今回ご紹介するのは、アメリカのキリスト教系カルト教団で生まれ育った女性。27年間の月日を教団で過ごした後、意を決して脱退したというのだ。
そんな女性が海外サイト『Reddit』に降臨し、どのように教団が変であることに気付き、どうやって逃げ出したかなどを、人々から寄せられた質問に答えながら明かしていた。その質疑応答30選をご紹介していきたい。
・どんな教団だったのか?
ユーザーネーム not_your_normal_girl さんは、とあるキリスト教系カルト教団で生まれ育ったという。彼女の家族全員が教団のメンバーだったが、ずっと前に父親だけが脱退しているという。その後、彼女も27歳で教団を脱退。一般の男性と結婚し、教団とは関係を絶って暮らしているようだ。
その教団では、ある教会に集まった人々が “指導者” の言いつけを守る生活を送っていたそう。家族はバラバラにされ、教団を “1つの大きな家族” として考えるように教えられた。
子供たちは教団の働き手として育てられ、大人の言いつけは絶対。教団の外部で友達を作ることや、無断外出は一切許されなかったとのことだ。大学への進学は認められていたものの、生徒が出席できる授業は “指導者” によって決められていた。
『Reddit』での質疑応答は、 not_your_normal_girl さんが脱退した4年後に行われたものだ。彼女は、今でもキリスト教徒で、聖書に書かれていることを信じていると書いている。
Q1:なぜ教団を脱退しようと思ったのですか?
A1:私が20代だった頃、教団でヒドいことが頻発したからです。その1つが、教会の牧師が私の姉に性的関係を迫ったこと。姉がそれを拒むと、“指導者” や幹部たちは「姉のほうから誘惑した」と話を作り替えたんです。この出来事で姉は深く落ち込み、精神的に病んでしまいました。私は抗議しましたが、教団は私を罰し続けました。
そんなとき私は外の世界で職を得て、1人の男性と出会いました。今の夫です。彼の助けもあって、真実と向き合うことができ、教団を離れることにしたのです。
Q2:堂々と出て行ったんですか? それとも隠れて出て行ったんですか?
A2:隠れて出て行かなければなりませんでした。教団に出て行くと告げれば、何も持って出ることもできずに、身一つで放り出されたことでしょう。また家族に言えば、残るように真剣に説得してくることも分かっていました。私は家族を愛していたので、懇願されれば、離れられなくなると思ったのです。
Q3:逃げ出したときの状況を教えてもらえますか?
A3:大切な物を4つの鞄に詰め込み、仕事場に持って生きました。朝の出勤時に2つ持って出て、お昼休みに2つ取りに戻ったんです。職場から姉に電話をかけて、家にはもう戻らないこと、心配しなくてもいいことを伝えました。その後、同僚の車で大学時代の友人の家に向かいました。友人の家では、6カ月ほどお世話になりました。
Q4:あなたが教団を抜けたことで、家族からはどんな反応がありましたか?
A4:暴力的な報復は受けませんでしたが、とても辛らつな言葉で勘当を言い渡されました。もしも家に帰ってきたら、不法侵入で警察に訴えるとも脅されました。
一度、自分の残りの物を取りに戻ったのですが、家族は私に「2時間で全ての物を持ち出せ。時間内に持ち出せない物は返さない」と宣言しました。“外部の人間” の手を借りることは許されず、また家族も手伝ってくれませんでした。あの2時間はとてもツラかった。
Q5:脱退したことで、教団から嫌がらせなどを受けましたか?
A5:私は教団にとっての「1番の敵」となりました。教団は、私がいかに悪い存在であるかを、知り合いやメンバーに吹き込み続けています。私はこれまで、それらの噓や中傷に真摯に対応してきたので、ほとんどの場合、教団の望む展開は避けることができています。
Q6:あなたが脱退した後、教団はあなたの家族に対して罰などを与えましたか?
A6:教団は家族に何もしなかったと聞いています。でも家族を焚き付けて、私に嫌がらせをしてきました。そうすることで、私をコントロールし、傷つけようとしていたのです。私が残りの荷物を取りに戻ったときに家族が手伝わなかったのも、教団側からの圧力があったと聞いています。
Q7:職場で今の旦那さんと出会ったとのことですが、彼のことは教団には内緒にしていましたか?
A7:私は、いつも友人関係などを周囲にオープンにしていたので、彼のことも隠してはいませんでした。彼は、教団の教会に何度か来たことがあったそうですが、教団の幹部に嫌われていました。だから教団側は、私に対しても彼の中傷を吹き込んできました。教会で行われていることを目にした彼は、私に教団の本当の姿を教えてくれました。
Q8:教団では、どのような毎日を過ごしていたんですか?
A8:朝5時30分起床、夜10〜11時就寝。その日のスケジュールは “指導者” によって全て決められており、1日のほとんどの時間が、教会の仕事にあてられていました。少女たちには、“指導者” の家の掃除や洗濯、料理などの仕事も割り当てられていて、学校があっても、勉強が終わるとすぐに仕事に取りかかるように言われていました。
夜は牧師の説教やミーティングなどがつまっており、週末は音楽の練習や他の教会のイベントの出席など。日曜日は1日中教会にいて、奉仕やミーティングなどが行われていました。
Q9:子供時代はツラいものでしたか?
A9:もっと違った子供時代を送れていたらよかったと思います。とてもツラかったので、違った環境で育っていたらどんな感じだっただろうとよく考えます。とは言え過去の経験があったから、現在の私は、他者への共感や慈悲の心を持てています。今の自分を捨てたくはありません。
Q10:教団にいたとき、外の世界のものは完全に遮断されていたのですか?
A10:完全に遮断されていた訳ではなく、昔のテレビ番組などを見たりしていました。
インターネットが普及し始めたときは、ネットを使うことは推奨されていませんでした。SNS のアカウントを持つことは許されず、ほぼEメールだけを使っていました。
Q11:教団内で、性的暴行などはありましたか?
A11:ありませんでした。でも未成年への感情的・精神的な性的虐待は行われていました。例えば、大人が “性的な罪” を告白するミーティングに、子供が出席させられたりとか。
尊敬すべき人々の「少女を犯したい」だとか「他人のパートナーと寝たい」など告白を聞くのは、とても嫌なものでした。全ての少女が、自分がふしだらな存在であるような気分にさせられたりしていました。
Q12:変わった決まりなどはありましたか?
A12:色々ありました。下記のものは、ごく一部です。
・女子はフロントがボタンのジーンズを履いてはいけない。
・教団に所属している全ての家族が、数軒の家で一緒に住まなければならない。
・家での朝食の時間をのぞいては、子供たちは教会で1日中一緒。昼食も夕食も教会で食べる。
・反抗的な態度をとった子供は、シーツで拘束される。
・毎日、メンバーを “矯正” するためのミーティングが開かれていた。
Q13:外部の学校に通っていたんですか?
A13:教会の中に作られた学校に通っていました。あらゆる学年の子供が1つの教室に集まって、授業を受けていました。一般的な学校とは違った感じで、良い面も悪い面もありました。
まずは中古の教科書を用い、その後、自分のペースで進められるキットを使っていました。授業を受けることはほとんどなく、そのキットを使って勉強していました。キットでの勉強が終わると、テストを受けます。あまり良いシステムではなく、私は落第してばかりいました。
Q14:教団での生活を懐かしく思うことはありますか?
A14:家族や愛する人々に囲まれたときに感じる親密さを、1番懐かしく思いますね。教団だけで通じるジョークで、誰かと一緒に笑ったことも懐かしい。でも、多くの人が “教団を懐かしく思う感覚” を変に感じ、理解に苦しむかもしれませんね。
ああいった場所では親密さや守られている感じが培われるので、教団を離れるときには空虚な気持ちになったり、怖くなったりするんです。そういった気持ちを克服するには、長い時間がかかります。私が克服できたのは、そこで感じた親密さは “本物” ではないということに気付けたからだと思います。
Q15:教団にいたことで、良かった点はなんですか?
A15:かつては良い点もあったと思っていましたが、今は確信が持てないでいます。たしかに普通の環境では得られない、素晴らしい勤労論理を学んだり、多くのDIYスキルを身につけることもできました。
でもそういったスキルを、トラウマを伴わない、もっと健全な環境で身につけたかった。なので “教団にも良いことはあった” と言い切ることはできません。
Q16:あなたがカルト教団にいたことを知った人からは、どんなリアクションが返ってきますか?
A16:私が3つの頭を持ったエイリアンでもあるかのような目を向けてきますね。みんな、どう反応し、私をどう扱えばいいのか分からないようです。とても気まずくなりますね。
Q17:カルト教団にいた過去が元で、職場や学校で困ったことはありますか?
A17:私の過去を説明したことで、職場や学校で気まずくなったことや、難しい立場に立たされたことはあります。
周囲の人に理解されないことが多いので、過去については隠すことが多いです。また語るときは、曖昧にするようにしています。ほとんどの人が、変に思ってもそれ以上詮索してこないものなんです。
長いこと、友人にも家族の話はしてきませんでした。状況が難しかったり、恥ずかしかったり、複雑すぎるからです。でも最近では、自分を理解することにも繋がるので、過去について人々に正直に話すようにしています。まあ伏せておくほうが、楽なのですが。
……さらなる質疑応答は、次ページ(その2)へ GO!
参照元:Reddit(英語)
執筆:小千谷サチ
Photo:RocketNews24.
Q18:誰かに生活を支配されるのって、どんな感じなんですか? 誰かに全ての責任を取ってもらう人生は楽なのでしょか?
A18:たしかに楽な面もあります。上手くいかないことがあれば、誰かを責めればいいのですから。
教団を抜けて感じたのが、自分で何かを決めることの難しさです。最初は、恐怖で身がすくみ、どう物事を決めればいいか全く分からなくなったものです。自分で物事を決め、その結果を引き受け、次の経験に生かしていくことを、私は学ばなければなりませんでした。
誰かに全てを決めてもらうことは、とても楽なので、自分自身を損なっていることに気付けないものです。「心地よさ」と「害」が混ざりあったような状態だと思います。
Q19:初めて “外の人々” と触れ合ったとき、どんな感じでしたか?
A19:最初の頃は、ほとんどの人とは距離を置いていました。数人の友人はいたのですが、いつも落ち着かない気持ちで、自分の居場所が見つけられませんでした。友達の作り方を学ぶのに数年かかりましたし、今でもまだ分かりきっていない部分もあります。
Q20:外の世界の暮らしで、1番大変だったことは何ですか?
A20:大変なことは、たくさんありました。宗教に直接結びつくことや、一般的なカルトに関することなど様々です。
教団を抜けてからまず大変だったのは、何かをやるときに恐れないことです。今にでも怒った神から罰を受けるのではないかと、私は常に恐れていました。恐怖は私の意識の一部になっていたため、簡単に引き離すことができなかったんです。
また他者と繋がることも苦労しました。とくに人々が最近の出来事や大衆的な文化について会話しているとき、彼らが何を話しているかちっとも理解できませんでした。
教団で築いた人間関係、特に家族との関係を失ったのもツラかったです。 周囲に人がいない環境で、1人きりで暮らすこともツラかった。1人暮らしを始めたばかりの頃は、夜になると父に泣きながら電話をかけていました。
Q21:今では “普通の生活” に馴染めていると思いますか? 過去の傷など、全て回復したと思いますか?
A21:教団を脱退して4年になりますが、ようやく去年 “普通の生活” に馴染みつつあると感じました。これまでに受けた傷や絶望と折り合いをつけるのに、長い時間がかかったため、去年から「馴染みつつある」と感じ始めたのではないかと思っています。
傷が完全に回復したわけではありませんが、最近は急速に治りつつあるように感じます。もちろん、まだまだ立ち向かわなければならないことも多いですし、落ち込むこともあります。それでも全体的に見て順調に行っているように思います。
Q22:今の生活で、どんなことが好きですか?
A22:好きなことが多すぎるので、選ぶのは難しいですね。誰かにいちいち確認せずに、日常的な物事をこなせるのが好きですね。自分が話したいことを自由に話せるのも好きです。言ってはいけないことも、自分で判断できるんですからね。 あと、音楽も大好きです!!
Q23:私はカルト教団を作りたいと思っています。どうやったら人々を集められますか?
A23:クレイジーで、情熱を持っているように振る舞えばいいでしょう。人の心を操り、人の上に立つ術を覚え、施設を作ることです。他にも色々な要素がありますが、それさえできれば失敗はしないはずです。
Q24:カルト教団に所属している人間を、見分ける方法ってありますか?
A24:色々な方法があります。まず、社交的な場で、私がいたような教団に所属する人間と出会うことはないでしょう。そういった場への出席は、教団から強く禁じられているからです。
カルト教団に所属している人間の一般的な傾向は、選民意識を持っていることです。“自分たちは正しい答えを全て知っている” と思っており、とても閉鎖的です。同集団の人間とだけ関係を保ち、教祖など1人の人間に全てを捧げようとします。
何かに夢中になり、それがその人の世界の全てになる。夢中になった何かを取り巻くグループとの時間が増え、それまでの生活を切り捨ててしまう。そういった人は、カルト的な集団にハマりやすいかもしれませんね。
Q25:カルト教団の指導者たちって、実は神を信じていないと思います。神を利用して、人々を操っているだけ。この考え方をどう思いますか?
A25:たしかにそうですね。最初は指導者たちも、神からの啓示を信じていると思います。しかし、いかに簡単に周囲の人間をコントロールできるかに気付いてしまい、自分の利益のために “神の力” を利用するようになるんだと思います。
Q26:私は無神論者で、あなたのように “偽物の神様” に振り回される人々を愚かだと思います。どう思われますか?
A26:あなたがそう感じるのは残念です。私は愚かではありませんが、過ちを犯すことはあります。
誰にとっても、自分自身のことについて気付くのは難しいのではないでしょうか。狭い世界で生まれ育った人間にとっては、特に難しいはずです。私はいつだって聡明な行動を取れている訳ではありませんが、それが私のストーリーであって、変えることはできません。
また、なにかを “愚か” だと決めつけるのは、複雑な状況を安易に一般化しすぎてしまうだけではないでしょうか。
Q27:ご家族との関係はどうなっているんですか?
A27:脱出してしばらくの間は、家族から勘当されていました。でも私のほうから、辛抱強く働きかけ続けたので、今では家族全員となんとか関係は保てています。もっと改善できるはずですが、時間がかかるでしょうね。
Q28:教団から脱退するように、家族を説得しないのですか?
A28:これまでに何度も、私が教団について思っていることや、いかに家族を助けたいかを話してきました。でもそうすると、家族はいつも激しく怒り、私から離れていきます。しばらくして、私のほうから仲直りを試みるのですが、また同じことが起こります。
私が率直に、または正直な気持ちで語りかけると、彼らはすぐに心を閉ざしてしまいます。そうすると私の言葉が、彼らに届くことはありません。脱退させるように真実を少しずつ話しながら、寄り添う愛情が必要だと思っています。上手くいかないことも多いですが、私は諦めません。できる限り続けます。
1年前、私は結婚式を挙げました。式に出ないようにと、教団は家族に圧力をかけていたようです。でも家族はその命令になんとか背き、結婚式に出席してくれました。ただ、乾杯のときに母と姉妹は式場から出て行ってしまったので、家族はまだ立場を決めきれていないんだと思います。
Q29:なぜあなたの両親は、カルト教団に入ったのですか?
A29:父と母は、別々に教団に入りました。2人共まだ学生で、当時の教団の指導者も今とは全く違っていたそうです。その指導者が去り、後からやって来た人物が今のようなカルト教団に仕立てていったのです。
Q30:教団はどのように変わっていたんですか?
A30:新たな “指導者” は、人の心を掌握し、操ることに長けていました。その人物の元で教団の状況は悪化し、締め付けが強まっていったんです。
私が子供の頃はキリスト教の音楽以外聴いてはいけませんでしたし、R指定の映画も見てはいけませんでした。今は教団側も若者離れを懸念して、そういった締め付けを緩めつつあるということですが。
参照元:Reddit(英語)
執筆:小千谷サチ
Photo:RocketNews24.
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