2017年1月10日、読売新聞と朝日新聞の朝刊にMr.children(以下ミスチル)の25周年広告が掲載された。これまでリリースしたアルバムやシングルのジャケットが散りばめられているこの広告。見ているだけで、ミスチルの曲が頭の中に流れだす。まさに至福の音。
25年。言葉にするとひと言だが、それだけの間、音楽業界の第一線にいるというのは並大抵のことではない。普通なら音楽を続けるだけでも大変な期間である。そんなミスチルに憧れてバンドを始めた私(中澤)だが、自分の25年をかえりみたら……涙が止まらねェェェエエエ!
・音楽を始めるキッカケ
現在34歳にして売れないバンドマンである私。「音楽を演奏したい」と初めて思ったのが、音楽番組『ミュージックステーション』でミスチルの『花─Memento-Mori─』を見た時。
ヒットチャートを賑わすキーボードやシンセなどの明るい音色にあふれたポップは性に合わなかった私にとって、当時のミスチルのマイナー調の演奏とザラついた声は異色だった。ギターの「コード感」がめちゃくちゃカッコ良かったのだ。
・よく遊んでくれたこうき君
そんなミスチルがデビューしたのは1992年。私が9歳の時である。当時のことはあんまり覚えていないのだが、強烈に印象に残っているのは、いつも遊んでた友達のこうき君と別の班になった時のボッチっぷりがヤヴァかったということ。ガチでこうき君には救われてた。
・こうきロス
中学に上がり、こうき君と疎遠になると、私は「こうきロス」と言える状態に。なんとか友達を作るのに必死だったが、その頑張りがあだとなりスベりまくり。野球部にめっちゃイジめられた。
・暗黒の青春待ったなし
休み時間は校舎の裏を無意味に徘徊。給食の時間は机をつけるのがルールだったが、できれば1人で食べたかった。とにかく、班で何かするというのがマジで嫌だったことを覚えている。群衆の中で孤独を感じるより、1人で孤独を感じた方がマシだから……。
ちなみに、当時『週刊少年ジャンプ』で連載していたマンガ『シャーマンキング』の木刀の竜に影響を受け、1人になれる場所を「ベストプレイス」と呼んでいた。
・まさに深海
そんな時期のヘビロテがミスチルのアルバム『深海』。『名もなき詩』や『マシンガンをぶっ放せ』『花─Memento-Mori─』など、数々のミリオンヒットシングルが収録されたアルバムだが、私の一番好きな曲はアルバムラストの『深海』である。連れてってくれないか……僕を。
・友達って何? おいしいの?
高校に上がってもぼっちは解消されず、イジメがなくなったかわりに人との関わりもなくなった。これはこれで悲しい。想像してた青春ってこんなのじゃないんだけどな……この頃好きだったのが『Q』。あぁどこまで行けば解り合えるのだろう? 友達はNOT FOUND。
・売れないバンドマンが見る東京の景色
大学で軽音楽部に入り、音楽仲間ができ演奏が楽しくて、バンド活動を本格的にしたくて地元の大阪から上京。プロギタリストのアシスタントをしながらバンド活動をするも、全然うまくいかず解散。この時に発売されたのが『フェイク』だ。虚しさを抱えて夢をぶら下げ2階建ての明日へとTAKE OFF。
・慣れる
そして、滑り出し最悪な東京ライフにも慣れてきた頃、ドキュメント映画『Split the Difference』が公開。横断歩道を渡る人たち、僕は信号が変わるのを待っている。昨日の僕が明日の僕が今目の前を通り過ぎていく。
・ありがとうミスチル
そんな想いが走馬燈のように巡る今回の広告。胸アツなのは、『深海』のジャケットで海に沈んでいた椅子が碇で引き上げられていること。青春の暗さも恥ずかしさも全てを連れてミスチル号は前に進んでいるのだ。
なりたい自分にはなれなかった……だが、今の自分があるのは、あの頃があったからかもしれない。ミスチルの25年もスゴイが、私も相当頑張って生きてきた。広告には「Thank you! 25th Anniversary」の文字が躍るが、私は逆に彼らにお礼を言いたい。ありがとうミスチル。
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.
▼ありがとうミスターチルドレン。