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競馬に携わるすべての人が憧れ、最高の栄誉とされているのが、東京優駿こと「日本ダービー」である。過去81回という長い歴史を刻んできた同競走だが、第82回目を迎える2015年の今年は5月31日に開催される。

3歳世代最強馬を決めるこの競走に出走できるのは、ほんのひと握り。実力だけでなく運、むしろすべての要素がなければ勝てないのがダービーだが、歴史の中にはフロックと言われ続けて優勝した「サニーブライアン」という逃げ馬がいる。

・フロック視されていたサニーブライアン

時は1997年、日本ダービーに出走したサニーブライアンは一冠目・皐月賞を制したにもかかわらず、6番人気という低評価で本番を迎えた。それまでの戦績が胸を張れるようなものではなかったこと、そして11番人気で逃げ切った皐月賞は偶然という見方が強かったからだ。

・実力馬が揃った世代

また、この年の出走馬はレベルが高く、後の有馬記念馬・シルクジャスティス、天皇賞馬・メジロブライト、宝塚記念馬・サイレンススズカ、菊花賞馬・マチカネフクキタル……といった実力馬が揃っていたのもひとつの理由であろう。

逃走劇がそううまくいくことはない……長い府中の直線を簡単に逃げ切れるはずがないはずというのが大方の予想。いずれにしても、フロック視する人が多く、ダービーで人気のない皐月賞馬というのは、極めてめずらしい光景であった。

・快走を見せた皐月賞馬

……ところが! そんな周囲の評価と裏腹にサニーブライアンは快走を見せた。スタートダッシュで大外枠から先頭に踊り出ると、自分のペースで気持ちよく逃げることに成功。スタートからゴールまで他の馬を従え、見事にフィニッシュしてみせたのである!

ゴール目前で気がついた頃には縮まらない差が開いており、その実力を知ることになった人は多いだろう。実力馬を簡単に逃がすとこうなる……終わってみれば強い馬が勝つというしかるべき結果となったのが、1997年の日本ダービーであった。

・名言も生まれた競走

また、この競走で印象的であったのは、スポットライトとはなかなか縁のなかった大西騎手の勝利ジョッキーインタビューだ。フロック視されていたことを尋ねられ「1番人気はいらないから1着だけ欲しい」との返答は、今でも名言として残っている。

・ダービー後のサニーブライアン

ちなみにその後のサニーブライアンは、レース中に骨折していたことが判明し、不治の病と言われる「屈腱炎」にも見舞われ引退。秋に行われる三冠最後のレース・菊花賞に出場すること、そして現役復帰は叶わなかった。

おそらく彼が淀の3000メートルで逃げる姿を見たかったファンも多いに違いない。そんな彼の逃走劇から18年……はたして今年のダービーでは、どんなドラマが生まれるのだろうか。

参照元:YouTube
執筆:原田たかし

▼フロックでも何でもない!

▼大西騎手のインタビューは12:30〜

▼一冠目の皐月賞