗車して、メッセージを送りたい“誰か”を思い浮かべてみてはいかだろうか。きっと離れていても、友達や家族はあなたのことを思っているはずである。
参考リンク:内閣府「どう生きる? どこで生きる?」
Report:佐藤英典