
仏教の本場である中国。山西省大同市の西16kmには1500年以上前の古代仏教美術が残る遺跡がある。ユネスコ世界遺産にも登録されている『雲崗石窟(うんこうせっくつ)』だ。
岩壁や石窟に彫られた巨大な仏像群はネットで画像を見る限り圧巻の迫力。「世界ふしぎ発見!」に出てきそうな場所だと思ったら実際特集されたこともあるらしい。「世界ふしぎ発見!」好きだったなー。そんなわけで雲崗石窟に行ってみることにした。
・俗世
岩壁があるだけあって、大同市の都市部からは離れた武州山の麓にある雲崗石窟。何もない太い道が真っすぐ壁みたいな山に吸い込まれていく道すがらの風景に大陸的な壮大さを感じた。
それにしても交通量が多い。山に向かってるにもかかわらず、車の密度が都市部とそんなに変わらないのである。普通、鉄道もない山は交通量が減るものでは? その壮大な景色と交通量のアンバランスさにどこか舞浜的な虚構感を感じたのだが……
そのままのノリで雲崗石窟に到着したからビックリした。駐車場に入るのに軽く渋滞が発生している。入場ゲートも当たり前に行列で、全くミステリーをハントできそうにない俗世っぷり。ちなみに、入場料は1人約2900円。
・クエスチョン
まず、入口みたいな寺院が建っていて、石窟はそれを通り抜けた先。この入口みたいな寺院のデザインが最高に異世界との境界っぽくて、こんな『呪術廻戦』に出てきそうな空間がこの規模でガチで存在していること自体に中国を感じたのだが……
──さて、ここでクエスチョンです。
石窟にたどり着いた私は、「石窟芸術の頂点」と称される第5・6窟をスルーしました。それはなぜでしょうか?
A.行列が1時間待ちみたいになっていたから。
入るまでの状況は前述の通りだったんだけど、入ってから人ゴミがマシになるということはもちろんなくて、むしろメインに近づけば近づくほど増していく。そして、その混雑がみんな見たい第5・6窟で爆発していたのだ。ディズニーランドかよ!
・中はよりヤバイ
日本人感覚で言うと、もはや遺跡の混み方ではない気がする。こんなに並んでまで仏像を見たいかと言うと、そこまでの興味はなかったのでスルーしたわけだ。しかし、今振り返ってもスルーして良かったと思う。なぜならば……
まだマシな石窟に入ってみたら、中の混雑っぷりがさらにヤバかったから。単なる石窟なので出入口が1つしかないんだけど、入る人も出る人もそこに殺到するため、出入口の密度がエグイことになっているのである。壺に詰め込まれたような気分を味わった。
・朦朧とする意識の中で見たもの
ぎゅうぎゅうすぎて第何窟とか仏像とかどうでもよくなるレベル。もう何でも良いからここから出してくれ。そんな朦朧とした気分で何窟めかの出入口のアーチに彫られた美術を見上げたところ……ん?
なんか仏のノリが違う気がする。朦朧としているゆえの気のせいだろうか? 姿勢といい、手に持ってるものといい、ラッパ吹く天使みたいに見える。
そう考えて見れば見るほど、他の仏もキリスト教の天使みたいなテンションのヤツがいた。仏教もキリスト教も完全に門外漢である私が正直な感想を述べるなら、姿勢とか持ってるものとかマジ似てる。
・芸術はゼロから形を成すわけではない
これは第9窟だったんだけど、説明板によると5世紀後半のもののようだ。シルクロードを通じて西方の文化が伝わった大同市。古代東西文化の融合として雲岡石窟が位置づけられることを考慮すると、美術面で影響を受けた可能性はあると思う。
仮に宗教的な見方を無視してアートの観点でこれを論じるなら、基本的にはアートってゼロから形を成すわけではないと思うからだ。大学が芸術学科でミュージシャンでもある私の見解だけど、手間がかかるものほどインスピレーションなしでは完成しない。岩掘るだけでもやり直しがきかず大変なのに、そもそもこのデカさは何かに影響受けないと無理だと思う。
と、適当なことを言ってみたが、こういった想像を巡らせることには歴史的な意味でのロマンを感じた。なにせ1500年前。想像するしかできない。だからこそ残っているものには時空のロマンがあるのだ。
日本人でもなんだかんだでロマンは感じられた雲崗石窟。そのある種有無を言わさず領域に引きずり込むようなパワーに、中国の世界遺産を感じたのであった。それではまた、ふしぎの世界でお会いしましょう。さようなら!
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.
▼説明板には日本語も表記されていた
▼ダイナミックさが凄い
▼そもそもこの岩っぷりが異世界だ
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