ロケットニュース24

【コラム】カツサンドを食べると今でも20年くらい前に後楽園ホールの2階バルコニーで出会った「健介カットの熱狂的FMWファン」を思い出す

2014年7月30日

「この曲を聞くと、◯◯を思い出す」といった感じで、曲と場所や、曲と人、そして曲とニオイなどを結びつけて記憶していることは多いが、何かを食べて思い出すこともよくある話。私(筆者)の場合はカツサンドだ。

どんなカツサンドを食べた時でも、必ず思い出す人物がいる。それは今から約20年ほど前、私が1人でプロレスを見に行った時、後楽園ホールの2階バルコニーで出会った「健介カットの熱狂的FMWファンの青年」である。

・ひとりバルコ

当時の私は中学生。まわりに熱狂的なプロレスファンがいなかったため、よく1人でプロレスを見に行っていた。金がないので立ち見席。お気に入りだったのは、後楽園ホールの2階バルコニー席だった。私の中では「ひとりバルコ」と呼んでいた。

その日の興行は、大仁田厚ひきいるFMW。本当はライバル団体「W★ING」の方が好きだったのだが、なんとなく敷居が高い雰囲気もあったし、「ひとり外出」もドッキドキな中学生にとって、FMWは行きやすいプロレス団体だったのだ。

・バルコニーの場所取りは先手必勝の諸行無常

ひとりバルコは、孤独な戦いを強いられる。立ち見の席(場所)の確保から戦いは始まっている。できればバルコニーの手すりを握りながら観戦できる「最前列」を死守したいが、あいにく先客で埋まっていた。私のポジションは2列目である。

このまま誰も来なければ楽なのだが、私の後ろにも、新たな立ち見客が立っている。もしも今トイレに行ったら、私の死守する2列目も、後ろの「3列目の客」に取られてしまうことだろう。よってオシッコは限界まで我慢する。ウンコもだ。

・前にいた青年が「ここ、とっといてくれる?」

私の目の前にいる長髪の青年は、余裕な顔してバルコの手すりに覆いかぶさっている。ラクそうだ。いいなぁ……と、その時だった! 突如、長髪の青年がグルリと振り向き、「あのさ、ちょっとさ、ここ、とっといてくれる?」と話しかけてきたのだ。

色白で、ヤセ型。長髪かと思ったら、サイドは思い切り刈り上げている。俗にいう「健介カット」であり、稲妻の「Zマーク」のソリコミが入っていた。すさまじく気合いが入っているヘアスタイル。一瞬ビビるも、私は「ハイ!」と承諾した。

・場所を死守していた私のために詰めてくれた

ウンコでもしているのか、なかなか健介カットのケンスケ(仮)が帰ってこない。当の私はウンコを我慢しているのに、なぜ他人の場所確保をしているんだ俺は……と、自分の弱さを恨むこと約10分。やっとケンスケが帰ってきた。

人をかきわけ、「ごめん、ありがとう」と言いながら、私の横に滑りこんできたケンスケ。これにて私の任務は完了……とばかりに「では、私はまた後ろに……」と返事すると、彼は「何言ってんだよ。横に来なよ」と言い、場所を詰めてくれたのだった。

・ふいに登場した後楽園ホールのカツサンド

さらに! 「場所を取っておいてくれたお礼だよ。さあ、一緒に食べよう」と言いながら、私に『後楽園ホールのカツサンド』を渡してきたのだ!! あとから聞いたが、ケンスケが遅かったのはウンコではなく、カツサンド行列のためだったという。

あまりの展開に、私の肛門もビックリしたのか、ウンコの気配もふっとんだ。一緒にカツサンドを食べながら、FMWの試合に声援を送りつつ、ちょいちょい小声で話をした。そして彼はその後、カツサンドに次ぐ友情を私に手渡してきたのだ。彼が用意した次なるモノは、次ページ(その2)に掲載じゃ!!

執筆:GO羽鳥
Photo:RocketNews24.


【コラム】カツサンドを食べると今でも20年くらい前に後楽園ホールの2階バルコニーで出会った「健介カットの熱狂的FMWファン」を思い出す(その2)

話を聞けば、彼はまだ高校1年生。たしか当時の私は中3だったので、学年だったら、いっこ上。だけど、歳は私より2つか3つだった。もしかして、その健介カットで学校に行っているのか……と思いきや、実はそうではないらしい。

「前の学校で、ちょっと、いじめられたというか、そんな感じになって辞めたんだ。で、今は定時制の高校に入りなおして勉強しているんだ。プロレスっていいよね。プロレス見てると、元気が出てくるっていうか。特にFMWがいい。大仁田最高だよね。あ、この髪型? 健介だよ。新日本も好きだね」。

……やっぱり健介だった。分かっていたが、やはり健介カットだった。

それはさておき、やがて休憩時間になった。私の便意も限界だったので、先にトイレに行かせてもらった。バトンタッチして、ふたたび私が “場所確保要員” になった。だが、またもケンスケの帰りが遅い。休憩明けの試合が始まっても、まだ帰ってこないのだ。

・ケンスケ「友情のしるしに……」

──試合時間10分経過。そろそろ、この試合も終わっちゃうぞ……という時、やっとケンスケが帰ってきた。手には、なにやらビニール袋を持っている。そして、「友情のしるしに……」というキザなセリフと共に、その袋を私に手渡したのだった。

またカツサンドなのか!? ……と思いきや、中には「写真付きの大仁田厚サイン」と「巨大なFMWステッカー」が入っていた。

なんだかオゴられてばかりで申し訳なく思い、「いや、いいですよ、こんなにたくさん!」と遠慮したが、彼は「いいんだ。FMWファンなら、オレたちはもう友達だ」との姿勢を崩さない。ありがたく受け取ることにした。

・彼は通(つう)だった

ちなみに彼は『超電戦士 (ちょうでんせんし) バトレンジャー』も好きらしく、バトレンジャーのことを「バト」と呼んでいた。「バトがんばれー! バトッ!!」と声援を送る彼を見て、私は「通(つう)だなぁ……」と関心したものだ。

メインの試合は、もちろん大仁田。6メンタッグマッチだったと記憶している。その試合が始まる前、彼は「後楽園だったら、俺はいつもここにいる。見かけたら声をかけてくれ。また一緒に見よう!」と、別れの挨拶を先にしてきた。

・ほれぼれするほどの『大仁田信者』だった

試合中、ケンスケは一生懸命「オオニター!!」と、大仁田のことを応援していた。どこからそんなパワーが出て来るのかと思うほどの熱狂大仁田コールであり、どこに出しても恥ずかしくない、ほれぼれするほどの『大仁田信者』であった。

そして、試合が終わったあたりで、突然ケンスケは「じゃ! またね!!」と私に言い残し、どこかへ消えた。もしかしたら、試合後のリングサイドに行って大仁田厚の「聖水」を浴びていたのかもしれないが、私が2度目のトイレ(大)に入っている最中、大仁田のパフォーマンスは終わっていた。

後日、一度だけ彼の姿を後楽園ホールで目撃した。でも、誰かと談笑していたので、なんとなく声はかけられなかった。今、彼は何をしているのだろう。まだ大仁田のことが好きなのかなぁ……。カツサンドを食べると、今でも “ケンスケ” のことを思い出すのだ。

執筆:GO羽鳥
Photo:RocketNews24.

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