無職……それはこの資本主義社会において、クズにも等しい称号である。だが、私(中澤)は知っている。無職には色んな理由があるということを。なぜなら、私自身がまさに無職だったからだ。
と、打ち明けると、「正社員じゃなくてもバイトはやってるでしょ?」と聞かれるが、残念バイトもやってない。33才にして真正の無職だった。もちろん貯金もゼロ。そんな私が人生をやり直せた理由をお送りしたい。
・30代までバイトだった理由
まず、なぜそんな状況になったかをご説明しよう。私が東京に来たのは20代前半。音楽で生計を立てることを夢見ての上京である。ツアーやレコーディング、リハーサルの予定を空けるため、就職ではなくバイトで生活費を稼ぐことにしたのは自然な流れだった。
バンド活動を続けるうちに何枚かCDをリリースし、ツアーやサーキットイベント、ラジオなどにも出演。ごくごく一部では知られるようになっていったが、そんな中気づけば年齢は30才を超えていた。
・33才で無職に
相変わらずバイトなしでは食っていけない状態。バイトを転々としながら食いつないでいたその時、以前の記事でお伝えしたパワハラ事件が発生した。
幸いにも失業手当を受け取ることはできたが無職になってしまった私。働かなければどん詰まりは目に見えている。そこで、すぐに仕事を探し始めた。なにしろ、受給は3カ月、延長できて6カ月しかないのである。
・パワハラの爪痕
ところが、いざ応募という段階でパワハラ事件が深く心に爪痕を残していることに気づいた。応募しようとすると、圧倒的な不安と恐怖心で視界が回るのである。世界が歪んでいくようにゆっくりと。会社内の人間関係が影響力を持つ職場は無理だ。
でも、人間が絡まない仕事なんてない。コンビニ店員や警備員だって、上司や客との絡みくらいあるだろう。つまり、上司がつかず1人で仕事を完結させられて、人当たり以外の部分で明確な評価がある仕事でなければならない。
・ゼロからやりたい仕事を探す
そういう観点で、まずチャレンジしたのは作詞家。やはり、音楽がやりたくて上京してきたため、真剣に「お金にできないだろうか?」と考えた。
そこでバンド作品を1カ月ほど色んなところに応募したところ、フジテレビと2つの作家事務所から連絡が。アニソンとかジャニーズのコンペへの提出作品の作詞依頼も来るような状況に。
と言うと、とんとん拍子にも聞こえるかもしれないが、結論から言うと作詞家は私には無理だった。採用されて売れない限り金にならないからである。しかも、コンペは毎週あるのだが、曲が送られてきてから提出までの期間は、多くて2日、少なければ当日中。
その間に、雰囲気を理解するため作品を見ないといけない。しばらくは徹夜に徹夜を重ねてなんとか提出していたが、やがて気づいた。
「死ぬ気全力でついていけない仕事をずっと続けられるわけがない」と。
純然たる才能不足を痛感したのである。先のことを考えると、これで食っていくのは無理だ。そこで、作詞家は断念。あと、もう1つ嫌だったのが、作った作品のほとんどが世に出ないこと。
・パンドラの箱の最後に残った職業
反応を見て初めて分かることは多い。逆に言うと、コンペや事務所の人間が判断するような少数意見では主観的かつ一面的すぎて本当の問題が見えてこないのだ。
そのため、音楽関係の仕事は才能に頼らざるを得ない。仕事にするには向いていないと言える。人間関係があまり影響しない、作ったものをなるべく世に出したい……アレ? ライターなんて良いんじゃね?
・なんか名前聞いたことがあるサイト
というか、もうそれしか残ってない気がする。さっそく、「なんか名前を聞いたことがあるサイト」にとりあえず履歴書を送った。基準は「ここなら、普通に生活できるくらい給料出そう」とかそんな感じ。そんな、なんか名前聞いたことがあるサイトの1つが……
そう、ロケットニュース24だ。ハッキリ言うと、誰の顔も知らなかったのだが、とりあえず面接に来た佐藤英典に「ファンです」と言った記憶がある。なお、佐藤記者はその時人間椅子のTシャツを着ていたので打ち解けるのは早かった。人間椅子を好きな人に悪い人はいない。
・人生やり直せた理由
あとは、皆さんご存じの通り。電気やガスが止まるのは当たり前で、常にお腹を空かせていた私が、爆盛りメニューを食べることができ貯金もできている。さらには、ロケットニュース24のおかげで彼女もできました。
というわけで、33才で無職だった私が人生をやり直せた理由はロケットニュース24の一員となったこと。そんな本サイトではライターを募集しております。詳細は募集ページをご覧ください。
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.
▼2回目の面接時
▼今でもバンド続けてます