皆さんはタクシーに乗って感動した経験はあるだろうか? 素晴らしいドライバーは多く存在するのだが、また会いたいと思えるドライバーはまれではないだろうか。
・島を愛するタクシードライバー
記者(私)は最近取材で石垣島を訪れた。そのときにお会いした、とあるドライバーについてお伝えしたいと思う。彼は、会社の方針にしたがっているだけではなく、心から島を愛していると感じさせる接客をしてくれた。その思いに心から感動した次第である。
・1メーター
実は記者は、このドライバー榎本弘さん(カーラ山交通)にお会いする直前に、別のタクシーに乗車していた。急いで移動しなければいけなかったために、近場で大変恐縮だったのだが、タクシーを利用させてもらった。その距離は1メーターであったため、申し訳なく思っていたのだ。
・一言もしゃべらないドライバー
1メーターが気に入らなかったようで、そのドライバーは終始無言。それどころか最後まで口を開くことはなかった。記者は申し訳ないという気持ちが半分、もう半分は一言くらいしゃべっても害はないでしょ、と思っていた。とにかく急いで宿に戻って、荷物を取り、空港へと向かうことに。あとから呼んだタクシーのドライバーが榎本さんだった。
・意地悪おじさんだよ
榎本さんはタクシーに乗るなり、まくしたてるように話し始めた。「はい、私はカーラ山交通2号車搭乗員の榎本と申します」、なんと! 先ほどのドライバーは一言もしゃべらなかっただけに、自己紹介には驚いた。そして名刺を渡され、「おじさん(榎本さんのこと)はよ、意地悪おじさんだからよ、人が嫌がるのが大好き。だからよ、意地悪なことをばっかりしゃべるんだよ」。意地悪と言っているのは、本当の意地悪ではない。あとから振り返るに、「冗談」のことを意地悪と言っているようだった。とにかくこうして榎本さんのマシンガントークがスタートすることとなる。
・電話をもらえれば道案内もする
事前に無言のドライバーに遭遇したせいもあってか、彼の話は心地よかった。そのことを榎本さんに伝えると、「うちの社長は1メーターのお客さんこそ大事にしろって言うんだよ。タクシー利用しなくても、(名刺の携帯番号に)電話もらえれば、道案内もしますよ」という。1メーターで儲けが少なくても歓迎し、なおかつ1銭の足しにもならないかもしれないのに、電話しろという。これは不慣れな土地を訪れた人にとって、頼もしいことだ。
・いかに覚えてもらえるか
榎本さんによると、「お客さんにいかに覚えていてもらえるか」が島(石垣島)のドライバーにとって重要なのだそうだ。というのも、地元の人の多くは車を持っており、タクシーの利用頻度が少ない。したがって、観光客を相手にすることが多くなる。すると、繰り返し島を訪れる人に覚えていてもらえる方が、有難いということになる。覚えておいてもらうために常にいろいろ考えているという。たとえば、自らが歌って聞かせる島唄もそのひとつだ。歌については、後ほど詳しくお伝えしよう。
・人と人
本島(沖縄)で30年間、建築関係の営業をしていた榎本さん。その仕事を辞めて生まれの竹富島に帰った後、別の仕事を経て2003年8月1日にドライバーになった。それからちょうど10年を迎え、現在では県外に多くお客さんを持っているのだとか。観光に訪れる予定のある方が、わざわざ榎本さんを指名して空港に迎えにきてもらうという。指名される理由はやはり覚えてもらおうと努力しているため、そして「ドライバーと客」という姿勢ではなく、「人と人」という姿勢を貫いているためではないだろうか。榎本さんは客の名前も忘れない努力を怠らない。記者が「佐藤です」と名乗ると、「もう絶対に忘れないよ」と言われた。それが営業の言葉であってもうれしい。
・ゆいま~る
そして何より感動したのは、彼の聞かせてくれた歌である。島の民謡は今から60~70年前に隆盛を迎えたそうだ。そのころ、今に歌い継がれる歌が次々と誕生した。彼の生まれの島、竹富島では、特に「安里屋(アサドウヤ)ユンタ」というのが有名である。この歌は労働歌だ。その昔、「ゆいま~る」と呼ばれる共同農業作業の風習があった。今のような農業機械のない時代に、集落の既婚男女10名と未婚男女10名、計20名が駆り出されて近隣の農作業を手伝っていた。これが「ゆいま~る」である。そのときに歌われたのがこの歌だ。
・榎本さん自ら作詞
今ではその風習がなくなったため、榎本さんはこの歌の歌詞を現代風に変えて、歌って聞かせてくれたのである。島の文化を愛し、地元を訪れる人をもてなすために、歌うだけでなく歌詞まで考えるタクシードライバーがいるだろうか? そう考えると、彼の思いに胸が震え感動せずにはいられなかった。また石垣島に来てもらいたい、そんな思いが歌詞には込められている。歌詞の一節をご紹介しよう
・新「安里屋ユンタ」(作詞:榎本さん)
「サー 海と山との 恵みの島よ サーユイユイ
海の楽園へ 皆様 いらっしゃいませ
マタハーリヌ ツンダラ カヌシャマヨー
サー 八重山の美しい島へ 再度 いらっしゃませ サーユイユイ
花と緑の 豊かな 八重山へ
マタハーリヌ ツンダラ カヌシャマヨー」
・また会いたい
ゆったりとした歌声は、いつまでも聞いていたいと思わせるものがあった。しかし、残念ながら目的地である空港に到着してしまった。すると、「運転は安全速度、歌はスピード違反気味だったけど楽しんでもらえたかな?」と、冗談交じりに感想を尋ねられた。言うまでもなく満足している。島の歴史や文化について、タクシーの車内で知ることになるとは思わなかった。できることなら、また会いたい。本当にそう思うタクシードライバー、榎本さん(74歳)であった。
▼榎本さんが作詞した「新 安里屋ユンタ」
▼空港で記念写真。心ある人でした